平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

アインシュタイン(2005年2月)

2005年03月02日 | バックナンバー
 今年二〇〇五年は、アインシュタインが特殊相対性理論を発表してから百年目に当たる。E=mc2という公式で知られるこの理論は、質量がエネルギーに変換されることを述べている。アインシュタインは当初、この現象は原子核の放射性崩壊のような微少なレベルでのみ起こりうると考えていたが、やがて彼の理論を実用化する形で、原爆や原子力発電所が造られるようになった。二〇世紀は核エネルギーの時代となった。

 原爆開発のきっかけを作ったのもアインシュタイン自身であった。一九三九年八月、彼は数名の科学者たちの代表として、アメリカ大統領ルーズベルトに原爆の製造を進言した。ドイツ系ユダヤ人である彼は、ナチス・ドイツを逃れてアメリカに移住していたが、ユダヤ人迫害を進めるドイツが、原爆開発に着手したとの情報に接し、強い危機感をいだいたのである。

 一九四五年に原爆が完成されたときには、ドイツはすでに降伏していた。日本の敗戦も間近と見られていた。もはや戦争で原爆を使用する必要性はなかった。しかし、同年八月、広島と長崎に原爆が投下され、数十万人の一般市民が一瞬のうちに殺害された。彼の個人的責任ではないとはいえ、一九二二年に訪日し、親日家であったアインシュタインにとっては、痛恨の事態であった。

 元来、平和主義者であったアインシュタインは戦後、いっそう平和運動に力を入れるようになった。彼の目標は核兵器の廃絶と世界連邦の樹立であった。一九五四年、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験に危機感を深め、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに「ラッセル=アインシュタイン宣言」という平和宣言を出した。この宣言から、パグウォッシュ会議という科学者の平和会議が生まれ、湯川秀樹博士もその一員になった。アインシュタインは人類の行く末を憂慮しつつ、五五年に死去した。

 世界には今なお、アメリカ、ロシア、中国など、核兵器を保有している国がいくつかある。北朝鮮の核兵器開発疑惑、さらには実戦で使用可能な小型核兵器を開発しようとするアメリカの計画など、人類はいまだ核兵器と手を切ることができないでいる。核兵器を廃絶し、戦争のない世界を実現するというアインシュタインの理想を、人類はもう一度真剣に思い起こさなければならない。

 そのためには、原爆の最初の被爆国である日本が、アインシュタインの遺志を、「世界人類が平和でありますように」という祈りのもとに世界に訴えかけていく権利と責任がある。今年は、相対性理論百周年、アインシュタイン死後五〇周年であるばかりではなく、原爆投下六〇周年という節目の年にも当たる。