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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新幹線0,100,300,500,700,N700 日本列島高速特急網

2008-01-21 11:33:47 | コラム

■東海道山陽新幹線

 高度経済成長と安定成長、日本経済を今の地位にまで引き上げたものは、高速道路、自動車産業、技術者、様々なものが挙げられると思うが、その筆頭に新幹線を挙げることに異論は少ないだろう。

Img_1835  2008年秋には全車除籍が決定している山陽新幹線の0系新幹線。今日では山陽新幹線の新大阪~博多のこだま号運行となっている。

 この0系が現役でN700系が運行されている今ならば、まだ、東海道新幹線開業から今日の最新鋭新幹線までの技術史というべき道程を駅のホームから概括できる、ということで、小生はC.ジョニー氏とともに新幹線の通過を撮影できる姫路駅に展開した。

Img_1833  1964年の新幹線開業から1986年まで長期にわたって生産され、東海道山陽新幹線の主力車両として運用された0系新幹線。3000両以上が生産された本車も残りあと六編成といわれている。営業速度は210km/hと最新鋭新幹線に比較すればやや見劣りするが、世界の特急列車では今尚、上位の営業運転速度を誇る。

Img_1678  100系新幹線は、0系新幹線に代わる車両として1985年から導入が開始、0系の老朽化という背景があった為、最高速度は220km/hとなっているが、約1000両が生産され、既に姿は無いがダブルデッカー車四両を中間車としたV編成、いわゆるグランドひかり号は、新幹線が輸送機関から旅客機関へと転じ、車窓を楽しむという時間に余裕を見出した車両であったが、その後継者はとうとう生まれなかった。こうして、その速度から過渡期の車両という背景があり、0系とともに遠からず引退するものと考えられる。

Img_1786  300系新幹線は、最高速度270km/hと性能を向上させ、1990年から1998年に約1000両が生産された車両。のぞみ号としての運行が行われ、VVVFインバータ制御方式を採用するなど、技術的に新世代を切り開いた車両である。しかし、300km/h運行に対応出来ないことから、間もなく大量淘汰が始まるとされている。

Img_1692  のぞみ号通過!

 500系新幹線は、1997年に導入、営業運転速度300km/h、東京~大阪を約二時間半で結び、一時はフランスの高速鉄道TGVに抜かれた速度世界一の座に再び舞い戻った車両である。高速運転やトンネル口における騒音対策の観点から採用された鋭利な先頭車輌、流線状の車体、まさしく航空機に匹敵する秀逸な車両デザインは1998年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞している。

Img_1697  2001年にフランスのTGVが営業運転速度を320km/hに引き上げているが、営業運転の目的地到達時間を示した表定速度では、500系がギネスブックに登録されている。他方、過度な高速性能の追求から車内容積が圧縮され、また、高性能であるがゆえに価格も高価であり、9編成の生産に留められた。今後は、短縮編成となり、山陽新幹線での運行となる見込みである。

Img_1758  700系は、高価な500系からやや性能を落とし、0系、100系新幹線を東海道新幹線において代替する目的で導入された車両で、1999年から約1300両が導入されている。最高営業速度は285km/hで、試験走行では300km/h以上を記録しているが、大都市間高速鉄道である所以から騒音対策の観点に注力する必要があり、営業速度に影響している。

Img_1688  700系と100系新幹線。今回、新幹線を、特に通過がみられる姫路駅で撮影した際にC.ジョニー氏共々痛感したのは、想像を絶する高速度とその静粛性である。N700系などは気付くと通過している、という場合も多々あり、運行本数と利便性から京都を基点に名古屋、東京、博多に展開する際には航空機を凌駕する時間で移動が可能となる、この単純な論理を支えているのが、あの速度である、と今更ながら感心させられた。

Img_1798  2007年から導入されたN700系新幹線。通過する様子を後ろから撮影。0系新幹線と、半世紀誓い技術進化の過程を端的に示す事例だ。三年後には全のぞみ号がN700系により運行されるといわれ、今後の新幹線の主力車両となることが約束されている車両である。

 ご一緒させていただきました、C.ジョニー様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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700系Rail Star & 100系こだま & 寝台急行銀河 撮影紀行

2008-01-20 00:26:13 | コラム

■流し撮りに挑戦

 先日、再び新幹線撮影に新大阪駅に展開した。しかし、時間が時間だけに既に周辺は暗くなっており、新大阪には日本海が停車していたほど。したがって、暗くなっており、撮影は流し撮りとなった。

