昨日のブログは仕事の話。
実感の沸かないお正月の過ごし方等を紹介しました。
今日は、1月5日付の地元朝刊紙宮日ことば巡礼から
「勝っても負けても明日は仕事だ」より引用します。
仕事、仕事と続いて、結局行き着くところも仕事場。
確かに自分でもそう思うことが記されてますが、
内面的にハッピーでも落ち込んでいても・・・。
作家の北尾トロさんの「ガラスの五十代」を
コラムニスト・秋庭道博氏が解説。
以下、その文面を紹介します。
>自分の仕事を持っている人は、だれもが、
その仕事を中心に、日々を送っている。
だから、食事をしても、睡眠をとっても、
休憩時間の後でも、かならず仕事の場に戻ってくる。
そのことは、仕事が生きがいという人も、
生活のためにいやいや仕事をやっている人も同じ。
だから、ゴルフやマージャンで勝っても負けても
競馬や競輪で勝っても負けても、
こころを寄せる相手に
受け入れられてもフラれても、
それとは関係ないような顔をして、
それぞれに仕事を続けていく。
(と、賭け事や恋煩いの時でも
仕事に向かうというたとえは、
全く関連がないけれど面白いなぁ)
>もちろん、だれもが、勝てばうれしいだろうし、
負ければ悔しいだろう。
また、場合によってはヤケにもなるだろう。
(ここで賭け事、恋煩いに関連が、なるほど)
しかし、そういう内面に関することは表に出さず、
それぞれが何事もなかったかのような顔をして、
仕事は、今日も続けられていく。
だから、いつものように仕事をしていて、
いつもと変わらないように見える隣の人のこころの内は、
外見からの印象と同じではなかろう。
毎日、同じように見える職場の人たちも、
決して同じではない。
なるほどねぇ。
それを表に出さないのが仕事人でありますか。
内面的にどうであるかは本人のみぞ知る。
意味深な言葉です。