北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】くらま除籍一周年,母港佐世保の夜飾る“ほたる茶屋&鳥きん”居酒屋探訪

2018-03-21 20:01:18 | グルメ
■くらま母港の居酒屋探訪紀行
 くらま除籍から明日で一年です。そこで今夜は春分の日祭日という事で護衛艦くらま生涯36年の母港、佐世保の夜を紹介しましょう。居酒屋探訪紀行です。

 護衛艦くらま、ヘリコプター搭載護衛艦第一陣の四隻として建造された一群の護衛艦群、はるな、ひえい、しらね、くらま、第一世代型DDHとしてヘリコプター巡洋艦型の優美な設計は、第二世代の全通飛行甲板型護衛艦とは一風違ったハンサムな艦容に心惹かれる。

 ヘリコプター搭載護衛艦くらま除籍から一年が経ちました。そこで護衛艦くらま除籍にあわせ、佐世保の夜の愉しみを特集しましょう。どうせならいい旅にはいい酒いい肴、佐世保は帝国海軍以来連綿と続き横須賀佐世保は東西の軍港都市として名を轟かせています。

 佐世保、夜の街並みを散策しますと居酒屋の仄かな灯火が風に揺れて軍港情緒を誘うと共に同盟国米海軍の水兵士官が醸す異国情緒が混ざり合い一種独特の気風を織り上げています。名物は多い。レモンステーキに佐世保バーガー、あごだしラーメンに海軍カレーなど。

 鳥きん、佐世保を訪れたならばここは外せない。横須賀と舞鶴で聞きましたお話です。丁度ドナルドキーン博士の話題がNHKで特集されていたお店のカウンターでのお話、よく似た響きの“鳥きん”は妙に記憶に残りまして、佐世保にて当然の様に迷い、難渋したすえ。

 水兵さんに聞こうにも周りは米海軍ばかり、仕方なく博多水炊きのお店の向かいにある交番で聞いてみますと、驚き、お巡りさんも御存じのお店、詳しい道を教えていただきました。佐世保市本島町四丁目というところにあるという。着いてみれば、さっき通った所だ。

 鳥刺盛をひとつ。鳥刺盛ですよ鳥刺盛、とは横須賀の酒場で聞きました、おおなみ乗員さんの笑顔、この横須賀にも無い美味珍味という。その名の通り、鶏肉の御刺身です。生食はいろいろと注意が、の鶏肉ですが、これを鳥刺で出せるだけに余程の自信でしょう。

 はつ・ねっく・すなずり・レバー・とりむね・ささみ、成程鮪や鰹に鯛と魬は平らげてきましたが、この薄桜色と桜色に牡丹色の鳥刺四品盛、いいのかい、とにやけ顔になっている自覚も少々に、生姜を溶かし込んだ醤油にさっと潜らせ、胡麻焼酎片手に早速と頂く。

 初音ミクではなく、はつ・ねっく・すなずり・レバー・とりむね・ささみ、四点盛り、六点盛り、八点盛りとありまして、単品注文も出来るのですが、希少部位は単品注文が出来ず、しかし希少部位は四点盛りからしっかいりと更に並ぶという事で、こちらがお勧めだ。

 鳥きん、その名の通り焼き鳥を中心とした鳥料理のお店なのですが、はつ・ねっく・すなずり・レバー・とりむね・ささみといえば串に刺して塩味か甘辛いタレを炭火で焼きあげる、そんな常識をぽん、と吹き飛ばす、54口径5インチ単装砲の射撃のような衝撃である。

 くらま、こんごう、あしがら、ちょうかい、の佐世保基地、対して、いずも、きりしま、の横須賀基地や、ひゅうが、みょうこう、あたご、の舞鶴基地がありますが、佐世保の鳥刺は、他の基地の街では中々、というもの。よく合うのは胡麻焼酎紅乙女、独特風味だ。

 はつ・ねっく・すなずり・レバー・とりむね・ささみ、驚くのは部位によって歯ごたえと風味が目に見えて個性があるのですね。しかし、九州でいちばんうれしいのは酒飲みに大らか、ということ。ぱこぱこ頂いても周りの視線も気になりませんし、楽しく過ごせます。

 九州は鳥刺の食文化があると共に、度数の高い焼酎文化が盛んです。一説には久留米の幹部候補生学校から陸自幹部が北海道へ焼酎文化を四個師団規模で広めたというほど。何杯飲んでも手頃で、しかも一杯の喉越しが焼け付くような快感、居酒屋を愉しめる秘訣です。

 焼酎は同じでも、九州で頂くと何か違うような、周りも何杯も重ねていますし、そして杯を重ねても気分よく過ごせるのは、焼酎の風土が九州の風土に溶け込んでいるからでしょうか、翌日に響く事は、九州の方々で頂きましたが、快活の翌朝を迎える事が出来ます。

 お茶漬けの味、やはり占めというところはお茶漬けでしょうか。いやあご出汁ラーメンでトビウオの透き通ったラーメンを、という選択肢が一瞬頭をよぎりますし、カレーを食べてない、とも思ったりするのですが、自己完結、お茶漬けとしましょう、なにを頂くかな。

 鯵茶漬けを〆に、出汁を海苔のさざ盛りの真上から注いで、浸したが早いか、箸で一気に掻き込む。だくだくと胃の腑に注ぎ、胡麻焼酎で酔いが廻る五臓六腑を、銀シャリが茶漬けで満たしてゆくところで、店主さんに、やり遂げた顔やねえ、と笑われてしまった。

 鳥きん、佐世保市内はホテルが佐世保駅周辺の多く集まっています。この繁華街にもホテルはあるにはあるのですが、佐世保駅前のホテルは佐世保基地の立神桟橋や倉島桟橋も望見できまして、その夜景も素晴らしい。鳥きん、を出て夜風に浸りながら駅へと戻ります。

 くらま、除籍まで佐世保には、通ったものですが、鳥きん、やはり人気店のようです。満員で一寸待ってネ、という事もありました。吾妻寿司という、軍艦お名前なので寄せられたお店を開拓したり、まあ、予約を入れて来店をお勧めなのかもしれませんが、好い店だ。

 佐世保、好い街です。大村、長崎、佐世保、海沿いの情景と潮風が京都とは全く気風も風情も個性ある、散策して楽しい街です。そして、佐世保は京都から青春18きっぷのんびり旅でなんとか行く事が出来る街なのですね。もちろん遠く、寄り道すると到着は深夜だ。

 京都から舞鶴はちょっと綾部で乗り換えて直ぐの同じ府内の基地、特急で行くのと一時間ほどしか違いません。呉基地は日帰り可能で三時間ほど散策できます、新幹線ですと広島まで一時間半、広島から呉線で五十分、というところ。横須賀ですともう日帰りは難しい。

 ほたる茶屋、佐世保市上京町7-18にありまして、まあ、佐世保駅から繁華街へ10分ほど歩いた場所にあります。実は、ほたる茶屋、京都からの遠さとお店訪問の関係が無関係でありません、上記書きました通り、佐世保に到着した時点で既に深夜も深夜だったのです。

 佐世保駅へ東海道本線山陽本線鹿児島本線長崎本線大村線を、姫路、岡山、糸崎岩国、新山口、下関、小倉、博多、鳥栖、早岐乗換800km、BS-211では深夜アニメが放映開始される頃合いに佐世保駅へ辿り着きまして、一杯やりたいが空いてる店はあるのか、という。

 ほたる茶屋は市内を深夜散策している最中に煌々と赤提灯が灯っていまして、しかし大丈夫かなと恐るおそる暖簾を潜ってみました次第、旅客機や特急みどり号で行く佐世保とはまた違った感慨、やり遂げた普通列車の旅の末でせめて一杯やりたいすがる気分といえる。

 海軍カレーでしたら24時間営業のお店もありますぜ、とは佐世保の常連護衛艦すずなみ、佐世保に何度も寄港するほどに南西諸島警備が大変なのか、という感慨と共に、楽しい情報をお教えいただいたのですが、なにしろビールを頂かなければまあ収まりが尽きません。

 くらま艦影を夜景に望見した直後に、さあビール、と思いつつ、しかし零時近くで営業しているものなのか、佐世保市は25万都市、ちょっと心配ではありました後の散策で出会いました、ほたる茶屋、さあ、どうぞ、との店員さん大将殿女将様のお招きで早速一歩を。

