北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ラファール戦闘機百里基地到着!日仏共同訓練A-400M輸送機とA-330-MRTT空中給油輸送機参加

2024-07-20 20:09:54 | 世界の艦艇
ラファール到着
 茨城県百里基地の上空に聞きなれないエンジン音と共に鋭利だが鏃のような優美さを兼ね備えた機影がさっとさしこんだ。

 ラファール戦闘機、日仏共同訓練のために百里基地へ到着しました。二機のラファール、当初計画では4機が日本に展開する計画でしたが諸般の事情から先に豪州のほうへ向かった、ということでして、戦闘機よりも支援機の方が多いという今回の来日となった。

 ダッソー社の考えぬいたこの機体形状、流線の独特というこの組み合わせは優美という評価がふさわしいもの、日本にはないといいますかアメリカも、つまり環太平洋地域の設計にはない、いちどみたらわすれない、そんなラファールの印象です。

 F-35戦闘機が採用される直前のファンボローに日本のテレビメディアが取材にいったところ、航空専門誌の記者もカメラマンも編集もおおくがラファールの前にあつまっていたので、これがF-35ですか、と勘違いさせてしまったのはいちぶでゆうめいな。

 百里基地、航空祭では撮影に行きましたが、この基地の外がわ、茨城空港から外来機を撮影するのはインドのフランカーが展開していらいといいまして、実は二回目です。だから、てっきり南側から滑走路にアプローチするものだとおもっていたのですが。

 フランカー来日のときには冬で北風の季節であったものですから南側からアプローチしていて、着陸する様子をしっかり撮影できたのですが、そうか、こういうのは場数を踏まないと実感できない、撮影位置はここが最適ではなかったのですけれども。

 A-400M輸送機とA-330-MRTT空中給油輸送機も続々と着陸してきます、いや、ちょっとまえにC-2輸送機が着陸してきまして、そうかここは日本の基地なのだなあ、と実感するのですが、ここまで海外の、といいますか国際色豊かな飛行場になるとはなあ。

 インド空軍来日のさいに、こんどはフランスからラファールでもこないかなあ、といったのはその少し前に新田原基地にフランス空軍戦闘機初来日、としてラファールが展開していましたから期待したのですが、あれが2023年1月、ああまだ去年のはなしか。

 百里基地は暑かった、そしてアリさんが多かった、というのも撮影していて閉口しました、どこでもよじのぼってきますし、手持ちぶさたでもアリさんを相手につんつんつついて時間をつぶすわけにもいかない、というのはA-400Mだけ到着がおくれていて。

 C-2輸送機とA-400M輸送機、開発開始はA-400Mのほうがかなりさきでしたが初飛行は同時期で搭載能力と航続距離がにているものですからよく比較される機体でした、いつか並んでとりたいと思ったらば昨年入間でならんだときき、ちょっと行きたかった、と。

 ラファール撮影、感慨深かったのはその優美な形状というよりも、じつおところ声を大にして叫びたいのは、これでもう防衛情報の話題で、ラファールが売れた、という話題を掲載するときにF-2の写真とかでごまかす必要がなくなった、ということか。

 F-4なのかF-3なのか。もうひとつ、今回の撮影は茨城空港ファントム広場というF-4とRF-4が並んでいる一角で撮影したのですが、じつはフランスにもF-4がいて、それはマクダネルダグラスF-4ではなくラファールの祭9新型がF-4という、今度調べよう。

 千歳基地にはユーロファイターが続々と到着、いっぽう土曜日朝に次の目的地豪州へ向かう予定であったラファールはシステムトラブルで飛行中止になったという話題で、いまいちばん話題というところのラファールの話題を取り急ぎお伝えしました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-京都,北野天満宮参道で美味しい鰻を頂く土用の丑の日前

2024-07-20 14:41:41 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 土用の丑の日が祇園祭後祭山鉾巡行と重なっている気がするのは気のせいでは無いなあ。

 北野天満宮といえばわたしの散策経路の要諦といいますか、京都幕間旅情ということで散策の際に興味深い風景を紹介する際になにも思いつかなかったならば直ぐ歩み向ける界隈のひとつという。ここはその門前町、的な話題を一つ紹介しましょう。

 まさ活さん、北野天満宮の東側に、そう天満宮の緑の木々がとなりにみえるほどの立地にある、お昼は定食屋さんで夜には居酒屋さんになるという暖簾の変幻自在さでほっとするお店なのですが、宮津からお魚を直送してもらう新鮮さなんかも嬉しい。

 漆塗りのお重、鮮魚、とあるのだけれども暑さの最中にちょっと気合を入れようと思ったものですから、まあ、宮津ではなく今津のほうの名物を頂くことにしました、今津の名物といっても74式戦車ではない、もちろん16式機動戦闘車でもない。

