北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

厚木航空基地ちびっこヤングフェスタ2007 飛行展示編

2008-01-25 15:03:42 | 海上自衛隊 催事

■海上自衛隊の救難飛行部隊

 航空集団司令部が置かれている厚木航空基地一般公開、ちびっこヤングフェスタ。海上自衛隊機の地上展示、米海軍艦載機の地上展示に引き続き、第三回目にあたる今回は飛行展示の特集である。

Img_0304  厚木航空基地ということで、P-3Cの編隊飛行やSH-60Kの機動飛行なんかを期待していたのだが、この時期は厚木航空基地に前方展開する第5空母航空団が夜間に陸上空母発着訓練を実施しており、艦載機の轟音が近傍の住宅に与える騒音が相当数の苦情を寄せており、ヘリコプターによる救難飛行展示のみという内容であった。1960年代の航空写真などをみると周囲は牧草地と田畑だけであったのだが、住宅需要の高騰により基地周辺が宅地化し、今日に至る。

Img_0198  エンジン音を響かせつつ、救難飛行展示に向けて展開するUH-60J救難ヘリコプター。背後にはP-3C哨戒機が並んでいる。救難飛行展示というと航空自衛隊の航空祭における航空救難団の展示を思い浮かべられる方も多いかもしれないが、哨戒機を中心とした多数の航空機を運用する海上自衛隊にも航空自衛隊と同じようなヘリコプターによる航空救難部隊が存在する。

Img_0236  離陸するUH-60J。

 海上自衛隊には、八戸航空基地、下総航空基地、硫黄島航空基地、厚木航空基地、徳島航空基地、小月航空基地、鹿屋航空基地、大村航空基地にヘリコプターが配置されており、この他に岩国航空基地にUS-1A飛行艇を運用する第71航空隊が配置されている。

Img_0321  発炎筒を焚き、救助を求める想定要救助者。八戸航空基地あたりの北方海域では相当な傍観装備を準備していても海上を漂流している場合体温低下などで生命が危険に曝されることがある。要救助者を救出する航空救難は文字通り時間との闘いといえる厳しい任務であるが、墜落しても救助が必ずやって来る、という事実は部隊の士気を高く維持する上で不可欠である。

Img_0324  ヘリコプターから投下される5kg物糧傘。糧秣や医薬品、場合によっては輸血用血液や航空機部品などを航空機から安全に投下する装備で、この他20kg物糧傘が装備されているとのこと。筒の上部に落下傘が付属しており、投下すると自動的に開傘し降ろされる。膨張式救命筏(ゴムボート)が投下されることもあるが、まあ、厚木でそれやっちゃうと、あとが大変だしネ!ってことだろうか。

Img_0335  UH-60Jからロープが投じられる。

 このUH-60Jは航空自衛隊でも救難ヘリコプターとして運用されているが、自衛隊再編の一環として今年度末には航空自衛隊の航空救難団に統合される。つまり、海上自衛隊の救難ヘリによる救難飛行展示は、もう見る事が出来ないのだろう。そういった意味では貴重な写真(SH-60で普通にやるとは思うが)。

Img_0336  降下する機上救護員。海上自衛隊の衛生職種から選抜される要員で、准看護士以上の資格を有する。鹿屋基地で養成され、航空自衛隊の救難員と同じく過酷な訓練を課され、救難飛行隊に配属されている。この他、降下救難員は大湊航空基地、館山航空基地、舞鶴航空基地、小松島航空基地、大村航空基地に配置されており、機雷掃海を行う水中処分隊と並び、海上自衛隊において最も厳しい体力が必要な任務とされる、SH-60J/Kの航空士が兼任。

Img_0348  機上救護員は今年度末の再編において航空自衛隊に転属し、哨戒ヘリに搭乗する降下救難員はそのまま海上自衛隊に残るのだろう。ちなみに、降下救難員による救難飛行展示は、例えば横須賀サマーフェスタにおいて行われる救難展示に参加していた隊員などが、該当するのだろう。

Img_0347  担架に乗せられた重傷者が機内に収容されてゆく。ちなみに、1954年にS-55A,1965年にS-62A,そして同年に哨戒ヘリコプターHSS-2から対潜機材を降ろしたヘリが救難ヘリとして充当されていた。しかし、1960年代後半までは、航空機事故では30~40ノットで当該水域に急行する高速艇が任務にあたっていた。後部に救助室が置かれ、救助任務を実施した。高速1号型、高速11号型や高速4号型、高速13号型などがあった。

Img_0350  収容される要救助者。冒頭に発炎筒を焚いていた隊員と思われる。ところで、航空自衛隊であれば、U-125救難捜索機などが要救助者を上空から捜索するが、海上自衛隊にはそういった捜索機は配備されていない。これはやはり航続距離が長く洋上索敵能力に長けたP-3C哨戒機が支援を行うのだろうか。

Img_0356  救難飛行展示を終了し機動飛行を披露するUH-60J。機首に装備されている地形追随レーダーや赤外線暗視装置などがよくわかる。左右に張り出しているのは航続距離延長のために搭載された大型燃料タンク。救難員を含めた乗員定数は4名。このUH-60Jは1992年から導入が開始されており、現在18機が運用されている。

Img_0364  救難飛行展示に引き続き機動飛行の展示を終了し、いよいよ着陸するUH-60J。なお、後日展開した舞鶴地方隊展示訓練では同日に舞鶴航空基地において、ちびっこヤングフェスタが開催されていたが、岩国からMH-53、八尾駐屯地から観測ヘリ、多用途ヘリ、明野駐屯地から対戦車ヘリが参加していた。外来機や展示の規模は、基地の規模には関係ないようだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (7)
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