 レモンステーキ、佐世保名物なのですがもう一方の名物佐世保バーガーが全国の縁日や航空祭の出店に常連となっている一方、レモンステーキはとんと佐世保以外では見かけない、そして何よりお値段も安く、此処が大事ですが、そこで深夜ステーキという強行軍敢行だ。

 レモンステーキって、これは前々からの関心事なのですが、レモンステーキはステーキを食べなれない時代の日本で、すき焼き肉をもう少し厚めに、つまりステーキ肉としては薄めに切って、レモンと共に焼き上げたものだとのこと。これなら食べやすい、おいしい。

 レモンステーキは草創期の日本ステーキ、戦後零年世代のステーキなのですね。一方、やけに有名となった佐世保バーガーですが、佐世保が日本ハンバーガー発祥の地という事で名物化したのですが、佐世保バーガーと同時期に横須賀ネイビーバーガーも始まっている。

 佐世保バーガーが全国に轟いたのは定義が曖昧だからで、塑像乱造でも、酷いのはハーフサイズ佐世保バーガーを岐阜航空祭で注文したら真っ二つに両断した酷いのが出てきて、これ佐世保で出したら憲兵隊がハンヴィー五台で検挙されるぞ、と憤慨したものでした。

 横須賀ネイビーバーガーはこのあたりしっかりしていて、ミートパティ250g未満のものは横須賀ネイビーバーガーとは認めない旨、しっかりと定義づけられていまして、基本これまで、美味しい横須賀ネイビーバーガー以外知りません。佐世保はまあ、本場がいちばん。

 ゆずぽん、とはスジ肉をしっかりと煮込んで、しかし煮込みのようにならず湯通しのようにスジ肉のしゃっきりを残したそのまま、キャベツの千切りとポンズとともに敢えて頂くもの。すっきりぽん、とはこの事なのでしょうか。直ぐに出てきますので、嬉しい逸品だ。

 珈琲割り、どうですか。おや、と思いましたお勧めです。ほたる茶屋でお勧めしていただいたもの、いつも通うお店ではない珈琲割り、全国的にはどうなのでしょうか、こういいますのも、珈琲割りを初めて頂いたのは横須賀なのですよね、佐世保にも店にあったとは。

 佐世保でも横須賀で馴染んだ馥郁とした香が仄かに残り、その奥行に慇懃と、しかし真面目に個性を主張する焼酎の香りを托し込んだ珈琲割りを頂き、初来店の際の夜は更けてゆきました。こうして、佐世保に進出した際には、ほたる茶屋、一つの行きつけとなります。

 ほたる茶屋、茶屋という名前とは別に串焼きもレモンステーキも美味しいものが並びまして、店内は奥行きが深く、遅くまで営業しているのは嬉しいのですが、夕方からも営業しています。護衛艦くらま除籍の夜にも、ほたる茶屋、ふと、一杯やったところでした。

 佐世保は海軍の街、護衛艦の数でも横須賀よりも実は佐世保の方が多かったりします。もっとも、横須賀は護衛艦と潜水艦の街、自衛艦隊司令部が置かれ拠点としては横須賀の方が重要ですが、海軍気質というのでしょうか、この気質が醸し出す夜の雰囲気はなかなか。

 ほたる茶屋、鳥きん。横須賀でお勧めしていただいた鳥きん、深夜に到着した佐世保の街中で出会ったほたる茶屋、もちろん、佐世保の夜の奥深さはほんの二店を紹介しただけでは語りつくせませんが、美味も銘酒も雰囲気全て、誰にでもお勧めできる楽しいお店です。

 海軍の街佐世保。ほたる茶屋、一杯やった所でNHKでは護衛艦くらま除籍の報道が。店内がちょっとざわつきまして、くらまが、ねえ。遂に除籍かあ。かが、来るのかねえ。前に乗ったよ。そんな会話が店内で聞こえる、それが佐世保です。なにか、おもしろいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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新防衛大綱とF-35B&EA-18G【10】EA-18Gグラウラー,電子戦専用機は新次元の防衛装備

2018-03-20 20:09:25 | 防衛・安全保障
■EA-18Gグラウラー電子攻撃機
 EA-18Gグラウラー、自衛隊が電子戦専用機を導入するならば、本機種か国産EF-15しか無い状況でしたが、実際にその名前が出るとは。

 EA-18G導入という報道の背景には何があるのでしょうか。一つは脅威の顕在化を前に開発と評価試験に時間を要する国産装備を待っている余裕が無くなった、という事が挙げられます。そしてもう一つは、電子戦装備という高水準の装備をアメリカが日本へ供与する可能性が生じた事でしょう。国産で架空機サンダーファントムのような機体をF-15派生、サンダーイーグルとして開発しようにも防空脅威増大下F-15J初期型に余裕が無いという事情もある。

 RQ-4無人偵察機、グローバルホークの愛称で知られ防衛省が自衛隊統合作戦機として調達を開始している無人偵察機について、国産装備の完成を待つ事ができない同様の事例がありました。元々は防衛装備庁が技術研究本部時代から高高度滞空型無人機として、RQ-4と同等性能を有する航空機を開発していましたが、高高度滞空型無人機については仕様こそ確定していたものの構成技術要素開発の段階であり、間に合わないとしてRQ-4を選定しました。

 国産よりも緊急にEA-18Gを、勿論、ユニットコストだけでもEA-18GはF-35A戦闘機よりも高価な航空機です、元々のF/A-18Fに電子戦装置を搭載したものですが、その電子戦装置が高い上に、第三国供与を従来アメリカが認める可能性も低かった。しかし、F-15Jへのポッド式電子戦装置は、設計開始段階であり、勿論空力特性が変化しないようF-15戦闘機用増槽と同形状の機材とする構想と聞くのですが、実用化へは時間がかかります。また、能力についてもこればかりは使うまで未知数だ。

 S-500地対空ミサイル、突如EA-18Gという機種が防衛計画の検討として具体的に浮上した背景は此処にあると考える。S-500は現在開発中でロシア製の広域防空ミサイルですが、射程は400kmといい、この脅威がEA-18Gを自衛隊が死活的に必要とする背景といえるかもしれません。地対空ミサイルといえば、航空自衛隊が長射程にあたるペトリオットミサイルの100km、陸上自衛隊が改良ホークや03式地対空誘導弾の60km、というものが思い浮かぶのですがS-500の射程は長い。

 S-500地対空ミサイルの射程は400kmに達し、理論上沿海州に配備されたならば北海道の広範囲が、北方領土へ配備されれば北海道全域と東北地方北部が、中国へ輸出されたならば上海方面から沖縄本島さえその射程内に入り、那覇基地や千歳基地の上空が敵地対空ミサイルの射程内に入る事は気持ちのいいものではありません。もちろん、400kmを中間指令誘導無しで命中させるには様々な条件が重なると考えられますし、中国への輸出は現段階では具体的可能性が無く、ロシアが輸出を認めるかも難しい所ですが、少なくとも沿海州のロシア領域内へ配備された場合でも、このミサイル脅威を突き付けられた際に、EA-18Gがあれば払拭できる。

 S-500の脅威を放置する事は、有事の際に千歳基地や那覇基地、位置によっては三沢基地からの要撃機を離陸させる事も難しくなります。実際に命中させる事が出来るかではなく、数値の上で日本本土上空の制空権を奪ったと誇示される事だけで、抑止力に歪を及ぼしてしまう。築城基地や百里基地からF-35A戦闘機を爆装させ、S-500ミサイル基地を空爆する事は手早い処方箋ですが、専守防衛の観点から平時には難しく、しかし射撃管制レーダー照射等の示威行動には対応できず、ここが転換点だ。

 EA-6電子戦機、実はEA-18Gの報道が示された際に考えたのは、過去、電子戦専用機をアメリカが積極的に輸出した事例が無かった為、今回名称が上がるからには具体的な導入の可能性目処が多々だろうという驚きでした。EA-6はアメリカ海軍がEA-18G配備まで運用していました航空機がありましたが、電子戦装備は最先端の電子戦情報を有するもので、同盟国イギリスにも、建国以来の友好関係有するイスラエルにも、供与していません。しかし、具体的にEA-18Gという名称が出る以上、まさか電子装備抜きとは考えられませんので、供与見通しが立ったのでしょう。

