山の頂から

やさしい風

短編習作・「イヤリング」

2009-01-22 10:28:05 | Weblog
  昌枝は夫と二人、小規模に鋳物工場を営んでいる。
いや、正確にはシゲさんという職人が一人いる。
間もなく70に手の届くこの道50年の男だ。
安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をこなす昔堅気の職人と云える。

 夫の武史は50歳半ば、これまた仕事一筋に生きている。
このところの世界的な経済の低迷で仕事は大分減ったが、
夫とシゲさんの製品の出来の評判はよく、
そこそこに、古くからの取引先から注文はきていた。
昌枝は経理を担当しているが、最後の製品の磨きでも奮闘しているのだ。
少し前までは年に1~2回、温泉に行けたが、
このところ温泉どころか買い物も控えている。
まあ、贅沢をしなければ何とか食べてはいける、そんな状態である。
子供は女子が二人、それぞれに自立して生活をしている。
この先、誰も家業を継ぐこともないであろうと思うが、
考え出すと気持ちが沈むので、極力考えないことにしている。

 夫と同じように、これといって趣味のない昌枝だが、
最近、ソ・ドヨン主演の韓流ドラマに填まっていた。
片方のイヤリングを落としたことから、
一人の男をめぐって女が二人、
泣いたり喚いたりのドラマが展開する物語に、
どっぷりと浸かり、その時間帯だけは現実を忘れられた。

 「どうも、お騒がせして悪かったわぁ~」、
栃木弁丸出しの電話の声に聞き覚えがあった。
「碌でもないイヤリングだけど、問題になったら大変だんべぇ」、
ああ、建具屋のカミさんだと判った。
先月、武史が青申会の集まりに彼女と他に2人の女の同乗を頼まれ、
鬼怒川温泉へ出かけた。その際、車の中にイヤリングを落としたらしい。
それが、ついさっき見つかり武史が届けてやったのだ。

 炬燵の一方でトドのごとく鼾をたてて転寝をする夫の武史。
と、突然、猫のポポが炬燵を飛び出した。武史の放屁に驚いたのだ。
薄くなった頭頂、メタボリックな体型。
どう見ても、ソ・ドヨンには及ばない。
それに、イヤリングの落とし主の決して別嬪でない智子に、
嫉妬心など起こりようもなかった。
さらに己の姿を鏡にうつし小さくため息をついた昌枝。
ああ、イケメンと美女でなければドラマは起こらないんだ・・・
そう実感し、やり残している家事を片づけに炬燵を出た。