Img_5629  山陽新幹線の、ひかりレールスター編成の700系新幹線。指定席車がグリーン車並の内装を有していることで知られ、ひかりと冠された名称ながら、新大阪と博多を二時間四十五分程で結び、のぞみ号に匹敵する。従って人気があり、八両編成ながら見るべき点が多い。東海道の白地の車体に青い筋が入れられた700系とは、車体の塗装を変えるだけでここまで印象がかわるとは、という印象である。

Img_5614  100系新幹線。山陽新幹線では、こだま号の主力として運用されている。二列二列のゆったりとした自由席が長距離旅行に嬉しい山陽新幹線仕様の100系も、今秋にも全車除籍が決定している0系新幹線の後を追うのは時間の問題ではないかといえる。個人的に100系新幹線が500系に次いでデザインが良いと考えるだけに残念である。

Img_5205  ところ代わって京都駅。寝台急行銀河東京行きが到着した様子。三月には廃止となることが決定しており、ブルートレインの急行をみることができるのも後僅かである。廃止の主因である利用者が少ない点については、その高すぎる寝台料金にあり、ムーンライトながら指定席料金の十倍以上というものが敷居を高くしている。せめて、なはあかつき号並みのソロB寝台(B寝台料金で個室が使える)を3000円くらいで利用できるならば、とも。急行きたぐにのように、普通車を連結すれば、という方策も浮かばないではない。夜間の停車駅人員確保の難点が挙げられるようだが、ムーンライトながらや臨時運行のムーンライト九州などは残るのだし、大阪~東京ならば、料金さえ見直せば需要はあると思うのだけど、ね。

HARUNA

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陸上自衛隊下志津駐屯地 高射学校の保存装備

2008-01-19 13:27:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■高射特科装備の変遷

 千葉県の下志津駐屯地、陸上自衛隊下志津駐屯地祭、毎年四月下旬に行われる駐屯地祭で、高射特科職種の教育を一手に担う陸上自衛隊の教育機関が駐屯している。今回は、その駐屯地で保管されている保存装備。

Img_9824_1  装備品展示に並ぶ各種現役車両。陸上自衛隊高射特科部隊の華といえば、03式中距離地対空誘導弾、いわゆる中SAMである。射程は60kmといわれ、限定的な弾道弾迎撃能力があるとされる。弾体はペトリオットよりも小柄ながら、一世代新しいこともあり、索敵、誘導方式、発射運用、どれをとっても世界最先端の高射装備である。しかしながら、ここに来るまでは様々な歴史が土台としてある。高射学校には、とうぜん、これら装備も保存されている。

Img_9830_1  写真はM51/75㍉高射砲。1952年の保安隊発足時に米軍から供与された高射砲で、M38射撃統制装置と連動して射撃する近代的な高射砲で、当時は航空自衛隊の基地などの防空も陸自の任務であったため、航空基地や後方策源地における防空を請け負っていた。砲は重量8.6㌧、25㌧牽引車により運用された。毎分45~55発の発射速度を有し、有効射程は6.3km、最大射程13.5kmである。

Img_9837_1  高い発射速度を担保した22発収容のドラム式給弾装置がみえる。近接信管(VT)を用いる本砲の導入は、陸上自衛隊初期の防空装備が少なくとも質では先端を走っていたことを意味する。

 ところで、陸自では写真などをみるとM1A1/90㍉高射砲も運用していたようだが、どこかの駐屯地に残っていないのだろうか。

Img_9831_1  M42自走高射機関砲。40㍉機関砲を連装で搭載しており、目視照準により射撃する。米軍供与装備で、第7混成団(第7師団)の高射装備として主に装備された。この目視に頼るM42の他に、自走高射火器は、ハーフトラックに37㍉機関砲と機銃を搭載したM15A1があったおだが、M15A1は供与装備ということで、基本的に米国へ返還、ということとなっているようだ。

Img_9832_1  L90/35㍉高射機関砲。スイスのエリコン社製で、スーパーフレダーマウス一基、電源車一基、光学目標照準器一基、機関砲二基、機関砲電源車二基から構成される。FCSにより管制され、高い命中精度を発揮するが、牽引状態から設置し、各砲と電源車と照準装置を接続するのに20分ほど必要とのこと。しかし、師団高射特科大隊の主力装備として長く防空の傘を第一線に供した。まだ、北部方面隊と東北方面隊の一部師団で運用されている。

Img_9833_1  こちらは旧陸軍の25㍉機関砲。沖縄戦で使用されたもので、沖縄島首里西方の激戦で千葉から派遣された第62師団独立第二大隊で運用されたもの。弾倉を手動で給弾し射撃するもので、対空戦以外に地上掃討にも使用された。この機関砲は1973年8月に首里東側の大名付近で行われた不発弾処理の際に発見されたもので、千葉県に里帰りした。