 EA-18Gを電子装備抜きで供与する可能性も多少は考えられます、これでは配線のみが確保されているF/A-18Fに過ぎないようにもみえますが、例えばオーストラリアが導入したF/A-18Fは配線がEA-18G仕様のもので、これは開発が遅延していたF-35導入検討時代、更に古いオーストラリア空軍F-111を代替する喫緊の課題に、当面は戦闘機として運用しF-35取得後には電子戦機へ代替し得る、として導入したものです。ただ、この場合でもEA-18Gと同様の水準に当たる電子戦装置を確保出来るとは、限りません。

 F/A-18FとEA-18Gの関係で、仮に電子戦専用装置は供与されないという事でもあれば、なにか“OS抜き激安中古パソコン”商法を思い出させるものですが、航空自衛隊にはEC-1の実績があり、そもそも搭載するF-15Jに数の余裕が無い為です。ただそれならば、電子戦専用機ではなく制空戦闘機としてF/A-18F戦闘機を導入した方が良い、F/A-18F戦闘機ならばF-35やF-22といった第五世代戦闘機を除けば、対処出来ない脅威はありません。即ちF/A-18F戦闘機を導入して古くなったF-15Jを電子戦機へ回す余裕を創る方が現実的で、そうならないのであれば今回の検討は電子戦機材込みと考える。

 実はJSM空対地ミサイルのような500km級の空対地装備調達等、航空自衛隊の装備体系が大きく長射程化している状況がありますが、これは経空脅威が年々長大化しており、JSMミサイルも長射程化する敵地対空ミサイルの射程圏外から攻撃する事が可能、という選択肢の延長線上で選定されました。つまり、EA-18G導入検討は既に開始されるJSMミサイル取得と同じ背景で配備されるといえまして、地対空ミサイルの長射程化という厳しい現実、この為に我が国も備えというものが大きくせざるを得ない事情があります。電子戦装備に理論上直接殺傷能力はありません、しかし、我が国には新段階の防衛装備といえるでしょう。

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【EOS-M3撮影速報】練習艦隊,近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊出港(2018-03-17)

2018-03-19 20:07:35 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■世界の海へ練習艦隊江田島出港
 EOS-M3と15-45mmレンズにて撮影の写真をEOS-7DとEF28-300mmレンズでの写真に先立ち紹介しましょう。

 江田島基地練習艦隊出港を撮影して参りました。2012年以来毎年恒例となった江田内撮影紀行、練習艦かしま、練習艦しまゆき、護衛艦まきなみ、護衛艦あきづき、四隻の揃ての出港を撮影できました。潜水艦みちしお、は今回呉基地に停泊し途中から合流のもよう。

 第68期一貫幹部候補生課程修了者と第70期飛行幹部候補生課程修了者の乗艦した艦隊出港には航空集団より、SH-60K哨戒ヘリコプター、TC-90練習機、T-5練習機、P-3C哨戒機、P-1哨戒機の12機が祝賀飛行を行い、快晴の青空下の練習艦隊出港を盛り上げました。

 外洋練習航海部隊と近海練習航海部隊は、江田内出港後、別々の行動を採る為、全国を巡行する近海練習航海部隊だけの撮影と異なり、江田内での出港を撮影した場合の方が多くの練習艦と護衛艦の単縦陣を撮影できるのですが、近年は外洋練習航海に潜水艦が加わる。

 観艦式や展示訓練では、単縦陣を正面から撮影するには先導艦の艦尾に撮影位置を確保する必要があり、観艦式は勿論展示訓練でも情感は抽選制、年々抽選倍率が高まっている為、乗艦するだけでも難しい点に加え、艦を選べず、先導艦の乗艦券は中々確保できません。

 展示訓練は毎年全国で行われていたのは2014年までの話で、近年は実任務増大、中国海軍の我が国周辺での行動が爆発的に増大し、警戒監視任務を強化した事で、従来の北方警備や海賊対処任務に加え艦隊に余裕がなく、展示訓練そのものが実施できなくなり久しい。

 練習艦隊撮影は、日程が発表されていますので、広島港から高速船にて高田港へ、または呉市から陸路にて江田島に渡る事で、艦隊出港を先導艦の配置から撮影する事が出来ます。出港は午後になってから、広島へ行くも朝食後に京都を新幹線で出発しても充分間に合う。

 近海練習航海部隊は、本日19日に大阪港天保山埠頭へ入港しました。本日と明日一般公開が行われると、大阪地本HPにありまして、21日水曜日の朝まで寄港します。天保山埠頭は観覧車や遊覧船から撮影する事が出来まして、夜間には電燈艦飾も行われるとのこと。

 三重県の鳥羽沖に22日木曜日から翌日23日まで錨泊、離島航路船上から間近に見えるとのことです。24日土曜日から四国の宿毛沖へ錨泊します。宿毛は高知県南部にあり、かつて海軍航空隊水上機部隊の練習航空隊がおかれ、二式水上戦闘機等が配備されていました。

 石垣島へ30日金曜日から寄港、翌日出港します。石垣島は南西諸島防衛の新しい拠点として宮古島と共に防備強化が行われる地域で、地対艦ミサイルや地対空ミサイル部隊等の北海道や東北地方からの移駐が決定しています。石垣島駐屯地祭があるならばいってみたい。

 沖縄本島勝連の沖縄基地へ4月2日に入港、4月4日まで寄港するとのこと。勝連基地は1972年の沖縄本土復帰と共に再建された港湾設備ですが、沖縄返還当時は陸海空へかなり重点的な防衛警備計画が立てられつつ、大蔵省反対により実現しなかった歴史があります。

 佐世保基地へ続いて6日から8日まで、入港の様子は佐世保駅から商業施設五番街方面へ進んだ佐世保シーサイドパーク展望台から撮影できます。舞鶴基地へ4月10日から12日、撮影は新日本海フェリーの前島埠頭や市役所隣の高台にある市営施設文庫山学園がお勧め。

 大湊基地へ15日から17日まで寄港します。20日には本州沖を縦断し瀬戸内海三机へ寄港します、三机は毎年のように寄港しており、第二次世界大戦中特殊潜航艇要員訓練を行った三机湾慰霊を目的に寄港します。本年は北海道への近海練習航海部隊寄港は無いもよう。

 呉基地には20日から5月5日まで、練習艦隊の母校となっていまして五月の連休は母港で過ごす事となります、5月7日に遠洋航海前に晴海埠頭へ。12日に晴海ふ頭を出港し横須賀基地へ入港、20日まで横須賀基地へ寄港します。そして晴海埠頭より遠洋航海へ向かう。

 江田島を出航し日曜日まで呉沖に遊弋、今年の練習艦隊は例年江田内から周防大島の方面に向かい、連合艦隊泊地として有名な柱島沖に停泊していましたが本年は呉基地方面へ向かってゆきました。呉基地には海上自衛隊最大の護衛艦かが、も母港へ帰港していました。

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米朝首脳会談準備,米宥和反撃と国務長官交代に核武装放棄代償の米軍撤退求める北朝鮮の動揺

2018-03-18 20:02:46 | 国際・政治
■北朝鮮動揺と米宥和外交攻勢
 朝鮮半島有事は回避されるべきです、本土ミサイル攻撃や邦人保護に浮流機雷と特殊部隊浸透、日本への影響が大きいのですが、この可否を左右するのが米朝首脳会談です。

 北朝鮮の李容浩外相が15日、スウェーデンを訪問しました。今回の訪問は五月にも実施される米朝首脳会談の開催国を模索する一環とみられ、スウェーデンの他に中立国であるスイスなどが開催国として検討されているとのこと。当初は金正恩最高指導者が訪米するという流れでしたが、飛行機に乗る必要があり、陸路で移動できる欧州が有力視されている。

 トランプ大統領との初会談において、金正恩最高指導者が訪米するとの当初の報道は意外でした、何故ならば、実父の金正日第一書記は自身が主導したラングーン事件と大韓航空機爆破事件を受け、逆に自らが旅客機毎暗殺される事を恐れ、外国訪問は基本的にロシアへ専用列車利用、航空機を使わなかったのです。訪米ならば航空機を使わねばならない。

