平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

平塚らいてう(2)

2005年03月14日 | 最近読んだ本や雑誌から
元始の女性を太陽にたとえた一文について、らいてうはのちに次のように説明しています。

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 ここにいう「太陽」――大円光体――は、いうまでもなく生命の根源の象徴であり、「隠れたる我が太陽を、潜めるわが天才を発現せよ」とは、各自がその自我の当体に到達することによって、失われた女性の生――創造力――の全的回復を求めたものであります。
 わたくしは、たまたま縁あって坐禅をやり、見性といわれる心的体験を通して、その境地に入りましたが、どんな道からでも極限に到達すればおなじであると信じていますから、読者から狭い意味に受けとられることを気づかって、禅という言葉を意識して使わないようにしていました(この場合だけでなく)。
 人間の偉さ、他の動物と区別される偉大さは集注力をもっていることだとおもいます。このすばらしい心の集注力で、人間は生命の本源を究め、宇宙と一体となり、大きな充実感のなかから無限の能力をいくらでもひきだすことができるのです。それだけに、女性は長い歴史のなかで、この集注力を失い、失わないまでも微弱なものにされ、現在見るような独立性のない無気力な存在になったのだから、わたくしたちはあきらめたりしないで、自分の努力でこの力をとりもどし、内に潜んでいる偉大な能力を大胆に打ち出してほしいといったわけで、つまり、女性の未来に大きな希望と期待をかけ、まず各自の内的革命を促したのでした。
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 らいてうは、ただ単に女性の社会的地位の向上を求めただけではなく、女性の「内的革命」、精神的覚醒を促したのでした。