ついに娘の実習が本格的に始まった。
帰ってきて1日の話をしてくれる娘を遮って聞く。
「え、ちょっと待って。なんて呼ばれるわけ?」
(わかっているけど)
「(ていこ)先生って。一人称はたまに先生」
!!
どうしよう。
私から生まれし者が「先生」。

ついに娘の実習が本格的に始まった。
帰ってきて1日の話をしてくれる娘を遮って聞く。
「え、ちょっと待って。なんて呼ばれるわけ?」
(わかっているけど)
「(ていこ)先生って。一人称はたまに先生」
!!
どうしよう。
私から生まれし者が「先生」。
娘 「少しじゃないじゃん」
私 「まあそうかもしれない」
娘 「でもありがと、作ってくれて」
私 「どういたしまして。
まあお弁当作らない時点で
お母さん失格だけどね!」
娘 「いいじゃん作んなくったって
二人ともしあわせなんだから」
私 「そうだね!」
娘 「にがい…」
私 「ごめーん、カラメル部分と思ってくれる?」
なにもすごいことしなくていいよ
誰かと比べたり
心がよそにいったりしないで
ちゃんと一緒にいられたら
笑ったり怒ったりたまに泣いたり
そんな風に暮らせたら
人と人が共にあること、の中
そこで暮らせたら
育てたら
それでいいんだ
学校(数年ぶりに通い始めて2年目)から帰ってきた娘が石のように重たい荷物を下ろして言う。
湿度が苦手なので今の季節は応えるんだろう。
おやつを食べながら、友だちのこと、先生のこと、授業のことを話して、私に聞く。
「あのさ、学校また行けなくなると思う?」
(?まだそう思うのかな、と思いながら)
「そんなことはないんじゃない?
やめることはあったとしても」と答えたら
「違うよ、コロナでだよ。」
(あ、そうか)
お世話になった方に頼まれて「ホームエデュケーション」がテーマの講義で娘が少しお話をした。
娘はだいたいこういうのはお引き受けしている(足を向けて眠れない人たちのお願いだし)
話す要点を一通りメモしておいたらいいかなと準備もした。
なんでも思うように話したらいいよと言ったけど、ちゃんと時間内でまとめて話せたようだった。
オンラインの向こうにはちょうど彼女と同じくらいの年の人たちがいたはず。
学校に行かなかった時期がある以外みなさんと何がちがうかなと思いをめぐらせてみるに、娘ほど「自分であること」「ここで生きること」と長く激しく格闘してきた人は多くないのではと思う。
多分いつかは誰もが覗き込む深い淵のような鏡を、もう馴染み深いものとして自分で抱えて立っている。
「勉強だけが学びではない」
私もそう思う。