 金正恩最高指導者は、しかし結局会談場所にスイスやスウェーデンの調整を行っているとの報道から、やはり北朝鮮は変われないのではないかとの危惧がありました、17日にスウェーデン政府は北朝鮮が米朝首脳会談をスウェーデン国内で行うとの観測報道に対し、そのような事実についての言及を行いませんでした。スイス政府もこの点についての言及はありません。

 こうした中で、訪米という方針が一転した以上、ただし訪米の意向を示しただけで確約したものではないとの部分を差し引く必要があるとはいえ、他の施策も一転しないのか、核武装放棄示唆や米韓合同演習容認論も次第に姿勢変更するのではないか、核開発へ時間稼ぎのための交渉をアメリカは今回も許すとは限らない、こうした視点から関心を持っていました。

 北朝鮮寧辺核関連研究施設において実験用軽水炉が稼動状態へ移行しつつある。米ジョンズホプキンズ大学北朝鮮研究機関38ノースとIHSジェーンズが衛星画像解析から、示した結論で、これは北朝鮮が米朝首脳会談を行うのに先立ち、長距離ミサイル実験や核実験を行わないと一方的宣言したものの、核弾頭量産に言及しなかった点と関係がありましょう。

 寧辺核関連研究施設の実験用軽水炉は兵器用核物質精製能力があり、プルトニウムとトリチウムの製造に転用されれば核弾頭数を増大させる懸念があります。寧辺核関連研究施設の現状を見ますと、必然的にアメリカが求める核兵器放棄は核開発技術へも言及される事は必至であり、寧辺核関連研究施設の解体要求を含め厳しい交渉となる事が予想されます。

 歴史的な米朝首脳会談が決定したのもつかの間、北朝鮮の労働党機関紙労働新聞は朝鮮半島の平和には核武装放棄よりも前に在韓米軍の全面撤退を行う必要があるとしました。米朝首脳会談を前に米韓合同軍事演習へも一定の理解を示す宥和的な姿勢を示しつつ、基本的には譲歩の余地がないことを改めて突き付けた形で、交渉の難しさが示されました。

 米宥和外交攻勢を前にアメリカへの姿勢が一本化出来ず動揺している北朝鮮ですが、その一方で北朝鮮当局の談話の形で、日本へ制裁解除を行わなければ平壌での首脳会談の可能性がなくなるとの、ゆさぶりを掛けています、これは逆に北朝鮮国内の指導部意見集約混迷ともいえ、米朝二国間交渉を求めつつ突如成立しような情勢下、多極化交渉の枠組を模索しているように分析できるもの。

 在韓米軍の撤退、韓国の安全保障上現実離れした要求と云わざるを得ません。韓国の防衛力は年々近代化されている事も確かではありますが、核戦力を有する北朝鮮は米軍の核抑止力が無ければ、緒戦でソウル北部の南北軍事境界線を戦術核兵器により攻撃された場合、当然ながら防衛線を維持する事は出来ません。これは韓国存続の国際信用度にも関わる。しかし、北朝鮮の主張が現実味を帯びないものを突如示唆する当たり、北朝鮮が動揺しているとも受け取れる。

 南北朝鮮統一は南北の悲願であるも、これは完全な民主的合意と平和的手段の下で行われなければなりません。この後に在韓米軍の撤退は有り得ますが、現時点では韓国併合となりかねず、確実な検証と査察による北朝鮮の完全な核兵器と核関連施設の放棄が無ければ、在韓米軍撤退は韓国の核武装や次の周辺地域への核戦力拡散へ繋がりかねない問題です。

 これは、南北会談がそのまま米朝首脳会談示唆に繋がり、即座にアメリカがトップダウン方式で大統領即決という対応を予測できていなかった、アメリカの外交奇襲成功ともいえるでしょう。プロパガンダの方式を採って宣言を行った北朝鮮がアメリカに言質を取られた形となり、一挙に進む宥和攻勢、北朝鮮が仕掛けた宥和攻勢にそれ以上の宥和反撃を受け、混乱したかたちだ。

 北朝鮮の宥和が移行と並行する新しい強硬姿勢は、しかし今回ばかりは逆効果となるかもしれません。アメリカの国務長官更迭によりアメリカの反応が大きく転換する可能性があります。ティラーソン国務長官は3月13日、トランプ大統領により解任されました。また続いて、安全保障分野での対立が伝えられていたマクマスター補佐官も解任され、安全保障政策が大きく転換する事が考えられましょう。

 トランプ大統領は対北朝鮮強行論者として知られていまして、選挙当時はアメリカ安全保障への北朝鮮脅威度を低く考えていましたが、現在であれば限定空爆に躊躇するとは考えにくい。この中で、ティラーソン国務長官は平和裏に米朝対立を収束させようとした点から、過去の米朝交渉背景に時間がかかり確実性が低すぎると大統領の不満をかった事で、後任にポンペイオCIA長官が充てられました。

 ポンペイオ新国務長官は陸軍士官学校首席卒業と軍務経験を経て除隊後ハーバード大学法科大学院に進んだ法務博士、下院議員を経た元CIA長官として北朝鮮とのし烈なサイバー戦争を戦った経験があり、北朝鮮による核開発の進展と、過去のアメリカがクリントン政権、ブッシュ政権、オバマ政権、と北朝鮮が核開発を秘密裏に進めつつアメリカと宥和政策を進めた厳しい事情を良く知る新国務長官であり、従来通りの北朝鮮背宥和政治には厳しく反応しましょう。

 米朝対立が新段階に入りつつある中、この問題は21世紀に冷戦時代型の対立を惹起させる危険な起爆剤となる危険を孕んでいます。朝鮮半島が従来のような時間稼ぎの宥和政策を許さないアメリカ政権の陣容が揃うと共に、米朝対立の中間を仲介する第三国とアメリカとの関係が悪化しているのです、米朝対立を仲介できないばかりか、対立の起爆剤とさえなる可能性がある。

 第三国による協力ですが、具体的には米ロ対立、アメリカ大統領選への介入疑惑と共に3月15日に実施したロシア個人及び政府関係者への金融制裁の拡大を受けての米ロ対立の激化で、従来のような米ロ歩み寄りによる北朝鮮交渉が難しくなるのです。そして、この部分が最も重要な要素ですが、米ロ対立の出口戦略が全く見えず、関係良好化の端緒さえ見えません。

 北朝鮮とアメリカ、日本と韓国を巡る問題は、中国とロシアの関与が不可欠です。冷戦時代に北朝鮮が核開発を進めなかった背景にはソ連の軍事援助と軍事顧問の駐留が抑止力の一端を担っていた為ですし、在韓米軍が強化された背景には北朝鮮特殊部隊が韓国大統領府を攻撃した青瓦台事件のように、そのソ連の支援と統制の不均衡が悪く進んだ為でした。可能性の一つとして、米ロ対立が顕在化するまえならば、北朝鮮へのロシア軍協力を以て核武装解除をロシアが支援するという選択肢があり得たかもしれない。

 しかし、ロシアはクリミア併合とウクライナ東部紛争介入以来、所謂西側諸国との関係悪化が進んでおり、3月4日にイギリスで発生した元ロシア諜報部員神経ガス攻撃事案により、イギリス国内へロシアが神経ガスを持ち込んだ疑惑が高まっており、更にイギリス亡命ロシア人の暗殺疑惑事件が新たに浮上、神経ガス事件だけでも双方の外交官追放へ対立が激化しています。この米朝関係に大きな影響を及ぼすロシアと旧西側諸国の対立構造も無視できません。

 ロシアが仲介する北朝鮮核武装放棄への道筋は、こうした事情から難しくなっています。また、2013年に友好国シリアがシリア内戦に際し神経ガスを用い、アメリカが懲罰爆撃を実行寸前まで展開した際にロシアが化学兵器武装解除を提案、しかし不徹底に終わった事例がありました。北朝鮮が同様の施策を行おうにもこうした実例が生まれ、例えば北朝鮮核武装解除へロシアが協力する事となった結果、北朝鮮国内へロシア軍基地が建設されるというシリア情勢の再現が懸念される事から、米ロ協力による核武装解除も厳しくなった。

