日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

帰りました

2019年09月18日 | 旅行
ただいま。

遠くに行きたい気持ちになって、遠くに行ってきました。

遠かったけど遠くなかった。
長い移動時間も退屈しなかった。
初めてだったけどすぐにくつろいだ。

熊野は深呼吸しやすい場所でした。

自由時間もあまりなかったので、帰ってきた家で今はぼんやりを楽しんでいます。

ゆるゆる緩んで浮かんできたら、また書きます。






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ネガティヴケイパビリティが生成するもの

2019年09月15日 | 命について
聞き手が話し手との間で場をホールドする。

それが話し手の表現する空間を用意する。

それと同じように少し大きなスケールで、物事が展開する時間と空間を担保するということがあるのではないか。

可能性の強弱と幅を、死角も含めた奥行きを、用意する。

何にもしないように見えるけれど、何にもしないことではない。

ただ漫然と待つことではない。

とても丁寧に繊細な高いクオリティに意識を広げて保持すること。

口にしない言葉
起こさない行動

恨みや禍根を残す形ではなく
可能性の全てを受け入れて包み込むかたちの

ネガティヴケイパビリティは余白を、余地を作る。

(自分にとって都合のよい型を用意して誘導しようとすることではない)

(何かを恐れ何かを期待することは図に過ぎないので地を作らない)

対象のものが広がりたいように、表現したいように、展開していくための空間を開けておくこと。

その一番底にあるのは、どうなったとしても共に結果を引き受けるパラシュートの大きさ、責任と覚悟。

それは、もしかしたら、祈り。

私がいる今ここも、何かだれかあるいはわたしが用意した祈りの時空なのかも。









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熊野

2019年09月14日 | 旅行
雨がざあざあ降っている。

深い木々。

古い山。

そうか、終わっていくものもあってもいいのかもしれない。

生まれて成長して繁栄することだけに意味があるわけではない。

深く受け止め不動である背景がありさえすれば。

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出会うところ

2019年09月12日 | 出会った人たち
誰とどんなこと話すのが楽しい?ってウタコが聞くからちょっと考えてみた。

えーと、どうなんだろう。

ウタコと話すのが楽しいよ。

うーんと、でもなにかちがう。

なにを話すかは関係ないかも。

その人と自分がいるとその二人じゃないとあかない扉が開く。自分と相手が出会ったところから生まれてくる、シュワシュワとした何か。あちらでもこちらでもない新しい局面。

それが面白くて楽しい。





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台風の匂い

2019年09月09日 | 日記
夜の間に通っていった台風は、今までで一番くらい風が強かった。山を背負っているので普段あまり風を感じない家なのに時々ガタガタ揺れた。

鳥や虫や動物たちはどこでどうしていたんだろう。

夏のように強い日差しの朝、家の前の道を掃いていたら40リットル入りのゴミ袋がすぐにいっぱいになった。

ちゃんと葉っぱの形をとどめているのは少なくて、ほとんどがビリビリに破けた葉っぱのかけら。時折混ざっているイチョウはこの辺では見かけないのにどこからきたんだか。

「お母さん、外が中国茶の匂い」と娘が言う。

ほんとだ。

窓の外から、高級で美味しい凍頂烏龍茶の香り。












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