北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

3.11東北地方太平洋沖地震/東日本大震災:七年目の慰霊と南海トラフ地震防災明日への決意

2018-03-11 20:00:27 | 北大路機関特別企画
■東日本大震災発災七年
 本日は3.11、七年前の今日がマグニチュード9.0という東北地方太平洋沖地震発生の日であり、東日本大震災慰霊の日です。

 東北地方太平洋沖地震、東日本大震災から七年となりました。アメリカ同時多発テロを9.11、そして東日本大震災は3.11、アメリカが9.11以降大きな変容を遂げた様に、我が国も3.11以降、危機管理、という認識を改めて考えさせられるようになりました。この背景には、東日本大震災に続き、南海トラフ巨大地震の脅威が認識されるようになった為です。

 東日本大震災、あの瞬間は本当に混乱していました。当日は仕事中にNHK国会中継が突如緊急地震速報を通知し、当時の菅内閣が閣僚と首相の相次ぐ外国人献金問題に揺れ、ポピュリズム的手法により結実した政権交代が大きく揺らいだ同時期にありましたが、緊急地震速報後に東北地方での警戒情報と聞き、その瞬間考えたのは宮城県沖地震の発生でした。

 宮城県沖地震はマグニチュード8規模の海溝型地震で、発生周期から切迫しているとされ、海溝型地震は昭和三陸地震や明治三陸地震に匹敵する津波被害を及ぼすものであるといい、一瞬身構えた一方、NHKが東京にカメラを移し替えた瞬間、首都圏に波及した事を知りました、宮城県地震が東京でも揺れを観測する、宮城県沖地震想定深度では想定外の規模だ。

 東京の揺れは異常な規模で、直感で長周期振動を思わせるものがありました。ちょうど横浜と東京へ所用があり、これはどうなるか、仕事の調整をと考えていた直後に仕事場がゆっくりと振り始めた事を記憶しています、震源から実に800kmを隔てて、艦船が洋上を航行する際のような、しかし大地の上では絶対にありえない感覚に、理解が追いつきません。

 京都、大阪、神戸、舞鶴、名古屋、札幌、聞きますと確かにしっかりとした揺れとの事で、続いて横浜、横須賀、その後中々連絡がつかなかったのですが東京はかなりの揺れだったとのことですが、仕事上必要な電話連絡が東京に中々付かず、通信逼迫を痛感しつつ、一方で毎回地震の際に必ず速報が入る、原子力発電所に異常なし、の速報が中々入りません。

 東海第一、東海第二、福島第一、福島第二、最悪の場合は東京が機能不随に陥る危機管理上の重大要素、この名前が浮かぶ中、近鉄線が津波警報を受けて一部路線で運転中止となった情報を電子メールで知らされます。NHK報道映像では、その後、最大波まで時間がある事、そして速報値マグニチュード8.3が8.7となり、その津波脅威を思い知らされました。

 一万数千人が命を落とし、一万数千人が同時に生命の危機に晒される。巨大地震と続く津波、長期浸水と炎上する臨海部、交通途絶に原発事故と地域孤立、迫る寒波と膨大な行方不明者に安否不明者、行政は情報途絶に陥り従来の法体系や危機対策手続きが昨日不随に陥り、事態は同時進行で悪化し、時々刻々瞬時刹那の決定が後に長期の影響を及ぼした。

 万一の際の備え、というものは危機管理の鉄則から第二案と予備案を確保しなければ、平時機能する枠組みに依拠しただけの対策では、構成要素が一つ途絶するだけで容易に機能付随に陥り、当然ながら突発的に発生する災害には必要な人員が必要な位置に待機している確証も無く、責任者さえ必要な判断の瞬間に連絡不通ともなりかねず、実際そうなった。

 大震災は戦後最大の規模で展開したため、被災地は広範囲に及びました。そして情報は取捨選択の時間さえなく、膨大な情報が一次情報と二次情報が確認情報と未確認情報混在のまま情報のみ報告書で山積し、事象責任者は順次対応するとの平時手続きに拘れば、本当の危機的情報が山積した書類山脈深部に埋没、全体像さえ曖昧模糊としたまま、悪化する。

 有事とはああしたものなのだろう、と考えます。兎も角当時の政府中枢は全ての施策に主導権を採る事を重視し、官邸主導という美名で官僚不活用という実態を覆いました。元々官僚機構は指揮中枢の官邸が多用する幕僚機構であるのですが、官邸主導により限られた人員のみで幕僚機構を兼ねようとした事が、結果的にマクロ的施策を取り損ねる事となる。

 阪神大震災の際には首相官邸危機管理対策室が食堂の一角に臨時設置され、FAX二回線のみが常備されているのみという、いわば防災の第一線は都道府県にあるとの認識からは脱却し、首相官邸には官邸危機管理対策室が設置され、情報を一元化可能な体制が固まっていたにも関わらず、その情報をどのように処理し判断するかの、人的要素が不足していた。

 政令を危機管理に際しては必要ならば立法府を補完する形で平時法整備の下では対処不能な状況に法的根拠を与える事が当時の政府に求められた筈で、現場判断に超法規的措置の責任と結果を押し付ける構図とならぬよう、対応する事が当時の行政府に求められたと考えるのですが、何分、第一線の判断への介入を行政府が行い、視野狭窄を招いたよう思う。

 もっと救えたのではないか、救助の第一線にいた方々は勿論、必要な装備や航空機が定数通りに機能するのであれば、と考えさせられる視点です。勿論、この視点は阪神大震災においても、もう少し機材があれば、削岩機やレッカー一つでも、という視点はありましたので、多くの犠牲者に対する哀悼も含め、永遠の課題と論点なのだともいえるのですが。

 南海トラフ巨大地震、当方が祈念するのは東日本大震災の教訓を明日の震災に備える事が哀悼の数少ない手段ではないか、というものです。南海トラフ巨大地震は最大規模で発災したならば東日本大震災の16倍もの人的犠牲が生じるという予測が当時の菅内閣時代に出されたものの、抜本的な対策と危機管理への施策へ着手されていないとの焦燥感がある。

 南海トラフ巨大地震では大阪駅付近まで津波が到達するとの大阪市の独自被害想定が示されました。ただ、大阪市は津波波高と地点標高を単純計算し、海面上昇と津波被害を混同している可能性があり、枚方市や高槻市へも広範囲の浸水があるとの資料も示していることから、その被害想定については精査が求められるのですが、自治体対応力を超えている。

 津波避難タワー建設や津波救命艇の製造等、一応の構図は取られているように見えるのですが、広域浸水と長期浸水への対応、沿岸部の自治体だけで完結できるものではなく、何か、具体施策を行う事が防災ではなく批判回避に力点が置かれているようみえます。具体的には巨大災害を有事と認め、全て包括した危機管理法体系を構築する方が先ではないか。

 阪神大震災の所感から東北地方の東日本大震災を考える事は申し訳なくもあるのですが、津波警戒区域の設定と復興計画の手順が曖昧で、恰も明日にも巨大津波が再来するが如き住宅再建の制限、過度な住民合意を求めつつ意見集約手段と合意形成手段を明確化しなかった事が結局のところ復興への時間を特に長期化させたのではないかとの印象があります。

 復興の点も、迅速な復興よりも合意形成を刑事的に重視し批判を回避する方針が復旧直後に示され、その延長線上に復興計画が示されたためではないかと考えてしまいます。東日本大震災から七年が経ちました。追悼と鎮魂を祈りつつ、しかし次に更なる巨大災害が想定されている事を認識、祈るだけの防災に終わらぬよう、対策を講じる事が必要でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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コメント (1)
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