前回のポエミーなんだけど
一見、自分を抑えて良い人になって
できた人は違うわね、っていう
いい話っぽく感じるでしょう?
違うの。
これは考え方の効率化、最適化の話なんです。
恐ろしく使える認知モデル、
でもあるんですよ。
自分の感情や文化的なバイアスを最低限に押さえて
自分に自分の成長を邪魔させない。
さらに決して相手の物語に巻き込まれない。
相手にそれを許さない。
自分と他の人の課題をごっちゃにしない。
どんな経験も自分の糧にしてしまう、
何からも学んでしまう、
最も自分の役に立つやり方なんです。
多分ね。
必要なのは自らの意思でテーブルにつくことだけです。
一見、自分を抑えて良い人になって
できた人は違うわね、っていう
いい話っぽく感じるでしょう?
違うの。
これは考え方の効率化、最適化の話なんです。
恐ろしく使える認知モデル、
でもあるんですよ。
自分の感情や文化的なバイアスを最低限に押さえて
自分に自分の成長を邪魔させない。
さらに決して相手の物語に巻き込まれない。
相手にそれを許さない。
自分と他の人の課題をごっちゃにしない。
どんな経験も自分の糧にしてしまう、
何からも学んでしまう、
最も自分の役に立つやり方なんです。
多分ね。
必要なのは自らの意思でテーブルにつくことだけです。
そこで考える。
私の場合は、テーブルにつくというより、ここまでの記録を見直す感じだな。やったこと言ったこと、思っていたこと感じていたこと。
で、ああここにバグがある。と納得する。
テーブルにつくように軽やかに明るい感覚も、いいねえ。
自分なりの視点を身につけられれば。
そのやり方もいいね。
デジタルな感じでせすならしい。
本来ちっともデジタルな人間じゃないんだ。たくさんの経験を積み上げてきて、できた形なんだよ。
そのことを思うと、ああ自分はここまで頑張ってきたんだという気持ちが自然にあふれて泣きそうになるよ。
若い頃なりたかった人間に、自分がなっていることに、素直に感動する。
一生懸命努力して、なりたい自分になったんだね。
よかったね、せすな。