Img_9836_1  99式80㍉高射砲。京阪地区の防空に用いられてたもので、1941年11月に中部方面防空旅団、1944年には高射第3師団として改編強化された。この砲は、高射砲第12連隊か、高射砲第123連隊の装備といわれている。ところで、この高射砲で日本戦車の強敵、米軍のM-4戦車を水平射撃したらどうなったのかに興味が湧いたりする。

 このほか、ホークミサイルが展示されており、更に資料館が当時から今日までの取り組みなどを紹介している。

HARUNA

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陸上自衛隊第2教育団大津駐屯地創設記念行事 装備品展示編

2008-01-18 13:53:25 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大津駐屯地祭2007

 大津駐屯地創設記念行事、この他、大久保とか厚木とか、金沢とかいろいろ掲載予定、でも下志津駐屯地祭の訓練展示、載せたっけ?03式中SAMの装備品展示はまだ載せてないような、で、舞鶴と呉の展示訓練に、小松と岐阜と浜松の航空祭、横須賀の空母・・・。

Img_1583  さて、本日も昨日に引き続き、大津駐屯地祭。訓練展示は模擬戦が仮設敵陣地に我が普通科部隊が突入して掃討、奪還して状況終了となった。一仕事終えた精悍な顔つきの隊員が重火器を手に完全装備で戻ってくる。身に着けているのは小銃弾も防ぐというプレートが内蔵された戦闘防弾チョッキ2型。遠からず腕や下腹部も覆う型が出るのではなかろうか。

Img_1586  訓練展示に参加した姫路のFH-70榴弾砲が自走してグラウンドを走る。これは装備品展示の位置に移動する為の移動である。大津駐屯地祭は新隊員の父母が多く観覧するとあって、陸上自衛隊の駐屯地祭は初めて!というか、大砲を見るのも初めて、という方も多いようで、訓練展示の空包発射には相当驚かれるようだ。

Img_1442  装備品展示への車両移動と同時に、小生と、このとき大津で初めて知り合った金沢の三日月猫氏、桂や先日の府警視閲式でお世話になったH氏とともに琵琶湖体験航海受付、なるものに走っていった。救命胴衣の説明を受け、一行は施設科装備である軽徒橋の上を渡河ボートへ向かった。この軽徒橋は、河川に敷設し迅速に徒歩部隊を渡河させる装備である。駐屯地祭では中々見れない装備の一つといえる。

Img_1448  渡河ボート上にて琵琶湖から眺める大津市。考えてみれば、渡河ボートも師団や施設科部隊の駐屯地ではトラックに積まれ観閲行進に参加するが、実際に乗ることが出来るのは、大久保駐屯地など渡河訓練用の池がある駐屯地くらいであり、この琵琶湖クルーズというのは貴重な体験である。部隊でも、一般の人を体験試乗させることで災害派遣における運用のノウハウを、という狙いがあったりするのだろうか。

Img_1599  渡河ボート体験試乗の様子を駐屯地から撮影。ちなみに、昨年度の大津駐屯地祭では、渡河ボート数隻を導板で繋ぎ、艀のようにして高機動車を琵琶湖上に待機、訓練展示において仮設敵陣地の後方に強襲上陸し普通科部隊を展開させるという展示が為されていた。一般席、招待席双方から死角だったので、気付いた方は少なかったようだが今年度は、渡河ボートをこういった方法で公開していた訳だ。

Img_1483  琵琶湖畔の装備品展示。そもそも大津駐屯地は海軍航空隊の水上機部隊の基地として運用されていた歴史があり、琵琶湖に面している。そういう理由から、装備品展示会場のすぐ隣が琵琶湖ということもあって、一種、不思議な情景を醸しだしている。写真は信太山駐屯地の第37普通科連隊から式典に参加した82式指揮通信車。

Img_1617  大津駐屯地は、琵琶湖と比叡の峰々に囲まれた風光明媚な駐屯地である。長い砲身のFH-70榴弾砲は先ほど、訓練展示後に移動していた砲である。一般公開となると子供たちがよじ登り、ジャングルジムのようなほのぼのとした印象。ちなみに空包を発射したので、このあと砲身内の錆の原因となる火薬の残滓を除去する清掃作業を行わねばならない。

Img_1616  手前の小型の砲のようなものが120㍉重迫撃砲RT,そして軽装甲機動車、第3戦車大隊の部隊マークである紅い獅子のマークが描かれた車両が96式装輪装甲車。その向こうで天に向けられている箱型のランチャーが、湖北の饗庭野分屯基地から参加した航空自衛隊第12高射隊の地対空誘導弾、ペトリオットミサイル発射機である。

