平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

無言館

2005年03月21日 | Weblog
3月20日、東京駅丸の内出口にある東京ステーションギャラリーで、無言館の絵画展を見てきました。

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp

もっと早く知っていれば、皆さんにもこのブログで早めにお知らせできたのですが、私が行けたのは、東京での展覧会の最終日でした。

私がこの展覧会のことを知ったのは、久米信行さんという方のブログの3月15日の記事でした。

http://plaza.rakuten.co.jp/enginekimyo/diary/200503150000/

ステーションギャラリーのHPの説明にもあるように、無言館というのは、長野県上田市の郊外にある戦没画学生慰霊美術館のことです。(インターネットで検索すれば、いくつか紹介サイトが出てきます)

いずれステーションギャラリーのHPも変更されると思いますので、このサイトの「展覧会概要」を引用しておきます――

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平成17(2005)年は終戦から60年となります。戦争中、数多くの若い生命が戦地に駆り出され、戦場のツユと消えました。そうした中には、画家になることを一心に夢み、生きて帰って絵を描きたいと叫びながら死んでいった一群の画学生たちがいました。

戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、そうした画学生たちが遺した作品と、生前の彼らの青春の息吹を伝える遺品の数々を末永く保存・展示し、今を生きる私たちの精神の糧にしてゆきたいという画家・野見山暁治氏(昭和18年東京美術学校卒・東京芸大名誉教授)の積年の希いをもとに、平成9年「信濃デッサン館」の館主・窪島誠一郎氏が、その分館として全国3000余名にもおよぶ協力者の芳志により開館したものです。

また、無言館がオープンしてからその活動に賛同する新たな戦没画学生の遺族による作品の寄託希望が相次ぎ、その数は600点を超えるまでになりました。絵を預けながら展示スペースの関係で未だ展示されていない遺作も数多くあります。

本展はそれら収蔵作品の中から未陳の作品を中心に、他館の戦没画学生の収蔵作品も併せ、58名の約130点の日本画・油彩・彫刻などの遺作と遺品資料を展示します。

「卒業をしたら戦地に引っ張り出される、まして戦地に行けば帰れないかもしれない、と分かっている。分かった上で、なおかつ絵を描く喜びに燃えていた」画学生のひたむきで初々しい情熱に溢れた気持ちが、平和な現代の我々に切々と訴えてきます。現代人が忘れかけている「家族の絆」や「ふるさとへの郷愁」、「生きている喜び」など人間が本来的に持つ濃密な感情といったものを、多くの遺作を通して感じ取っていただければと思います。
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絵それ自体は、芸術作品としてレベルが高いものではありません。しかし、1点1点から、魂の叫びが伝わってきます。久米さんも書いているように、涙なしには見ることができません。

絵と並んで、作者の写真と略歴が紹介されていますが、だいたい私の父と同じ年代から、それよりも10歳くらい上の方々でした。

私の父は大正11年(1922年)生まれで、徴兵されて満州に行きました。終戦直後、ソ連軍に抑留されましたが、シベリアに移送される直前に仲間とともに収容所を脱出し、奇跡的に一人だけ日本に逃げ帰ることができました。父の多くの戦友は、脱走途中に殺されたり、シベリアで死にました。

戦死した画学生たちもみな、私の父と同じように、日本に生きて帰り、家族と再会し、人生を完うしたかったに違いありません。そして再び絵筆を取り、絵を描きたかったに違いありません。

私の父が生き残ったのは偶然か天意かわかりませんが、ともかく奇跡であり、その奇跡の背後には無数の死が積み重なっています。父は、多くの戦友たちの犠牲によって、その代表として生かされたとも言えます(父は、死んだ戦友たちに対して申し訳ない、という気持ちから一生離れられなかったような気がします)。ということは、息子である私の生もまた、彼らの犠牲によって存在しているということになります。

このことは、私だけではなく、今日のすべての日本人に当てはまることなのではないでしょうか。先の大戦では、軍人であると民間人であるとを問わず、多くの日本人が殺されました。生き残った人々も、いつ死んでもおかしくはなかったはずです。生存者は、死者の犠牲の上に生を与えられたのではないでしょうか。戦後生まれの人たちも、彼らの犠牲によって生かされているのです。

そうであるならば、私たちは死者たちに対する感謝と敬虔な祈りを忘れてはならないと思います。そして、彼らの分もこの人生を有意義に生き、日本を、世界平和のために真に貢献できる立派な国に育て上げるように努力すべきであると思います。

ある戦争未亡人は、

 かくばかり みにくき国と なりたれば
   捧げし人の ただに惜しまる

という歌を残しました。

今日の私たちは戦没者たちに向かって、「あなたたちのおかげで、日本は、世界中から尊敬されるこんなに素晴らしい国になりました。どうぞご覧下さい」と胸を張って言えるでしょうか。

ただ自分の欲望と快楽の追求に明け暮れているのでは、死者たちは「私たちは何のために死んだのだ」と私たちに詰問することでしょう。