 鰻、まさ活さんのウナギは、妙に手ごろなんだ。もちろんもう少しお値段出しますとどんどん鰻はお重の中で大きいのが入ってくるのですけれども、まあ、そこまで気合入れずに、うなさんを愉しもう、という感じでお重のを注文しましたしだいでして。

 うなさん、あまり食べ過ぎると絶滅するとは言われていますので、ハレの日に愉しむもの、といわれるようにはなっています、もちろんそうやすやすと食べられるほど安価なものではないのですけれども、たまにはこうタレの染み込んだご飯とともに、ねえ。

 今津じゃあなかった三河一色産でした、記憶違いか、戦車の今津駐屯地のある高島市のウナギが食べれたと記憶していたのですが、記憶違いというか別の店と勘違いしていたのか、それはそうと、かみしめた瞬間の独特の脂からの旨みが白身とよく重なり。

 居酒屋でもありますので、いろいろ、ここからお酒を、とも考えたのですが、考えてみれば本来〆にするうな重さんを頂いてしまって、これから呑みはじめでは格好がつかないなあ、と最初の空腹も紛れたことですので、満足感とともに帰路に就きました。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,コロナ彼方に天平の天然痘と日本の疾病史と千年の首都京都

2024-07-20 07:01:41 | 日記
■疾病祓いの伝統行事
 京都の中心部でほぼ一ヶ月間にわたり執り行われるのがこの祇園祭なのです。

 祇園祭、疾病はらいの祭事という位置づけです。故にCOVID-19新型コロナウィルス感染症の世界的流行禍の際にも、ちゅうししていいものなのかという言い分は多少まっとうなのですけれども、しかし疾病予防が神事から医事、というのが現代常識だ。

 天然痘が何度も流行した中世以前の日本、奈良時代の日本では右大臣左大臣が短期間で天然痘にやられ国家機能がマヒするなど、これ、かなり国家の維持という部分にまで踏み込んだ危機的状況が過去の日本には時折、いや頻度から常態化していた訳でして。

 天平時代の天然痘では、結局、大陸から九州に伝播した天然痘の情報収集を行うために中央から官僚を派遣したことで、これが逆に感染源となってしまい首都圏に大規模感染を引き起こし、いや、交通路に沿って感染拡大する事となってしまいました。

 交通路が感染源というのはCOVID-19も、空港検疫よりは国際航路閉鎖をもう少し先に英断していれば、数百万もの人々、実際には集計に入れていない数がもっとあるのでしょうが、その人命が失われることになった、これを今後どう考えるべきか。

 日本は海洋国家なのに地域ごとの閉鎖主義といいますか、戦国時代などが典型なのですが、開放的ではなく閉塞的な文化がある、方言などもそうですし、なにより統一国家による行き過ぎた干渉を嫌う風潮もながかったわけです、ただこれも考えてみると。

 文化的に閉塞主義を取っているのは過去の天然痘による多数の犠牲者と共に文化の価値考え変容して、人の往来による良くないものの伝播が、人との交流により得られるものよりも大きいと理解された種間のだろうなあ、と、これは直感で考えてしまう。

 鎖国、と、実際には鎖国というのは国交分離や中国明王朝の海禁政策のような厳しいものではなく、江戸時代末期に官僚方便として導き出された、鎖国という名の外交が成立していた、というのが理解として一般化しつつあるようですが、しかし開国では。

 コレラ蔓延が開国と同時に広まったものですから、やはり、国の行き来を自由にしますと良くない事が起こる、という事を再認識させてしまったのではないかな、と奈良時代に続いて江戸時代の出来事を改めて考えてしまう訳です。あとCOVID-19も、か。

 京都は、何しろここが首都であった期間は千年間にも及ぶのですから、首都である以上、閉塞主義をとることはできません、すると疾病予防には何をすればよいか、という事となりまして、結局祈るほかない、という発想で始まったのがこの祭事、という。

 COVID-19を想い題しますと、イタリアでは全く治療法が確立する前の危険な状況で、バチカンが、街に出て直接祈りを届けろ、と結果艦船爆発を聖職者が加速することになってしまい本末転倒でしたが、この点日本は原点回帰をその前の段階まで戻して。

 祇園祭はじめ神事のみは非公開で行い、町衆の祭事として広まった山鉾巡行などは2020年のみ見送ることとし、若干寂しさは感じたものの一定以上の感染拡大による死者数を重ねないようにする、社会の維持にまあまあ成功したのだ、と思うのですね。

 社会の分断、結果的に犠牲者を抑えたことでCOVID-19による社会の分断は回避できたのかな、と思う、けれども社会を維持しても個人間の分断はあるのかもしれない、こう考えると昔、祭事を一緒に巡った友人の一部との疎遠を、寂しく思うことはあるのだ。

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