Img_1478  グラウンドには、観閲行進における祝賀飛行に飛来した第5対戦車ヘリコプター隊の対戦車ヘリコプターAH-1S.三重県の明野駐屯地から参加した中部方面隊唯一の空中打撃部隊である。暗視装置により昼夜問わず低空から戦車部隊や後方陣地に襲い掛かり、機関砲、対戦車ミサイル、ロケット弾を駆使して目標を無力化するヘリコプターである。

Img_1613  コックピットも撮影してよいとのことだったのでみてみると、1㍍以下という細身の機体に戦闘に必要な機材が盛り込まれているといった印象。現在、新型のAH-64Dに機種転換中だが、高価過ぎるのと運用上、生産設備の理由から調達打ち切りの話が出ており、AH-1Sの後継機がどうなるのかについて関心を集めている。

Img_1496  大津駐屯地の保存地区。手前から74式戦車、F-1支援戦闘機、F-86D夜間戦闘機、その向こうに砲身だけ覗かせている61式戦車、そして一番奥の建物が資料館である。何故、ここにF-1支援戦闘機が展示されているか、驚いてしまったが、ここが旧海軍航空隊の施設であったことと関係があるのだろうか。

Img_1467  装備品展示番外編。国連平和維持活動仕様(?)のリヤカー。よくみるとこの駐屯地に駐屯している共通教育中隊の部隊名が書かれている。しかし、UN,とも。これも国際化の表れに他なるまい、と余り深く考えず理解した。でも、なんでだろ。

 さて、以上が大津駐屯地祭の顛末である。駐屯地祭は毎年五月の中旬から下旬、JR京都駅から湖西線の乗り換えて西大津駅からシャトルバス利用。中部方面隊最大規模の徒歩観閲行進と日本最大の湖、琵琶湖を活かした展示が名物である。

HARUNA

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陸上自衛隊 大津駐屯地祭2007 詳報 訓練展示編 

2008-01-17 13:35:19 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大津駐屯地祭 2007.05.20

 本日2000時からNHK総合で木曜時代劇“鞍馬天狗”がはじまるという。嵐寛寿郎の鞍馬天狗からどの程度変わってしまうか少し心配ではあるが、舞台は京都、KBS京都でも鞍馬天狗は何度も放映されており、お話は好きである。

Img_1260  さて、“くらま”といえば“ひえい”、比叡山といえば麓の大津市、大津市といえば大津駐屯地祭。観閲行進編から引き続き、久々に掲載したい。今回は訓練展示編である。

Img_1292  観閲行進の次は訓練展示である。訓練展示に備え、第二教育団共通教育中隊の隊員が整列する。

Img_1306  大津駐屯地祭訓練展示名物が、この自衛隊体操である。体操というと地味な響きだが、歓声を上げつつ式典会場に駆けつける。この駆けつけるところだけでも迫力がある。

 参加するのは第109教育大隊、第110教育大隊の前期教育中の隊員である。

Img_1322  自衛隊体操とは強化版ラジオ体操というべきか、これだけの人員が参加する展示というのは案外少ない。これも中部方面隊有数の参加隊員数を誇る大津駐屯地祭ならではのものといえるのだろうか。彼ら彼女らも今頃は、中部方面隊の各部隊において後期教育を終えて活躍していることだろう。

Img_1329  自衛隊体操を完了し、やはり駆け足で撤収する。これだけ迫力があるのなら、訓練展示模擬戦の最終段階に鉄帽と64式小銃で大隊規模の銃剣突撃を展示、とか見てみたい。その昔、富士総合火力演習の最終場面は銃剣突撃であったというが、最近は大規模な銃剣突撃をみることは中々出来ない。

Img_1337  訓練展示は模擬戦に移行する。模擬戦の仮設敵が大胆にも陣地持参で会場の一部を占拠し始める。

Img_1352  模擬戦は、仮設敵がわが国の一部領土を占領し、防衛出動命令が発令されたとの想定。

 八尾駐屯地から飛来した第3飛行隊の観測ヘリコプターOH-6Dが飛来、観測ヘリならではの軽快な運動性を駆使し、対空砲火をかわしつつ状況を偵察する。

Img_1366  観測ヘリの情報を元に、同じく第3飛行隊の多用途ヘリUH-1Jが飛来、信太山駐屯地から展開した第37普通科連隊の情報小隊から選抜されたレンジャー隊員が敵陣地後方にリペリング降下し、情報収集と攪乱にあたる。素早く四名が一斉に降下、そして奥深くに潜り込んで行く。

Img_1389  伊丹駐屯地から展開した第3偵察隊が正面から敵情を探る。斥候小隊の任務は索敵であるが、仮設敵陣地から銃火が!我が方は62式機銃を射撃し応戦する。

