ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

三峯神社と醍醐の池(三角扁額の神社)

2015年07月23日 15時52分27秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)


●神社名 三峯神社
●鎮座地 宮城県栗原市若柳字川南道伝前113
●主祭神 伊弉諾命、伊弉冉命
●由 緒 不詳(調査中) 三峯神社の由緒は基本的に同名他社と同じだと思われます。

境内に弥々麻醍醐の池並びに五輪塔あり、町文化財に指定されている。





現在の若柳の地は、古くは大小の沼が連なる地で、この地の醍醐ヶ池には、次のような伝説が伝えられている。

南北朝期、北畠顕家は奥羽に南朝勢力を築き、一時は京に上り足利尊氏を敗走させたが、その後和泉の 石津で戦死した。これを知らない顕家夫人と禰々麻、醍醐の姉弟は、父を訪ねて京より陸奥に向ったが、途中夫人は病没し、従者たちもはぐれ、残るは幼い姉弟と従者一人だけになってしまった。

姉弟は、父の消息をつかめないまま草深い陸奥国をさまよい歩き、この地の沼地に迷い込み、醍醐は姉の禰々麻ともはぐれてしまった。醍醐は姉を探し幾日かこの地をさまよっていると、この沼の水面に浮かぶ姉の姿を見つけた。姉の姿を見た醍醐は、朦朧とした意識の中で、うれしさのあまり沼の中に飛び込み、そのはかない命を閉じたと云う。

上記の説明は、ネット上でこれしか見つかりませんでした。
後日、図書館にでも行って調べてきます。

今回、この神社に行った理由は、神社名でもなく醍醐の池が目的でもありませんでした。

鳥居に掲げられた三角扁額の存在です。
今まで、三角扁額の理由を漠然と追い続けています。
左サイドバーにリンクしていますが、ホームページの神社&仏閣にリンクしています。

三角扁額の神社は現在7ヶ所を記事にしています。
この神社を教えていただいたのは、「ございん石巻」というフリーペーパーのスタッフさんからでした。
以前お世話になり、昨年の4月号・5月号で自分のブログを紹介していただきました。

その時のページです。










醍醐(大五)ケ池






五輪の塔は地震の時にずれてしまったようですね。



境内には石碑などが並んでいたが、倒れたままのものが多く見受けられました。







今のところ太平洋側の海沿いに多かった三角の扁額ですが、初めて内陸での発見でした。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
栗原市にあるなら・・・・。 (綱永井寵生)
2015-08-01 01:41:55
三角の扁額は「津波が来たらここに逃げろ」の印ではと思いましたが、栗原市の三峯神社にあるなら違うのでしょうかねぇー。

三角はアイヌ語で「イセポ」。兎も「イセポ」と言います。白波は兎に見えるからだと思います。
兎と言えば八幡神ですが、ここでは関係ないかも知れませんね。

波乗り兎は浪を抑える。強いては水伏せを意味する。
栗原市の三峯神社の周辺に川等があるなら、川の氾濫を封じる思いが三角の扁額に表れたのかも知れません。

うーん、苦しいかな。やっぱり難しいですね。
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綱永井寵生さんへ (ひー)
2015-08-01 07:33:57
若柳の町史にヒントがあるか調べてみます。
何故敢えて三峯神社なのかも気になりますが、三角がたまたま単なるデザインでもありうるわけですが、他の内陸にある神社日本海側や宮城県以外の地ではまだ発見されていません。
新たな神社を見つけないとなかなか真実にたどりつきませんね。
返信する
Unknown (あず)
2016-06-09 11:23:06
いつもブログを拝見しています。

亘理町の鷺屋神社にも三角扁額があります。
ttp://www.panoramio.com/photo/131044473

三角扁額と津波との関連、なかなか興味深いですね。たしかに先の震災でも、鷺屋神社が鎮座する付近まで津波が到達しました。
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あずさんへ (ひー)
2016-06-09 19:09:06
コメントありがとうございます!
またいつも御拝読頂き、そして貴重な情報ありがとうございます。

やはり宮城県の太平洋沿いですね。
近い内に、訪問したいと思います。
私一人の力では限界があり、調査も滞っています。
石工さんの遊び心なのか? ただの流行なのか? それとも重大な理由が隠されているのか?
神社を含め、古代史に至るまで色々追及しています。
またコメント頂ければ幸いです。
返信する
Unknown (あず)
2016-06-11 01:12:49
私の知る限りですと、あとは遠刈田温泉の刈田嶺神社里宮の第二鳥居も三角扁額のようです。
http://www.panoramio.com/photo/40667490

津波で被災して現存しているかは不明ですが、山元町に鎮座する青巣稲荷神社の震災前の鳥居にも三角扁額がついていたようです。
http://www.panoramio.com/photo/73311763

同じ石工さんが作ったものなのでしょうか?いろんな地域にあるようなので、本当に謎ですねぇ。
返信する
あずさんへ (ひー)
2016-06-12 20:39:17
ありがとうございます。
最近はチョットあきらめていたのですが、ありましたね。
今月は忙しいので、来月に回ってみたいと思います。
貴重な情報嬉しいです。
また、やる気が出てきましたよ。
取材が終わったら、HPで三角扁額のページを作りたいと思います。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-11-09 10:12:35
いつもありがとうございます!

わたしも、ずいぶん前から
不思議に思っていました。
御山であろうか、運河にも近い。

昨日、古川神社と、小泉不動尊(江合川近く)に
参拝してきました。
こちらも、三角扁額です。

わたしの仮説は、
天地開闢のあと、出現した、
造化三神を表したではないか、
と思います。
これには、国府多賀城と、坂上田村麻呂の関係も
否定できません。
まだまだ、いろいろなものを
読まないと、ダメですね~(´・ω・`)

楽しみにしております!
返信する
コメントありがとうございます (ひー)
2019-11-10 15:25:47
もう一か所石巻にあるのですが、いずれ調べたいと思います。
何故宮城県だけなのか? ほぼ海側に多く内陸で一番奥は今のところ遠刈田ですね。
理由があるのか? 石工大工の流行なのか?
謎はまだあかされていません。
想像すれば色々な理由をあてられますが、やはり裏付けが必要ですね。歴史学者は時代背景のを考え想起します。考古学者は証拠を持って歴史をひっくり返します。
歴史の番組で歴史学者が話していました。
一番怖いのは考古学者です。と・・・
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