日記

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第13回 仏教ミニ法話「雑談・閑談 1」原爆忌に思う 仏教の法話について ダルマキールティ大師の量評釈について 

2024年08月06日 | ブログ
つらつらに、、とにかく量評釈を理解したい、、どなたかお願いします、、

第13回 仏教ミニ法話「雑談・閑談 1」原爆忌に思う 仏教の法話について ダルマキールティ大師の量評釈について 
https://youtu.be/fK_JH3V6QH8?feature=shared


念仏

2024年08月06日 | ブログ
そういえば、西本願寺さんに初めて行った慶讃法要初日、あまりにも念仏する者の少なさを不思議に思ったものだが、最近、なるほどとやっと理解できた。

元親鸞会の宮田さんの桜嵐坊さんのところでの話を聞いて、にもなるが、、

つまり、西本願寺さんの場合、念仏をしたら、称名念仏行、20願なんぞは、自力での方便、いらんやろ、捨てろやとなり、白々しく見られることになり、一方で、親鸞会さんの場合、称名念仏をしたら、お前は20願に入ったと空々しく吹聴しているのか、そんなわけないやろう、まだ当然に19願やろが、と白々しく見られることになるということか、、と。

これが両者の念仏の現実なのである。もちろんあくまでも私見のうがった見方であるが。。


三業惑乱

2024年08月06日 | ブログ
三業惑乱がわかりやすいと頂きました。

元々から礼拝、誓願行を五正行の宿善と考えれば、何も問題なく他力信心に向けた行と認められていたはずであり、三業帰命は、一時、安心であるとして宗門から正式に認められていたのであったが、その強制が始まると、一気に騒動へと発展したのである。

新しい領解文、強制唱和も同じような流れだ。強制唱和が騒動の引き金となった。

三業惑乱にて、三業帰命が異安心となったことで、これを境に、本願寺派では宿善のあり方が一気に消極的なものになったと思われるのである。

しかし、今日的な異安心問題である新しい領解文への一連の流れの中では、宿善、善根への取り組みを復活させていこうという動きも垣間見られる。新しい領解文の無帰命安心ぶりも含めて、宿善に関しての迷走も見られるのである。

三業惑乱の功罪が窺えるのである。


親鸞会の渡部氏のYouTube動画を観て

2024年08月06日 | ブログ
少し三願転入のことで親鸞会の渡部氏のYouTube動画を色々とみていたら、以来、関連(親鸞会と名前はないが)のものがこれでもか、これでもかと、あがってくる、、

関連含めて凄まじい量だ、、

これは危機感を持って、各宗派、各教義的な核心的な理論に関する話、法の話のアップに真剣に取り組んだ方が良いと思われる。


20年中観を学んで、私などまだ今、ミニ法話でアップした内容程度のレベル

2024年08月06日 | ブログ
法王様が一般向けにされた法話は、たくさんYouTubeにアップされているが、それらはあくまでも一般向けばかりの話である。

法王様がある程度本気でなされた法話が日本語訳でアップされてあるのはこのシリーズぐらいであるが、これも灌頂受者の理解に合わせて中級ほどのものなのである。

チベット僧院内では、もっとさらに難解高度なレベルの法話を僧侶に向けてなさられているのである。論理学をしっかり学んでいなければ全く理解ができない。

20年中観を学んで、私などまだ今、ミニ法話でアップした内容程度のレベルなのであり、情けない。