Img_1449_1  偵察隊に攻撃を加えたことで仮設敵はその位置を自ら銃声と発砲焔で暴露した。その仮設敵陣地に目掛け、我が機械化部隊が前進する。

Img_1481_1  普通科連隊に装備され乗車戦闘を念頭に運用される軽装甲機動車と、戦車大隊などに配備され、適宜戦車支援に用いる96式装輪装甲車の協同。本来であれば、96式も北部方面隊のように普通科連隊に多数配備されていればいいのだが、特に乗車戦闘が基本の軽装甲機動車と、降車戦闘に至るまで乗員を防護し前進できる96式装輪装甲車、これらの連携が、例えば交戦距離が極端に短くなる市街地での戦闘では必要なのだが。

Img_1405  敵戦車を撃破、直接照準により堅固な陣地を破砕するべく、今津駐屯地の第3戦車大隊から74式戦車が展開。

Img_1446_1  大津駐屯地の陸曹教育隊も120㍉重迫撃砲RTを展開させ、戦闘を火力支援する。

 射程が長く、最前線から敵後方の火砲を攪乱射撃したり、後方陣地に配備し、長射程を活かし、野砲以上に木目細かな火力支援などを実施する。軽装甲機動車は第37普通科連隊の車両。

Img_1489_1  姫路駐屯地の第3特科隊から派遣されたFH-70榴弾砲が発砲。射程延伸弾を用いて後方の野砲陣地を充分な間合いをとって叩き潰す対砲兵戦や、敵迫撃砲の駆除、そして普通科部隊が突入する直前に火力支援を行い、仮設敵陣地の機銃などを沈黙させるなど、様々な用途に用いられる。特科隊は、特科連隊が大隊を基本単位とする編成に対して、特科隊は中隊を基幹とする編成を採っている。

Img_1436  74式戦車が発砲する。L7/105㍉戦車砲は、90年代に新型の装弾筒付徹甲弾を採用、火力は現用戦車にも対抗しうる能力を有し、夜戦能力や情報能力では運用の工夫が必要ながら、いまなお数では陸上自衛隊の中核を担っている戦車だ。

Img_1556  戦車砲の直接照準射撃により敵陣地はいよいよ沈黙、機は熟した!96式装輪装甲車から続々と普通科隊員が降車する。

Img_1570  秘匿された機銃陣地に備えて01式軽対戦車誘導弾が軽装甲機動車の車上から発射準備を整える。機銃陣地を迅速に撃破するには携帯対戦車ミサイルが有効であるというのが1982年のフォークランド紛争の戦訓で、2003年のイラク戦争でもこの方法が用いられた。大火力で付近にも被害を及ぼす砲迫よりも、市街地では損害を局限できるという点は重要である。

Img_1566  軽装甲機動車から陸曹教育隊の隊員が駆け下りて銃剣突撃に加わる。

 如何に火力が発達しようとも、戦車が強力になろうとも、最後に陣地に篭った敵を引き吊りだし、占領する任務は、普通科部隊が小銃、銃剣を駆使して行う。こうして降車した普通科隊員が陣地に突入し、銃を突きつけるという展示を実施、状況は終了となった。

Img_1582  状況終了後、撤収する隊員。小銃や機銃、対戦車ミサイルを手に、土埃纏わりつく戦闘防弾チョッキ。こうしてみると、やはり陸上自衛隊は強そうだ。こうみえることが抑止力として重要である。

 訓練展示に参加した車両は装備品展示に向け移動を開始、轟々たるエンジン音が精強さを引き立てているようだ。

HARUNA

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海上自衛隊近海練習航海部隊(1) 1月27日 名古屋港寄港

2008-01-16 09:20:42 | 北大路機関 広報

■練習艦・護衛艦名古屋寄港&一般公開

 1月27日といえば、モーツァルトの誕生日であるが、今年の1月27日、名古屋港に海上自衛隊の近海練習航海部隊が名古屋港に寄港する旨、愛知地方協力本部HP()に出ていたと、C.ジョニー氏に教えていただいた。

Img_7235  1月15日の海上自衛隊ニュースリリース()によれば、一般幹部候補生に対し、初級幹部海上実習(近海練習航海その2及び遠洋練習航海)に連接するために必要な基礎事項を習得させ、艦内生活への慣熟及びシーマンシップの体得を目的とした近海練習航海(その1)を1月23日から2月24日にかけて実施するとのこと。

Img_7486  指揮官は練習艦隊司令官である井上力海将補で、参加艦艇は、練習艦「かしま」、練習艦「しまゆき」、練習艦「あさぎり」、護衛艦「うみぎり」の四隻。参加人員は第58期一般幹部候補生課程学生190名を含む860名。2007年の神戸港寄港と基本的に規模は同じである。

