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【京都幕間旅情】松本城-観桜,信州信濃の国は壮大城郭の背景に歴史あり-いまふたたび旅に出よう

2024-04-28 07:02:22 | 旅行記
■信濃国筑摩の国宝天守閣
 いまふたたび旅に出ようというような台詞がひところ流行りましたが今回は遠出した先のお城の話題です。

 城郭、と言えばどこの城郭を思い浮かべるのだろう、といいましたらば筆頭に先ず数えきれないくらい再放送されている時代劇の影響などで国宝姫路城を挙げます方が多いでしょう、此処に国宝天守閣という存在を思い浮かべたうえで現存十二天守閣、と。

 松本城、そう松本城です。ここは国宝天守閣であり、現存天守閣に在っても歴史は古くまた戦災を免れている事でも名高い。そして比較的高い標高の長野県松本市にあって澄んだ空気が快晴の際には抜けるような青空をなによりもの借景としてくれる城郭だ。

 城郭はぐるり一周をまわるだけでも、確かに巨大ではないものの天守閣は凛として五重六階の威容を誇りまして、山城というよりは山間部の盆地の平城ゆえに通常山城にはない掘割はともすれば空や城郭の色彩を鮮明に移す故に、一見して絶景と印象ぶかい。

 歴史と共にしかしこの城郭を振り返りますと、そう不思議というほどの群雄割拠と戦国乱世に遭い揉まれた鮮血と謀略の不協和音の先の調和として現存した歴史がありまして、いや明治と昭和の動乱を経て今も奇跡のようにその姿を探訪者に指し示している。

 信濃国筑摩、何か帝国海軍のような響きの地名が二つも重なる松本は、中央本線が東京と名古屋を結ぶその中間にありまして、それは言い換えれば江戸時代においても重要な街道に位置する城郭となっていました。故にこの壮大な城郭が整備されたわけです。

 中央本線松本駅から城郭へは、時間に余裕があるときは徒歩で、そうでないときはバスやタクシーを利用するのですけれども、やはり時間がない時でもどうにか他の時間をやりくりして、一回だけでも松本の町を歩いてほしいと思うのは、その街の風情ゆえ。

 城下町然としている、こう紹介しますと小京都というような花見小路の一角に影響されたような、いかにもそれっぽいのを新築に近い感じで修繕して維持しましたよ的な観光地ではなく、近代的な市街地なのだけれども都市計画に歴史を感じられるのですね。

 文化的、というところなのでしょうか、近代都市と共に長野県では長野市と並ぶ都市でもありますから、歴史を求める方の好奇心に迎える書店と教育関連、明治維新後の都市計画と城下町の連環性、観光地としての美味の追求、なるほどなあ、と感じるもの。

 深志城とも呼ばれた城郭は、その先に在ります。松本城は、松本市の標高が610mと、そして3000m級の峰々が連なる本州中央山岳地帯の中心にあるのですが、しかし構造上は山城ではなく平城、それでも実は多くの山城よりも標高が高いところに位置する。

 キングギドラに一度瓦屋根を吹き飛ばされる以外にはサスペンス劇場などで目にする程度という、ともすれば歴史映画などからは一歩引かれている城郭という印象はあるのですが、目の前にしますとそれは雄大さに驚かされるものです。そしてそれはしかしですが。

 蕎麦が名産の、と説明される信州では先ず駅前から名店と謳われるらしい軒先が城郭まで点々と伸びていますが、言い換えればそれは米作に向かない地形であることの裏返しでもあり、蕎麦しかとれぬ、訳では無いにしろ穀倉ではない当地には城は際立って。

 壮大城郭の背景には歴史あり、というところなのですが、狭いニッポンと称されるわが国、実際は日本列島を欧州地図に併せてみると北は北欧で南はアフリカに来て驚く、そんな国土でも群雄割拠の歴史ありというところでして、信濃の地もその一幕でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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