マスコミ報道の在り方。

2006年11月10日 | 世間いろいろ
我々が今情報を収集している端的手段は、TV、ラジオ、新聞、ネット等々だろう。ただ僕がいつも思って近場の知合いに言うのは「情報処理能力」だと思う。港区、渋谷区にいいお店があっても行く人、行かない人、行く、行かないは自分の生活に全く問題はない。
ただニュースって一斉に同時間に可愛い?女子アナがニュース読んでいても、俺あれ凄い報道で辛いと思う。ネタないとグルメ系とかやるでしょ。1,000円以下のランチとか、ラーメン紀行とか。逆にメタボリ料理とか。わからんな。視聴率が全てなのかな?辛い事故、事件を毎日のように伝えたら頭が混同すると思う。(俺なら)飲みに行ったり、不満言いたくなると思う。俺がもしキャスターで毎日毎日辛いニュース読んでいたら凹むよ!!ただね海外も日本も大抵、同時間一斉にニュースをやる。見れない人がいたら夜みるけれどリアルタイムでない。それはいいけれど何に関心が有り、無関心かの処理能力は大切。でもそれが分からない人は一杯いる。でも「これ!!」的関心事は把握したい。
俺がもう一度言いたいのはマスコミが取り上げれば取り上げると遺憾な事件、事故が増える気がするのよ。飲酒運転にいじめ。ほっとければ減るとは言わないが助長している気がする。だから一斉にやるニュースなんか俺は見ない。自分が必要とし、良い、悪いを自分で考える情報(能力)は大切。でも助長したり過激にあれもこれもの報道が辛いし遺憾だし、「仕事」と言えばそうだけれど、助長し過ぎてしまう報道が返って意識を悪に高める気がするんです。「国家の品格」の著者、藤原 正彦氏も同じようなこと言っていたような・・・。