Img_5778_1  名古屋港における一般公開は、名古屋港ガーデン埠頭において1月27日の1300~1600時、1月28日の0900~1100時と1300~1600時、1月29日の0900~1100時と1300~1600時の予定。名古屋港ガーデン埠頭(先日掲載した出初式を実施した場所)へはJR名古屋駅から二駅先の金山総合駅から地下鉄名港線に乗り換え、名古屋港駅から徒歩五分で到達することが出来る。

HARUNA

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京都府警察年頭視閲式2008 古都を護る誇り高き現代の新撰組

2008-01-15 21:19:47 | 防衛・安全保障

■サミット外相会談警備へ志を新たに

 本日、平安神宮にほど近い左京区は京都会館前にて、恒例の京都府警年頭視閲式が行われた。京都府警は近畿管区警察局の隷下にあり、京都府全域の治安を預る現代の新撰組である。

Img_0911  京都府警機動隊、管区機動隊、警察学校生徒、と、任務に応じ様々な部署の警察官が整列する。

 手前は機動隊員、そしてその向こうに管区機動隊員、ここからは良く見えないが、災害派遣に対応する広域緊急援助隊や犯罪捜査をハイテク装備により迅速に支援する装備隊、警察犬部隊などが式典に参加していた。

Img_0941  整列した警察官は340名、整列した警察官を視閲する青木吾郎京都府警本部長。

 この年頭視閲式は、一般道路を交通規制して実施されるものであるが、自由に観覧することが出来る。平日ということで、陸上自衛隊の駐屯地祭などと比較すると観覧者は少なめである。

Img_1017  訓示を行う山田啓二京都府知事。

 京都を取り巻く治安状況は、今朝のBSニュースでも出ていたが、京都精華大学学生殺人事件など、今日で発生から一年が経つが犯人逮捕に至っていない重大事件もあり、更に今年には京都においてサミット外相会談の警備という重大任務が控えている。府知事は警察官を激励するとともに、府民の期待と信頼を代表して訓示した。

Img_5244  各大隊ごとに駆け足!。

 訓示、祝辞が予定通り終了し、分列行進準備の号令が掛かる。こうして一斉に駆け足で待機位置へ展開する。式典会場は、静から動へ、340名の警察官が上げる駆け足の号令に包まれた。

Img_5297  機動隊による分列行進。京都府に隣接する大阪府警の年頭視閲式は、MP-5J機関短銃を携行した軍隊のような装備であったとのことだが、幸い、京都府はそこまで治安は悪化していない。従来のジェラルミン製から更新した透明樹脂製の大盾を手に、新装備の出動服に身を包み、一糸乱れぬ行進を行った。行進とともに市民から拍手が湧き、続いて来賓席からも拍手が贈られた。

Img_1062  大隊旗を先頭に行進する女性警察官。

 規模の小さい警察本部では視閲式ではなく、小規模な出動式により代えることもあるそうで、考えてみれば、この年頭視閲式は、京都府警が大規模警察本部であるという象徴なのだろうか。

Img_1144  徒歩行進に続き車両行進に移る。二列で会場に進入する白バイ隊。交通機動隊の車両で、交通取締りの他に、京都市内で行われる駅伝やマラソンなどでの出動が全国放送で流れ、その高い運転技術で知られている。よくみると、式典に参加した白バイにはライトの形状などで幾つかの種類があることが判る。

Img_5369  自動車警邏隊のパトロールカー。交番と並んで、お巡りさんときくと連想するものだろう。

 車両行進には、パトカーを初めとして特殊車両など49台が参加している。音楽隊の奏でる“抜刀隊”とともに間近でみる警察車両は迫力満点だ。

Img_1169  防弾鋼板に包まれ、機銃の銃撃にも耐えるという防爆警備車(警察では市民に威圧感を与えないという配慮から防弾車両を防爆警備車といい、拳銃を短銃という)、その後ろに続く遊撃放水車、災害特殊車両、指揮車両など、京都府警の誇る特殊車両が続々と行進を行う。今年の標語は『力強い頼りがいのある警察』、古都京都の護りを象徴する車両群である。

Img_1195  行進の最後は京都府警航空隊が誇るBK-117型ヘリコプターが低空でフライパスした。こうして、朝、0930時から1030時に掛けて行われた年頭視閲式は幕を下ろした。平日の午前中ということで、観覧者は少なかったが、時間に余裕のある方は、来年の視閲式に足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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名古屋市消防局出初式2008 新年に防火の決意を固める

2008-01-14 16:28:24 | 旅行記

■東海地震に備えよ!

