■八坂さんの大晦日
大晦日、ぐるっと一周廻った話は元日に速報として掲載した。その中でも本日は、八坂神社をけら詣りについて、掲載したい。
そもそも八坂神社にしても祇園祭にしても、疫病祓いや無病息災を願ったものであり、今に至るまでの人類史は病気との闘いにより開かれたものである。いうなれば、ホモサピエンスが単一の種族として地球上の大半をその勢力圏に置く過程で集住があり、文明が発達したのだから、文明の広域化とともに疫病は媒介を得て、集住の多重化は感染の機会を生み、しばしば流行禍を生んでいる。
歴史を紐解けば、確かに戦争や内乱の災厄は多く人類に降りかかり、災害や人身による事故は多くの人を不幸に追い遣ったやも知れないが、それは一つの例外であり、常態として考えられる災厄からの回避は、文字通り無病息災であるのではないか。
そういったわけで、個人的な考えとしては、無病息災が人の活きる先に最も必要なものであり、これさえ担保されていれば、幾らでも飛躍の機会に辿り着くことができるものといえる。来年(2008)も元気で、というのは最もありふれた、しかし重要な意義があるのではないか。そう考えつつ、八坂神社参道から入ろうとすると、西楼へお回りください、と。・・・。
さすがに十時間近く鉄道旅行を終えての八坂神社、しかも深々と冷えている中であるが、境内に入ってゆくと多くの人の集まりが活気を生み、この活気がほの温かい雰囲気を醸成している。なるほど、大晦日となれば誰しも新年への期待をこめて集っているわけだ。もちろん、多くの出店が軒を連ねており、縁日のような活気が境内へ足を進めるごとに満ちてくる。
をけら詣りというくらいなので、をけらを綯った縄がそこかしこで売られている。700円くらいだったと記憶する。これは通常の藁を編んだ縄ではなく、をけらを綯った縄なので、火の回りはそこまで早くなく、家路の道中、縄が全て燃え尽きてしまうという心配は無い(和歌山や姫路あたりまで歩いて帰るなら別だが)、なんとなれ、翌朝の雑煮を炊く時に火種にするのだから翌朝まで火は続くはず。当然といえば当然だ。
八坂神社は神社であるので除夜の鐘は撞かれないが、この八坂神社は清水寺に行く道中、小生が通る道である。高台寺や法観寺、数え上げれば一冊の本になるほどの多くの寺院があり、悠久の時の流れとともにある、大晦日の情景を自然に形成してくれる。新年行事も元旦の0500時から行われるが、一旦、参拝者は神社を出なくてはならない。
をけら詣りのをけらに点ける浄火はまだ焚かれないようなので、C.ジョニー氏とともに今年最後の神社参りを行う。私事を見渡せば、相応の資料も集まり、研究の見通しもついており、順風満帆とは行かないが、それなりの展望もあるので、友人と家族の健康のみを無心に祈る。消費税5%なのでお釣りでもらう五円玉がありそうなものだが、ペットボトル緑茶を買った際のお釣り五十円しかなく、最近、どこでも五十円を賽銭としているような気がする。
神主さんご一行が本殿のほうから歩いてくる。いよいよ浄火が点けられる。多くの参拝者が、をけらを火にくべる。そして、火が点いたをけらが、消えてしまわぬようにくるくると廻している。蛍が舞うようにくるくると舞う火点が境内に少しずつ溢れてゆく情景は、ある種、情緒溢れた冬の一場面である。
しかしながら、C.ジョニー氏とともにカメラを構えていて気付いた。化繊!、そう、カメラバックや、化繊の防寒着は、をけら詣りの火で引火、若しくは簡単に溶解してしまうのだ!、折角の冬の一張羅、何かあっては大変だ、ということで、参拝もしたことだし、サッと撮って、すぐに撤収を決意。一行は八坂神社を後にした。
皆様、今年一年、健康で過ごせますように。
HARUNA
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