 ただし、在韓米軍撤収、北朝鮮が提示した核武装解除への条件となる在韓米軍撤退の可能性が皆無化と云えばまったくその限りではありません、過去にもカーター政権時代には在韓米軍撤収が真剣に検討されたことがありました。トランプ大統領は3月14日、ミズーリ州での演説において韓国との膨大な貿易赤字に触れ、同盟国は自国だけの事を考える国は相応しくないとし、在韓米軍を撤退させる示唆を行いました。

 駐留経費の観点から本当に核武装解除があり得るならば、可能性は変わるのですが、現時点では非現実的に過ぎない。過去の歴史から北朝鮮は宥和の陰で核開発を継続してきましたので、完全な核武装放棄と核開発能力を確実に破棄する検証可能な背景さえ確立できるならば、アメリカの駐留負担軽減と加え悪い話ではない、と判断される余地がありますが、これを時間稼ぎへ悪用した場合の北朝鮮への攻撃は苛烈を極めるものとなり得る。

 トランプ大統領は、カーター大統領のような南北融和の観点からの在韓米軍撤退ではなく、韓国へ対米貿易収支黒字を見直させる選択肢として、在韓米軍撤収を政治的要求の手段に用いた構図ですが、在韓米軍撤退はアメリカ大統領選当時、この際は在日米軍撤退と日本核武装容認を含め、提示していたものであり、背景は異なるものの可能性は皆無ではないのです。一方で、北朝鮮核武装を容認する可能性は、皆無です。

 核のドミノ倒し、何故ならば際限なき核拡散の端緒となり得ない為です、実際問題、中東に目を移せばイラン核開発が進むのであればサウジアラビアが核開発を行うという、核拡散ドミノ倒し、というべき状況が醸成されつつあり、在韓米軍が撤退したままで確実な北朝鮮核武装放棄を確認できなければ韓国核武装という状況も想定する必要さえ生じるでしょう、核拡散防止の枠組さえなければ核武装を望む国は少なくありません。

 米朝首脳会談は、長い核武装放棄への端緒となる、とは米朝首脳会談決定の際に示したやや厳しい分析でしたが、場合によっては完全な物別れとなるならば、アメリカによる核施設への限定空爆、勿論大規模紛争への米朝開戦の一撃となる可能性が高い。少なくとも、巡航ミサイルなどによる限定空爆への過剰反応という形で、徐々に段階が悪化する経路をたどる可能性は否定できない。

 一方で、北朝鮮国内での米朝首脳会談への調整や意見集約が位置しているとは言えず、これも核武装を行うという国是と核武装を求めるアメリカとの米朝首脳会談は体制動揺にも展開し得ない、しかし、従来通り時間稼ぎに用いる事は上記大規模な軍事制裁、こうした施策へアメリカが展開する可能性すらあります。今後も慎重深く、日本海の対岸をみてゆくべきでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【くらま】日本DDH物語 《第三七回》はるな誕生、潜水艦圧迫する航空対潜部隊の外洋展開

2018-03-17 20:15:55 | 先端軍事テクノロジー
■横須賀基地1973年はるな配備
 ヘリコプター搭載護衛艦はるな誕生により、洋上戦闘の様相は大きな飛躍を迎えました。

 横須賀基地に配備された護衛艦はるな、ヘリコプター搭載護衛艦の運用開始により当時の海上自衛隊潜水艦の訓練運用は大きく変わりました。第二次大戦中から発生していた船団襲撃の際に障害となる護衛艦艇の積極排除が急に難しくなったのだといい、沿岸部に限られていた対潜ヘリコプターの運用が広く外洋まで延伸したのだから無理もありません。

 潜水艦が静粛性を維持して発揮可能な速力は現在の静粛化技術が大きく進んだ潜水艦技術でも14ノット、おやしお型潜水艦、そうりゅう型潜水艦ではさらに技術が向上した為15ノットに延伸したとも側聞するのですが、これは水上戦闘艦艇を含む船団が20ノット以上の速力にて航行している場合、攻撃を行うには船団捕捉からして非常に困難となります。

 20ノットの水中速力を発揮する潜水艦でも、この速力では海中での運動により水から生じる雑音がソナーによる索敵を困難としてしまう。勿論、潜水艦は目標船団が確実に航行する航路に進出し待ち伏せる、東京港へ至る浦賀水道や大阪湾へ至る紀伊水道、重要海峡である津軽海峡や対馬海峡の近傍で待ち伏せれば確実に航行する目標を捕捉する事は可能だ。

 海上自衛隊は千葉県房総半島の館山航空基地、四国東部の小松島航空基地、長崎県の大村航空基地、青森県むつ湾の大湊航空基地へ早い時期から対潜ヘリコプター部隊を配置していますが、この部隊配置は潜水艦が待ち伏せるうえで最も可能性の高い海域の近傍に、直接海中へソナーを吊り下げ索敵可能である対潜ヘリコプター部隊を展開させたかたちです。

 潜水艦は外洋において積極的に艦隊を捕捉し攻撃するには速力の問題から難しく、潜水艦の主任務ではありません。その任務は具体的には潜水艦が待ち伏せている可能性を顕在化する事により敵艦隊の行動、特に進出を制限すると共に、重要水道や重要航路に潜航する事により敵国制海権に不確定要素を与えると共に、その戦力分散を強要する事にあります。

 長魚雷、潜水艦が発射する魚雷は533mmや650mmと大きく、海上自衛隊が運用する89式長魚雷の場合、55ノット高速時射程39km、40ノット時射程50kmとされていますので、最大射程で発射した場合、相手が高速で回避行動をとった場合、相対速度で逃げられる可能性が高いのですが相手が航空母艦でも20km以内に接近できた場合は撃沈も可能だ。

 運用面では、攻勢的制海運用として敵基地前等重要水道へ進出し重要目標を待ち伏せるもの、攻勢的海洋拒否運用として広範囲に展開し通商破壊能力を誇示するもの、防勢的制海運用として潜水艦を艦隊前方に先鋒させる運用、防勢的海洋拒否運用として自国周辺海域へ敵勢力展開を拒否する運用、戦略運用として戦略ミサイル原潜運用と護衛や対処がある。

 しかし、ヘリコプター搭載護衛艦が一般化する前には、潜水艦をスノーケル高速航行させ、高速で航行する水上戦闘艦攻撃へ充当する運用がありました。潜水艦には水上戦闘艦を命中させれば確実に撃沈できる長魚雷が搭載されています、潜望鏡深度まで浮上し高速航行する事は危険ですが、対潜哨戒機に捕捉されただけならば滞空時間上限から生還は可能だ。

 ここにヘリコプターが加わりますと状況は一変します、ヘリコプターは潜水艦上空に滞空し吊り下げソナーによる確実な捕捉が可能です。この状況下でスノーケル航行を行う事は自殺行為に他ならず、護衛艦はるな艦載機3機は必要ならば交代で常時航空哨戒が可能です。はるな就役は潜水艦の艦隊襲撃行動を極めて困難とする大きな転換点となったのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成二十九年度三月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.03.17/18)

2018-03-16 20:06:15 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 木々に萌芽の息吹を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか、練習艦隊の季節がやってまいりました。

 江田島を出航する近海練習航海部隊は、練習艦隊司令官泉博之海将補指揮下、練習艦かしま、練習艦しまゆき、護衛艦まきなみ、へ第68期一貫幹部候補生課程修了者200名が乗艦します。同日出港の外洋練習航海部隊は第1護衛隊司令東良子1佐隷下の護衛艦あきづき、潜水艦みちしお、より編成され第70期飛行幹部候補生課程修了者36名が乗艦しています。

 近海練習航海部隊は、明日江田島を出航し日曜日まで呉沖に遊弋、月曜日19日に大阪港へ入港し21日水曜日まで寄港します。22日木曜日から翌日23日までは三重県の鳥羽沖に錨泊、24日土曜日から四国の宿毛沖へ錨泊、30日金曜日から石垣島へ寄港、翌日出港します。艦隊は4月2日に沖縄本島勝連の沖縄基地へ入港、4月4日まで沖縄に寄港するとのこと。

 佐世保基地へ続いて6日から8日まで、舞鶴基地へ4月10日から12日、15日から17日までを大湊基地、20日には本州沖を縦断し瀬戸内海三机、20日から5月5日まで呉基地、練習艦隊の根拠地へ戻り、5月7日に遠洋航海前に晴海埠頭へ。12日に晴海ふ頭を出港し横須賀基地へ入港、20日まで横須賀基地へ寄港する。これが今回の近海練習航海予定です。