 日曜日、名古屋港にて2008年消防出初式が行われた。2008年最初の行事展開として、毎回お世話になっているC.ジョニー氏、T氏とともに撮影に展開した。

Img_4752  2008年最初の行事は、第一空挺団空挺初降下に展開!と考えて切符を買いに行ったら、夜行が満席だった。銀河とか使ってもいいんだけど、あれは高いしなあ、ということで、京都から比較的近距離で、なおかつ例によって例の如く展開できなかった京都市消防出初式の代替に京都の消防関係機関が参加する行事ということで名古屋市消防出初式に行ってきました。

Img_4734  早起きは三門のなんとやら。金山総合駅で地下鉄に乗り換え、急いでいってみると三門では無いが機関砲二門積んだ名古屋港のヌシが出てきた。巡視船みずほ。みずほ型のネームシップ、ヘリコプターを二機搭載する大型巡視船で、30㍉機関砲と20㍉多銃身機銃を搭載している。

Img_0510  消防出初式は消防団を中心に名古屋市消防局の消防士など、総勢2000名以上の消防関係者が参加する一大行事で、考えてみれば、守山、千僧、伊丹といった大規模な駐屯地祭でも800名程度の整列。行進では2000名が複縦列を組むので、大津駐屯地祭の行進よりも大規模である。消防車は各種車両80台が参加している。

Img_0532  ヘリコプター五機が祝賀飛行に参加した。愛知県以外に、岐阜県、そして京都府よりヘリコプターが参加している。写真は両方ともドーファンであるが、後方を飛行しているのは京都市消防局のドーファン、“あたご”である。この他、“ひえい”が京都市の大規模火災や災害に備えている。

Img_4911  分列行進に続いて訓練展示が行われた。東海地震、東南海地震、南海地震と、最近はH5N1型インフルエンザの方が危険性が叫ばれているが、れっきとした脅威が指摘されており、その際に第一に出動するのが消防である。消防車が展開し、同時にヘリコプターが上空から情報収集と要救助者の搬送を行い、ハイパーレスキューが展開し、消防車を支援するという内容である。

Img_4928  海上からは、金龍、飛龍と海上保安庁の消防船しらいとが参加した。そして最後は一斉放水を実施、状況は終了となった。昨年初めて見学した名古屋市消防出初式、今年は二度目であるが、複数回見学すると要領が掴めて来る。今年はモリゾーとキッコロは来なかったが、興味深い一日であった。

 最後になりましたが、C.ジョニー様、T様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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京都から奈良 地下鉄烏丸線から近鉄奈良線へ

2008-01-13 18:38:28 | コラム

■伊勢志摩ライナーにビスタカー

 本日は遠征を実施したが、画像データの整理が終了していない為、先日撮影した京都市営地下鉄と近鉄電車を写真を掲載したい。今回のテーマは、濃霧である。

Img_4383  私事ながら、鉄道の車輌に関心があると、例えば大学院の公務にあたる移動の際にも、カメラ一つで零細時間を有効活用することが出来る。短時間であっても大きな収穫がある場合もあり、同じ車輌でも天候や撮影場所が少し違うだけで、鉄道車両は全く異なる面持ちをカメラに収めることが出来る。

Img_4341  北大路駅に到着する京都市交通局10系電車。国際会館駅から京都駅を経て竹田駅に達する地下鉄烏丸線の車輌で、烏丸線は、基本的にこの車輌と近鉄乗り入れ車輌により運行されている。また、この車輌も近鉄奈良駅まで乗り入れるダイヤも組まれている。1981年に京都~北大路間が開通して以来の車輌である。

Img_4347  近鉄3200系電車。行先表示板をみると普通電車国際会館行きとある。これとは別に竹田駅でY字に分かれており、特急や急行は近鉄京都駅に向かう。また、一部はこのように地下鉄に乗り入れており、急行奈良行きが国際会館駅から京都を経て直通運転している。この車輌は3700番台とあるが、VVVFインバータ制御を搭載した3200系車輌で、ロングシート車、1986年から導入された車輌。

Img_4358  写真を見ると、目的地に向かうにつれて霧が出てきている。普通電車、京都行きの近鉄8600系電車。1973年から導入された車輌で、それ以前に運用されていた8400系電車に冷房装置を搭載した車輌。貫通扉を配した近鉄電車の基本形である。

Img_4349  12200系電車、いわゆるスナックカー。新幹線に対抗し、軽食を提供する特急電車として導入されたが、今日では自販機に置き換えられている。その昔、奈良線には近鉄としては今はもう存在しない特別料金不要の特急が運行されていたが、今日では全て特別料金が必要である。

Img_4345  だんだん濃霧になってゆく。大丈夫か。

 3220系電車。この電車も3200系と同じく地下鉄線に乗り入れている。21世紀最初の年である2001年にローレル賞を受賞している。ちなみに、先日、京阪電車のような近鉄電車として掲載したのは本車。あのときはどうみても京阪9000系にみえたが、塗装ひとつでここまで印象が変わるという好例だ。

