平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

遺伝子と因縁因果(5)

2005年03月04日 | Weblog
さて、仏教的な因縁因果論では、人間の運命を過去世の「業(カルマ)」によって説明します。

カルマとは「作用」「行為」といういう意味のサンスクリット語ですが、やはり仏教辞典によると、この語は、

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輪廻転生をあらしめる一種の力として、前々から存在して働く潜在的な「行為の余力」を積極的に示すようになった。
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といいます。

これによりますと、業は「行為」に伴って生まれる一種のエネルギーで、それが輪廻転生の因になるということです。

人間が生まれる環境、たとえば性別、時代、地域、親、体質、容貌、才能などの環境素因は、生まれたときに決まっていて、自分ではどうにも変更できないものです。これは、業、つまり過去世の「因」によって定まると考えられます(もちろん、霊的に見ると、そこには生まれる前の自分の意志も関係してるわけですが)。

生まれながらに自分に与えられた素因は、その人の一生を大きく左右します。姓名判断とか占星術とか四柱推命学とか手相見などのような運命学は、その人の一生を大まかなところで推定できるわけですが、それは過去の原因から未来の結果を予測していることになります。

業は、その人の一生の運命を定める、いわば霊的遺伝子と考えることができます。しかし、人間の運命は、業によって完全に支配されているわけではありません。

肉体的遺伝子でさえ、外的条件の違いによって作用のしかたが大きく変化します。霊的遺伝子である業も同じではないでしょうか。業もまた、環境、すなわち縁に出合うことによって、はじめて現実化するからです。

そうすると、いわゆる因縁因果を、機械的な原因結果論と考えるのは単純すぎるということになります。人生における縁はまことに複雑多岐で、どのような縁に出合うかによって、果がまったく異なったものになりうるからです。たとえ過去世で悪因を作ったとしても、悪縁を作らなければ、それは悪果として現われない、ということも可能なはずです。それは、ガン遺伝子を持っていても、ガンにならないですむのと同じことです。因縁因果とは、運命は決まっていて変えようがない、という宿命論ではないということになります。

遺伝子の場合、遺伝子を発現させる外的刺激は物理的、化学的、精神的の3種類に分けられますが、霊的遺伝子(業)の場合、縁(外的条件)について、物理的と化学的はまとめて物質的と考えることができます。物質的な環境、たとえば、食べ物、運動、住居、居住地などによって、外的条件が変わり、果の現われ方が変化すると考えられます。

そして何よりも、精神的条件が果の現われ方に大きな影響を及ぼします。