 外洋練習航海部隊は近海練習航海部隊に続行し出港し、マレーシアのコタキナバル、フィリピンのスービックへ寄港、4月27日に帰港予定です。江田島出港は幹部候補生課程修了敷くと昼食会に続き帽触れを行い、交通船等を利用し練習艦や護衛艦に乗艦、出港します。そして江田内はコの字型の地形ですので、江田島高田港等から出港の様子を一望できる。

 江田島を出航する練習艦隊は単縦陣を組み出港してゆきますので、対岸からは観艦式や展示訓練のように艦隊の陣容を比較的近い距離で眺める事が出来ます。本年度予定の観艦式が中止となり、年次計画では地方隊展示訓練の予定も厳しいと仄聞しますので、艦隊出港は貴重な機会といえるでしょう。そして重要な点は今年度江田島出港が土曜日ということ。

 練習艦隊出港は幹部候補生学校が置かれる佐世保から小用への位置では出港を真後ろからしか見る事が出来ません。そこで江田島市高速船の高田港付近から撮影する事となります。ここは呉駅前から橋を渡り撮影に展開する事も出来ますが、大きく島嶼連絡橋を迂回する為36kmと距離があります。一方広島市宇品港から江田島市高速船が運行されています。

 練習艦のほかに、出港を航空集団の航空部隊が見送ります、P-3C哨戒機やP-1哨戒機とSH-60J/K哨戒ヘリコプターやTC-90練習機、MCH-101掃海輸送ヘリコプターが編隊飛行し、米軍機も参加、夏の地方隊展示訓練でもこれほどの編隊は中々、という規模です。撮影は陸地からですが、江田島まで遠出するに十分の迫力を一望する事が出来るでしょう。

 さて撮影の話題。撮影は僅か数mの撮影位置が大きく撮影成果を左右する、とは観閲行進撮影の際にこれまでもお話しましたが、もう一つ、艦船の撮影という場合でも重要です。確かに、展示訓練を撮影する際に掃海艇では数m撮影位置が違えば下手をすれば右舷左舷ほど違ってしまう、と思われるかもしれませんが、勿論艦上での撮影も含みつつ、地上からの撮影も含む。

 護衛艦や掃海艇が入港する際に、二隻以上が重なる瞬間、中でも単縦陣で重なる瞬間を撮影できますと非常に勇壮な写真を撮影する事が出来ます、多少画質が粗くとも、ピンボケが有ろうとも、良いアングルの写真には代えがたい。しかし、重なる瞬間を逃してしまうと、残念なものです。そして。単縦陣の撮影に王道は無い、という厳しい現実もあります。

 単縦陣ですが、太平洋や日本海の真ん中ら名ばいざ知らず、入港ですと牡蠣筏を曳航する作業船やプレジャーボートに遊漁船などにより護衛艦や掃海艇は回避行動をとり、単縦陣を撮影できる適地が数十m単位で移動してしまうのです。そして民間船の動きは小型船程本当に予測がつきません。好い写真を撮影するには、早く走れるよう鍛える他ありません。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・3月17日:近海練習航海部隊/外洋練習航海部隊江田島出港…http://www.mod.go.jp/msdf/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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朝鮮半島有事邦人救出検証(2)1994年危機と2018年危機の情勢変容,韓国首都防衛力強化

2018-03-15 20:07:34 | 国際・政治
■通常戦力絶対優位性の変容
 朝鮮半島有事邦人救出検証、1994年の段階では不可能だがやるしかないとの状況でしたが、今日では必ずしも絶望的要件ばかりではありません。

 朝鮮半島有事邦人救出任務、1994年朝鮮半島核危機と2018年朝鮮半島問題では大きく異なる要素があり、この要素は邦人救出任務の運用そのものを大きく転換させる要素ともなります。当然と云えば当然ですが1994年から24年、間もなく四半世紀を迎える朝鮮半島情勢、南北朝鮮と日米の政治指導者も交替しており、条件の変容は当然といえましょう。

 核開発問題、北朝鮮は2007年に初の原爆実験を成功させており、その核開発は実戦使用の可能性を持つ水準に達しています。従って、核攻撃の懸念は日本本土全域は勿論、米本土へも及ぶものであり、この状況において発生する朝鮮半島有事は限定空爆のような精密誘導爆弾による少数の攻撃に留まらず、核戦力全般を無力化する大規模なものとなり得ます。

 朝鮮半島有事、1994年朝鮮半島危機における想定と2018年朝鮮半島危機における想定は、北朝鮮軍による大規模地上軍侵攻の蓋然性でしょう。1994年朝鮮半島有事に際しては北朝鮮人民軍100万名、そのうちのかなりの規模の陸上部隊による韓国侵攻が懸念されていました。この背景には在韓米軍による戦術核兵器前方展開撤去が背景にあったとされる。

 在韓米軍は1991年まで戦術核兵器など1000発を韓国へ前方展開していたとされます。核不確定戦略、つまり核兵器の有無を肯定も否定もしない施策により公式には1000発の戦術核兵器前方展開を認める資料は存在しませんが、1991年に当時のブッシュ政権がこの撤去を明確に示した事は事実であり、これにより韓国における核抑止力は大きく変容しました。

 戦術核兵器前方展開は、冷戦時代に北朝鮮へ多数の軍事顧問を派遣すると共に兵器供給を実施していたソ連軍も同様に北朝鮮への戦術核兵器を展開させているとの想定に基づく相互抑止の視座から実施されていたもので、1990年のソ連崩壊と共に北朝鮮からのソ連軍事顧問団の撤収を受け、在韓米軍も併せて戦術核兵器の撤収を行ったという背景があります。

 1994年朝鮮半島危機は、北朝鮮核開発の実施により萌芽した危機ではありますが、同時に当時の韓国陸軍は52万名、北朝鮮人民軍は100万名と兵力の格差があり、通常戦力主体でも韓国の首都ソウルを制圧しうるとの状況下、仮に北朝鮮核開発を口実に米軍による攻撃が行われるならば、大規模通常戦力により報復としてソウルを攻撃するというものでした。

 邦人救出任務を当時突き付けられた日本政府が苦悩したのは、明らかに朝鮮半島有事が北朝鮮軍の大機甲部隊による南進により戦端が開かれた場合、首都ソウルは南北軍事境界線から70kmの距離、東京横須賀間の距離とそれ程違わない指呼の距離にあり、自衛隊が邦人救出を実施した場合でも、先に北朝鮮軍がソウルに到達する可能性さえあったのです。

 政府専用機B-747を金甫空港へ緊急派遣し、最大限搭乗させる事で一度に一千名程度の邦人を救出出来る見通しがあり、そもそも政府専用機が要人輸送専用機ではなく政府専用機である背景には1980年のイランイラク戦争邦人危機にて、当時邦人救出を打診した日本航空が危険性を理由に拒否した実情を受け導入された事実上の大型輸送機だった事もある。

 現在の北朝鮮軍は、T-62戦車を改修国産化した大規模機甲部隊を維持しているものの、韓国軍には1994年当時数が揃わなかったK-1A1戦車や、新型のK-2戦車が配備されており、AH-64E戦闘ヘリコプター等により北朝鮮の優位性は1994年当時程ではありません。すると、現在半島危機が発生した場合、当時程北朝鮮戦車の脅威を想定する必要はないのです。

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【京都幕間旅情】大徳寺,臨済宗大徳寺派大本山は一休宗純所縁の温かさで迎える北大路の伽藍

2018-03-14 20:05:11 | 写真
■大徳寺,歴史が迎える紫野
 京都には一つの街のような壮大な寺院が数多く、思案の最中に逍遥するには良い静寂が広がります。

 大德寺、臨済宗大徳寺派大本山です。北区紫野大徳寺町の北大路通り沿い、大徳寺の寺域から北大路通りは千本北大路へと上り坂となりまして、建勲神社へと向かいます。建勲神社は織田信長を祭神としますが、大徳寺は豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行った寺院です。

 金毛閣、山門は重要文化財であり拝観者を迎えますが、此処大徳寺は北大路通りに面しているものの、堀川北大路へ至るまで長大な大徳寺の寺域が白壁を連ねているものの、山門が北大路通りから壁に隔てられ、金毛閣を望む事は叶わず、その壮大さを秘めているよう。

