山の頂から

やさしい風

お得意様

2007-12-25 15:05:13 | Weblog
 「ありがとうございました~」と美恵は頭を下げた。
何処かで見たことがあると思ったが思い出せない。
そうこうしている内に客で一杯になった。

  美恵は地方銀行の行員。窓口係りである。
高校を卒業し地元の短大を出て入行した。
初めこそ緊張したが6年経った今はベテランの口だ。
しかし、顔が若作りの所為か誰しも新人に見る。

 「オ~イ、橋立君」課長の声で我に返った。
そうだ!さっきの女性はホテルで見かけた客だった。
彼女は学生の頃、ホテルでアルバイトをしていた。
車で一時間の県庁所在地にあるホテルだった。
忘れもしない女だった。
年配の男と連れ立って出て行って直ぐに血相を変えて戻ってきた女。

 美恵は清掃の為、用具を運び入れている最中だった。
女はドアーの前に立って「洗面所に指輪が有ったでしょ!?」と言った。
美恵は未だ洗面所には入ってもいなかった。
「いいえ、未だ部屋にも入っていません」と答えた時、まっすぐ顔を見た。
女は咄嗟にバッグの中を探し「ああっ」と言うや踵を返して小走りに去った。
美恵は女の差すような目つきと態度がひどく不愉快だった。

 課長に呼ばれて側に行った美恵は思い切って聞いてみた。
「先ほどの武田さまは、あの武田産業の・・・?」
すると課長は声を顰め「後妻さんだ。良いとこ出の方らしいが・・・」
美恵は胸がドキドキした。
「良いとこって・・・あの女は喰わせ者です」と内心呟いた。
武田産業の社長は、最近妻を亡くした。
60歳代の奥様を美恵も知っていた。上品で知的な女性だった。
社長には愛人がいるとの噂は皆が知っていた。
奥様を亡くして1年も経たずに再婚したのだ。
それも30歳近く齢の離れた、あの女と・・・

奥様は自殺だった。
「橋立君、お得意様だからね」課長の言葉を背中で聞いた。