平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

終末論(2003年4月)

2005年03月17日 | バックナンバー
オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしてからまもなく10年になるということで、最近、新聞ではこの事件に関係した記事をよく見かけます。

そこで、オウム真理教に関係したバックナンバーをいくつか紹介します。

オウム真理教は「終末論」を信じていました。というよりも、自分で終末を引き起こそうとしました。それが地下鉄サリン事件であったのです。

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 終末論とはユダヤ教やキリスト教にある考え方で、ごく簡単に言えば、現在の世界が未曾有の大災害や大戦争によって滅亡し、そのあとにメシアが出現して、神の国そのままの平和な世界が訪れる、という信仰である。この大戦争のことをハルマゲドンの戦いという。旧約聖書のエゼキエル書やダニエル書、新約聖書のヨハネ黙示録にそのような終末予言が記されている。

 したがって、終末論を信奉するのはキリスト教系の宗教に多いのだが、キリスト教以外にも終末論を説く宗教は少なくない。現代のように地球の環境破壊が進行し、戦争の危機が迫ってくると、世界の終わりは近いのかしら、とふと考える人もいるのだろう。そういうところに、どうにでも解釈できるもっともらしい予言が流布し、よけいに終末論がはやるのであろう。

 グレース・ハルセル著『核戦争を待望する人びと』(朝日選書)によると、キリスト教根本(原理)主義と呼ばれるアメリカの宗教グループは、終末論が告げる大災害や大戦争を待ち望むという、常識では理解できない期待をいだいているという。これらの人々は、終末が来ても、正しい信仰の持ち主である自分たちだけはメシアに救われるので、早く大惨事が起こってほしい、と願っているようなのである。当然のことながら、ローマ法王など伝統的キリスト教陣営は、原理主義は正しいキリスト教ではないと見なしている。

 レーガン元アメリカ大統領はキリスト教原理主義に影響され、一時期、ソ連こそ聖書に書かれている「悪の帝国」であって、現代に米ソの間でハルマゲドンが起こると信じていたらしい。そんな終末思想の持ち主が核兵器のボタンを管理していたのであるから、危険きわまりないことであった。

 だが、このような信仰は、宗教という名前はかたっていても、自分たちだけが救われればいいという一種のエゴイズムではないだろうか。世界の危機が迫っているからこそ、宗教者は、自分たちだけの救済を願うのではなく、人類全体の平和のために真剣に働かなければならないと思う。ハルマゲドンが起こってからメシアが現われるのでは遅すぎるのである。

 予言書に何が書いてあろうが、人類の未来は変更不可能な形で確定されているものではない。物質の世界でさえ、量子力学がニュートン力学の機械的世界運行を否定している。意識が作用する人類社会は、心の持ち方でどうにでも変化しうるものであり、一義的に定まったものではない。私たち一人ひとりが明るい未来を信じて、人類愛の心と平和への意志を世界平和の祈りに結集すれば、終末の世を大災害なしに乗り越え、世界平和を築くことが可能である。西園寺昌美・アーヴィン・ラズロ著『あなたは世界を変えられる』(河出書房新社)という本の題名の通りなのである。