 宗峰妙超が開祖として大徳寺を建立したのは正中年間の1325年、播磨国守護赤松氏の家臣浦上氏の家系にある宗峰妙超は播磨国圓教寺に出家し天台宗の宗徒となった後、禅宗南浦紹明に参禅した後、南浦紹明に付、鎌倉建長寺での修業を積み印可を得て、上京しました。

 紫野に宗峰妙超が開いた小堂が正中年間に花園上皇の祈願所となった事で大徳寺となり、仏殿や法堂と実に二十超える塔頭が広がる今日の大徳寺へと広がりました。歴史散策に最適な寺域の広さ、実はこの広大な寺院は室町時代に京都五山一員としての格を有していた。

 建武の新政の治世下に、大徳寺と京都五山の微妙な関係が開かれまして、建武年間に京都五山に上位する最高の寺院として後醍醐天皇が手厚く保護した事で、逆に建武の新政の親政体制が瓦解すると共に発足の武家貴族足利将軍家の室町幕府と対立、冷遇されてしまう。

 十刹の最下位として五山を頂点とする室町幕府の寺社格付け制度の末席にいた大徳寺は、しかし武家貴族故の華美な寺社文化が世俗化だとして、敢えて第二十六世養叟宗頤は至徳年間1386年、座禅修行を修行の第一として十刹から在野した事で町人商人の崇敬を集めた。

 一休宗純、一休さんとして今日でも親しまれる名僧も此処大徳寺に応永年間1415年より高僧華叟宗曇の弟子として修業を積んでいます。大徳寺は享徳年間1453年に大火に見舞われ、文明年間1474年、後土御門天皇勅命以て大徳寺住持に任ぜられた一休宗純は再興を期した。

 応仁の乱が京都を荒廃させる最中に大徳寺住持に任ぜられた一休宗純は、ここ大徳寺も兵火に見舞われ、創建当初の伽藍を失うものの、養叟宗頤の在野以降多くの豪商の崇敬を集めた大徳寺は一休宗純の働きかけを受け、堺の豪商からの寄進を受け、伽藍を再興します。

 東山文化や茶の湯文化と村田珠光参禅を以て荒廃する応仁の乱後の庶民文化と関わりが深く、金毛閣等は千利休が完成させたものの上層に自像が飾られた事が秀吉の怒りを買い切腹命じられる等、興味深い話は多い。沢庵和尚により江戸時代も栄え明示を経て今に至る。

 黄梅院は大徳寺塔頭の一つで織田信長が父織田信秀を弔う為に建立した寺院、大友宗麟が建立の瑞峯院、石田三成が建立し数奇な運命経て自らの墓所もある三玄院、加賀前田家菩提寺という芳春院、三好義継が狩野永徳筆の国宝障壁画等を納める聚光院、歴史がそこに。

 総見院は豊臣秀吉が織田信長の菩提として建立した寺院、細川忠興とガラシャ墓所があり肥後細川氏の菩提寺高桐院、黒田長政が黒田如水菩提として造営の龍光院、大徳寺を散策したらば歩みを進めた分だけ歴史が広がりますが、惜しむべくは大半の塔頭が非公開です。

 大徳寺本坊は非公開となっていまして、毎年十月に一日だけ特別公開が行われます。しかし、その分、伽藍を見上げつつ、広大な寺域をゆったりと時間を過ごす事が出来まして、観光客がそれほど多くなく散策していましても石畳の向こうに静寂を感じる事が出来ます。

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新防衛大綱とF-35B&EA-18G【09】電子戦専用機取得構想,急浮上のEA-18G電子攻撃機案

2018-03-13 20:14:17 | 防衛・安全保障
■EF-15構想とEA-18G検討報道
 航空自衛隊は電子戦専用機取得を長年の要望としており、F-15戦闘機の余剰機へ大型電子戦装置の搭載を念頭に開発を進めていましたが、ここで大きな動きです。

 原子力空母信濃シリーズ、鳴海章氏の航空冒険小説をご存知の方はEF-4サンダーファントムという架空の電子戦闘機の話題をご記憶でしょう。航空自衛隊がF-4戦闘機を改造しニミッツ級空母信濃に搭載する内容です。先日の小牧航空祭にて飛行展示の幕間に、齢がばれつつ、そんな話題をしていました。現実は入間に電子戦訓練支援機があるのみ、しかしこれも変わるやもしれない。

 EA-18G電子攻撃機、政府が次期中期防衛力整備計画において自衛隊への配備を展望している、日経新聞が1月1日に報道しました。EA-18Gは原型がF/A-18F戦闘攻撃機、F/A-18E戦闘攻撃機の複座型にあたり、アメリカ海軍やオーストラリア空軍が戦闘機として運用していまして、航空自衛隊のF-2戦闘機と同時期に開発が進められていた第4.5世代機の一つ。

 電子攻撃機とは電子戦の専用機、妨害電波発信装置を中核とする電子戦装備により、敵戦闘機の探知能力を妨害する事を筆頭に、通信やデータリンク回線の無力化、艦艇や地対空ミサイルシステムの索敵レーダーや照準レーダーの無力化、また対レーダーミサイルを運用し敵レーダーそのものの位置を逆探し標定、物理的に破壊するという任務も可能です。

 電子妨害装置であれば、珍しいものではありません、現用戦闘機には電子戦装置が無ければ第一線戦闘は対応できません。F-15J戦闘機にも自衛用電子妨害装置が搭載されていまして、主としてミサイルにより照準された状況で妨害電波を発信し反らす能力があります。この為には日本の戦闘機へミサイルを照準するレーダーの電波情報が必要となり、航空自衛隊のYS-11E,海上自衛隊のEP-3等、電子偵察機を保有しています。

 実は自衛隊の電子偵察機は、埼玉県の入間基地等に配備されており、機数と能力の両方で世界的に見て非常に高い水準にあります、各国がこの種の航空機を取得するのに及び腰となるのはいずれも1機100億円以上の費用を要し、現在の機種であれば早期警戒機と同等、第4.5世代戦闘機よりも取得費用は大きくなり、また大型機ですので運用費用も大きくなります。YS-11Eでも海南島付近の公海上や沿海州付近の公海上まで必要ならば進出していると聞く。

 ミサイルに照準された際に、電子妨害装置を作動させた瞬間、幻惑され自分へ向かっているミサイルが急速に明後日の方向へと逸れて行くならば、これほど心強いものはありません。しかし、その装備のために哨戒機の数を減らし専用機、早期警戒機の数を減らし専用機を、というには電子戦の重要性を空軍や海軍が本質的に理解しておく必要があるのです。

 EA-18Gについてですが、搭載する電子戦装置の出力はF-15Jに搭載している自衛用電子戦装置の比ではありません。自衛用電子戦争値は基本的に自らに向かってくる脅威から防衛するためのもの、究極的には命中する100m手前で逸れても、また1m隣を飛翔しても作動させなければよいのです。しかし、電子戦機はその空域全般で、つまり半径数十km圏内での電子妨害を行い、戦域妨害任務を担う。

 EC-1電子戦訓練支援機としまして、航空自衛隊には電子戦状況を再現し模擬攻撃を行う訓練支援機が入間基地に1機あります。EA-18GはこのEC-1と用途としては同等のものなのですが、EC-1はC-1輸送機を原型とした派生型であるため、戦闘機と比較したならば非常に大型ですし、また機動性に優れるC-1であっても戦闘機と比較すると鈍重である事は否めません。

 EA-18Gをわが方が運用する場合、例えば相手の地対空ミサイルなどを妨害して運用できない状況に追い込めますし、我が国島嶼部や本土へ上陸した敵の通信を破壊しない手段により無力化する事もできます。特に中国やロシアからの軍事的脅威増大を受けている我が国には、この種の装備があれば相手に相応の対抗策を強い、日本への攻撃が難しくなります。

 しかし、EA-18Gという報道には意外でした、こういいますのも、防衛装備庁はF-15J戦闘機をEF-15というべきでしょうか、電子戦機へ転用すべく国産電子妨害装置開発を本格化させているからです。F-35戦闘機の導入により、初期型のF-15戦闘機数に余裕が生まれ、F-15は10.5tもの装備を搭載可能ですから、ポッド式大型電子戦装置を搭載する構想があり、専用の電子戦闘機を取得せずとも国産機が担う趨勢でした。

