おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

現在活発に動いている地域通貨について

2005年06月05日 20時29分22秒 | Weblog

平和党http://www.heiwatou.jp

ソビエト連邦をはじめとする社会主義が倒れたのは、資本主義にしようとしたからである。現に、「社会主義でいこう」としている国は、その善し悪しは別として、いまだに存在している。北朝鮮のように行き詰っている国もあれば、ソ連の援助がなくなったにもかかわらず、キューバのようにうまくいっている国もあり、中国やベトナムのように資本主義を部分的にとりいれて成り立っている国もある。旧ソ連と国境を接するモンゴルを除けば、アジアにおいては、東側の崩壊に関わりなく、社会主義はいまだに残っているのも意思があるからである。

つまりは、「自然とこうなる仕組み」になっているのが自然の摂理であり、多くの人が、「人工的にこうしようとする仕組み」になるのが資本主義経済であり、社会主義経済である。

したがって、国民の総意があれば、日本経済をマイナス金利にしようとすればできる。宝石・貴金属が投資価値を持つということもなくそうとすれば、その意思によってできる。外国貨幣への代用も世界各国が資本主義を止めればできる。それを証明するように、このゲゼル理論は理論だけにとどまらず、実際に世界恐慌後のハイパーインフレ時代に、オーストリアの自治体で実践され、効果を上げた。オーストリア国内の町役場から、年利マイナス12%(年損12%)の擬似通貨が出回ったことで、経済循環が活性化し、失業が克服されている。ところが、この非常識経済は国家が禁止し、以後復活することはなかった。

世界の人々がこの制度に賛同し、すぐにも政策として採用するということは今のところありえないと思われてきた。これを実現するためには、いかにこの金融資本主義が、経済と環境と教育と福祉と安全と政治とその他もろもろのあらゆる分野を破滅に導いているかということを説得するか、その崩壊を待たなければならない。もしくは、国家の力によるのではなく地域の力によって成し遂げられるであろう。

現代は、資本が支配する経済であるのだから、マイナス金利政策は自分たちに不利なことであるという常識がある。その常識により恩恵を受けている彼らが、自らその常識を壊すことは考えられない。あるとすれば、資本主義経済がいよいよ行き詰まり、世界的な混乱が生まれ、どうしようにもできなくなったときに他力によって起きるであろう。

かといって、わざわざ意図的に世界的な混乱を起こすわけにもいかない。いずれ、そうなるであろうとは思うが、その日がくるまで、この現在非常識かつ未来新常識の経済理論を打ち立てる経済学者がぜひとも必要である。そこで今、民主政治ができることとして、固定概念をぶち破る「新たな通貨」という経済制度を取り入れることが必要になってくる。その前に貨幣並びに利子とは何かについて考察してみたい。

利子は消費という得を捨てて、貯蓄・投資することによって元金にプラスされていくものである。貨幣は信用によって成り立つということである。反政府主義者ですら、政府発行の日本銀行券を使って行動をするのは政府発行の貨幣を信用しているからである。だからこそ、この貨幣は強い。その強さは、転用力にある。

例えば、日本でレストランに入れば、客の立場は上である。ウェイトレスは飛び切りの笑顔でお客様を迎える。傲慢な客の場合、サービスの足りなさを不満として店員に文句をつける。店員は平身低頭、客の満足できるよう我慢しなければならないというのが、我々が今生きている資本主義経済の常識である。

ところが、市場開放以前の中国では、客がきても、店員は無愛想である。水でさえ頼まなければもってこない。

社会主義は平等であるべきだと言い、労働者は尊いものだと考えるため、中国のようなことが起きる。これに対して、資本主義は貨幣を持つ者の力が強い。レストランは食事を提供するという能力しか持たないが、貨幣の力はレストランに行こうが、ラーメン屋に行こうが、スーパーで買い物しようが、カラオケで歌おうが転用力をもっている。

したがって貨幣を所有する客は、彼がその支払いを拒まない限り強いのである。この貨幣は、多くの人々が価値あるものだと信じ込むことによって成り立っている。人々がある日からそう思わなくなったら、日本銀行券はただ単に紙きれにすぎない。むしろ銅でできている十円玉の方が、電導能力を持つわけだから、自然物理学としては利用価値として高かろう。それが高価値を持つのは人為的な信用という力である。

古代ゲルマン社会では牛が、バイキング時代のバルティック沿岸地方ではリンネルの布地が、十八世紀ピレネー山脈のカタラーナ地方では穀物入りの袋が、古代中国では子安貝が、十六世紀日本の奈良では米が貨幣としての役割を果たした。これは、その地域共同体に属する人々が、「貨幣として利用しよう」という合意、共同体の意思によってできているものである。

これらは持ち運びに不便であり、分割が難しいものもあり、品質が落ちる場合もあるため、金属貨幣(金、銀、銅)を利用するようになった。地域共同体から徐々に国家のレベルになり、紙幣が登場してくる。

やがて、金本位制度から管理通貨制度に変わり、政府が貨幣発行量を管理する時代が現代である。このことにほとんどの人は疑問を抱かない。お金とは、政府が取り仕切るものではないはずである。お金とは政府によらず、民間で発行してもよい。それは信用がないというのなら信用を作ればよい。市場経済はもともと信用によって成り立っている。民間で発行する貨幣も信用によって成り立つことができる。ましてや、国家という信用はいまや薄れている。やがて、地域レベルで通貨を発行することが起りうるだろう。現にいま、商店会レベルでは各地にEマネーと呼ばれる地域通貨がうまれてきている。

全ての通貨発行国家が信用を失えば資本主義は崩壊する。崩壊過程は、自国の通貨が他国をしのいで打ち勝とうというところから始まる。自分さえよければよいというところに発端する。自他ともに繁栄するためには、現在の競争的通貨制度では成り立たなくなるであろう。

現在、資本主義時代の末期を迎えた我々は政府発行の貨幣・通貨に踊らされている。どちらもお互いに助け合い、生きているという思いがなくなっている。これを克服する方法の一つが民間発行の地域通貨というものである。




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