Img_4367  30000系電車ビスタカー三世。1979年にブルーリボン賞を受賞して一躍近鉄特急の象徴となり、アーバンライナー登場後も支線特急として活躍する車輌。二階建てのダブルデーッカー車を中間車として有している。

 ところで、霧の様子を撮影しようとしていて偶然この特急が写ったという状況。これから目的地まで、無事に着けるのだろうか!?どうする?俺!?!?。

Img_4374  目的地間近になって、ついに赤信号で停車。電車から撮影しているので、乗っているのは最前列、車輌無線が運転台から聴こえてくる。停車はどうやら濃霧が原因らしい、濃いミルクのような白い霧が閉ざされた視界から微かに見え、より視界は白い空間により置き換えられてゆく。

Img_4379  しかし幸い、停車時間は数分。そもそも目的地の駅が霧の向こうに微かに見えており、充分な時間の余裕をもって行動していたので、休憩がてら23000系特急電車、伊勢志摩ライナーを撮影する。サロンカーやシーサイドカフェを装備する(ただし、今日では自販機)豪華な特急電車である。バス乗換えの時間が近付いてきたので、小生は目的地へ移動を再開した。

HARUNA

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新幹線0系電車 山陽路に残る夢の超特急 2008年秋期までに全車除籍

2008-01-12 11:21:55 | コラム

■N700試運転にドクターイエロー

 0系新幹線。夢の特急として1964年に華々しくデビュー。3000輌以上が生産され、100系が登場するまで、長く世界の高速鉄道をリードする車輌として羨望の眼差しを集めた。

Img_4651  100系、300系、500系と続々新しい車輌が登場する中、新世代車と比べ性能に限界がある0系は、1999年に東海道新幹線より引退し、現在は山陽新幹線にて短編成の「こだま」号として少数が運行されている。しかし、今年秋には、N700系に押される形で500系が山陽新幹線に配備され、結果、0系新幹線はついに現役から歴史へと転じることとなった。

Img_4581  私事ながら急遽時間が取れたので、そのまま京都駅から新大阪駅に展開。広大な大阪駅のホームに降り立った(正確には高架なので登ったというべきか)。するとN700系新幹線が、ちょうど発車するところであった。大量配備が行われるこれからは、N700系は新幹線の代名詞となり、珍しくもなんとも無い車輌になるのだろう。

Img_4578  と思ってよ~くみてみると、試運転!。おお、N700系の試運転、これは初めて見るかも!?。なるほど、やけに空席が目立つと思ったらば試運転だったのか。納得である。N700系と従来の700系は、先頭車輌のほかに、車体窓の大きさやLED方式の行先表示板などで容易に判別できるのだが、いきなりいると、やっぱ比べて見ないと、特に窓の大きさでは錯誤がありそうな実感である。

Img_4606  新大阪駅に入線する「こだま663号」広島行きの0系新幹線。現在、僅かに六編成が運行されており、山陽新幹線区間のこだま号が、本数が少ないこともあって、やはり貴重な存在である。この他、100系新幹線も六両編成のK編成と四両編成のP編成があるのだが、P編成はATS制御の関係で新大阪まで乗り入れていないとのことで、K編成の入線を待とうとも思ったが、時間的な理由で断念。

Img_4642  前にも述べたように思うが、新幹線導入期というのは、寝台特急が繁栄を謳歌していた時代であり、新幹線の路線網が充実するとともに、食堂車やコンパートメントを有する100系グランドひかり号などを導入、その頃までは移動ではなく旅行の一行程としての鉄道があり得たといえるのだが、500系の時代から、航空機のような形状とともにサービスも航空機並に簡素化し、今日に至る。残念な時代のようにも思う。

Img_4670  回送電車が入線、というアナウンス。そのホームを見るとイエロー回送電車・・・、ってどこが回送なんだYO!ドクターイエローの大阪駅入線である。22番線から階段を降りて登って20番線に向かう。2000年から導入された923系、いわゆるドクターイエローで、レールの異常検地や電気関係の測定、架線形状の検査、信号機の保安などに用いられる。

Img_4679  700系新幹線を改造したドクターイエローは、従来の0系新幹線改造のものではなく、270km/hでの高速走行が可能な車輌でなければ、検査がダイヤに影響を及ぼすという関係で導入されたもの。500系や100系は撮れなかったものの、いきなりドクターイエローを撮影できた小生、やはり今年はツイてるのだろうか。ちなみに、これら車輌、もう少し多くの写真があるので、折を見て掲載したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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