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【7D特報】伊勢湾機雷戦訓練2018,掃海艦艇訓練完了四日市港千歳地区入港(2018-02-09)

2018-03-12 20:01:01 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■伊勢湾機雷戦訓練2018
 掃海艇が続々と四日市港へ入港、伊勢湾機雷戦訓練2018をEOS-7Dmark2撮影の写真により紹介です。

 伊勢湾機雷戦訓練2018、四日市港へ入港の様子です。EOS-M3にて撮影の接岸情景を紹介しましたが、今回はEOS-7Dにより撮影しました。掃海艇入港を千歳地区第二突堤から28-300mm望遠ズームレンズを駆使しての撮影です。洋上のような情景を撮影出来ました。

 機雷、海中に敷設する装備です。海上防衛へ少しでも知識のある方々ならば、最も費用対効果が高い兵器である事はご存知でしょう。機雷は触発機雷ならば単価は数十万円に過ぎません、しかし、突起が航空母艦に触れれば一兆円を超す空母さえも行動不能とできる。

 掃海艇と筆頭に機雷戦艦艇はこうした機雷を無力化し、航路の安全を守る重要な任務に就きます。機雷を敷設する場合に海は広い、その上で冷静に船舶航行などを見てゆきますと、商船は航路上を航行し、軍艦は軍港に繋がる重要水道を航行します。機雷戦はここを狙う。

 係維機雷、最も基本的で安価且つ有名な機雷はこの種類でしょう、海中に浮いている機雷です。浮いているだけですと流失してしまいますので、浮力のある機雷を海底の錘から係維し、水中数mの深さに展開させる、ここを艦船が航行して機雷に触れれば、爆発します。

 機械水雷、が機雷開発当時の名称で1804年に開発されました、当初は機械水雷筏を相手に押し付ける方式でアメリカにより開発され、1812年の米英戦争では港湾封鎖や沿岸防衛にて実戦投入、イギリス艦の攻撃に成功しています。技術的に機雷はその後転換点を迎える。

 魚形機械水雷、最初の機雷が筏型を採用していましたので、この筏に推進装置を取り付け自律航行を可能としたものが誕生します。現在の魚雷で、技術進歩と共に当初は数ノット、停泊中の軍艦を狙うだけのものでしたが、第二次大戦中には50ノットを超え進歩してゆく。

 機雷は、しかし魚雷の速力面での技術進歩に比較すれば、兎も角自分では動かないものですので、一見地味な兵器と勘違いされる理由があります。しかし、機雷は触れたものを確実に撃破しますので、相手が確実に航行する海域へ敷設するならば、その威力は絶大です。

 管制機雷、1848年に電気信号により遠隔操作で爆発する機雷が実用化され、軍港防衛用に投入されました。プロシアがキール軍港防衛用に敷設したのは管制機雷の始まりで、実は日本でも薩摩藩がオランダからの技術資料を基に錦江湾に敷設、薩英戦争で運用を試みた。

 クリミア戦争が勃発しますと、ノーベル博士、有名なノーベル賞のアルフレットノーベルの実父が、硫酸鉛硝子電気信管を開発、接触によりガラスが割れ内部の硫酸が染み出すことで鉛と触れ二次電池を形成した瞬間電気を信管作動に用いる、現在の機雷が開発された。

 機雷の発展はその後飛躍的に進み、第二次世界大戦中には磁気機雷はイギリスにとりUボートやドイツ戦艦と並ぶ三大脅威と認識されています。艦船の磁気に反応する磁気機雷、航行する艦船の水圧変化に反応する感圧機雷、艦船の航行音に反応する音響機雷、など。

 キャプチャー機雷として魚雷を内蔵し接近船舶を狙う機雷や、掃海艇の機雷防護用微電流を逆に探知する対掃海艇用機雷、魚雷敷設型機雷として潜水艦の魚雷発射管から発進し数百km先の敷設海域ヘ向かう機雷と高価な機雷処分器具だけでも狙う志の低い機雷もある。

 海上自衛隊の機雷掃海は実質的には機雷掃討へ転換してゆく過渡期にありまして、この変容は掃海艇の形状に端的に表れています。それは掃海艇の後部甲板が、従来の掃海艇が掃海器具用に広く採っていたのに対し、現在の掃海艇は機雷処分器具を搭載する設計です。

 機雷処分器具と掃海器具の最大の相違点は、前か後か、です。掃海艇の前に敷設された機雷を処分するのが機雷処分器具、掃海艇から曳航して機雷を無力化するのが掃海器具で、この転換は機雷の高性能化により、掃海艇そのものが機雷の主要目標となっている背景が。

 機雷掃討任務とは文字通り機雷を掃海艇に先立って一つ一つ海中海底を探査し、処分器具が無力化してゆくというもの。多数機雷が敷設された場合は気が遠くなる作業ですが、掃海艇自身が撃沈されてしまっては意味がなく、機雷掃討は必要性故の収斂といえましょう。

 掃海任務が主流であった時代には、掃海艇は掃海器具を曳航し、十把一絡げの機雷、音響機雷用に船舶音響発生型の掃海器具や磁気機雷用に磁気を発生する機雷処分装置、艦圧機雷には水圧を曳航掃海器具により処分し、係維式の触発機雷は浮上、と掃海していました。

 キャプチャー機雷はたちが悪い、という印象があります、魚雷を内蔵していますので広範囲を攻撃可能です。しかしその分高価でもあるので、数百個数千個敷設される心配がない、とも。逆に小型機雷を沿岸部にムスに敷設される方が、多い分だけ処分も大変といいます。

 掃海艇は機雷戦ソナーと機雷戦情報処理装置により海中の様々な形状の中から機雷を探し出し、多種多様な機雷処分器具を併用し一つ一つの機雷を掃討し掃海してゆく、仕掛ける費用の安さに対し機雷処理は真面目な掃海艇ですとF-35B戦闘機やP-1哨戒機よりも高い。

 航空掃海部隊として、海上自衛隊は更に高価な機雷処分装備を有しています。MCH-101掃海輸送ヘリコプターで、航空機により掃海を行うもの。確実性では掃海艇に適わないというものの、何分機雷は海中に敷設されている為、万一の際でも航空掃海ならば空は安全だ。

 上海沖で先日沈没したタンカーが、南西諸島へ油の漂着被害という越境環境汚染を引き起こしています。例えば有事の際に機雷が敷設された場合、こうした船舶が被害を受けた場合の損害は大きい。また平時にテロの手段として機雷が用いられた事例もあり、脅威です。

 台湾海峡有事や朝鮮半島有事を想定しますと、機雷対処任務は日本にとり極めて重要です。特に最も安価な係維機雷、錘で海中に浮いている機雷は、数多く、また厄介な事に事故により浮流機雷となりかねません、浮流機雷は係維索が破損し海流に流失してしまうもの。

 浮流機雷は海流に乗り我が国近海まで漂流する可能性が高く、勿論国際法上浮流機雷を敢えて敷設する事は禁止されているのですが、係維機雷は主流である程に数が多い為、ごくわずかでも係維索が破損した場合でも分母が多いだけ、浮流機雷の日本漂着懸念は高まる。

 広大な太平洋に広く敷設された機雷、という状況では掃海任務は気の遠くなるような印象を受けられるかもしれませんが、海上自衛隊の掃海任務は第一に機雷が敷設されやすい湾口や重要航路の掃海による航路維持です。その上で広範囲の機雷掃海を順次行ってゆく。

 機雷の脅威は、しかし確かに高く、例えばアメリカ海軍が第二次大戦以降、大破した水上戦闘艦や強襲揚陸艦の大半が機雷原因、対艦ミサイルによる被害は一件、座礁と火災は確かにありましたが、戦時損傷は機雷によるものが大半、こう聞くと威力がわかるでしょう。

 伊勢湾機雷戦訓練、長期間にわたる伊勢湾での掃海訓練を完了し久々の入港となりましたこの日の掃海艇は毎時数隻が45分程の間隔で入港、接岸作業後は補給等諸作業に追われていました。翌日から四日市や四国で艦艇広報、海上自衛隊の多忙さを痛感した一日でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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