北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】藤森神社-紫陽花祭,日本を超えて世界を歩んでこその多文化主義

2024-07-17 20:24:13 | 写真
■紫陽花を眺めつつ
 紫陽花園を散策しこのところの湿気に浸かれている紫陽花とがんばろうとする花々をながめつつ。

 藤森神社の紫陽花祭、妙に日本酒が安く手に入る祭事という事もあって色々散策してみましたが、この写真と共に昨今の国際報道の話題に論理が飛躍してしまったが、なにせ三韓征伐という過去の歴史に所縁ある神社の写真と共にご容赦いただきたい。

 世界での極右の流れというのが、こんなところで書きたくなるほどにわたしにはちょっと理解できないのだ。日本だと自主防衛強化とかが右傾化といわれ、左傾化というと国際協調とか、グローバリゼーション路線を掲げている印象があるのだから逆に見えて。

 ハンガリーのオルバン政権、極右思想といいますと思い出すのはこちらの方なのですが、不思議なのはオルバン首相はEU議長に輪番制で選出されるとそのままロシアに赴き、そのあとは中国に行っている、極右というと反共というイメージがあるのだから。

 極左といえば容共で60年安保闘争でアンポハンタイを掲げてうろついていた印象があるのですが、しかし、日本の極右をみれば、正当には極右は無いのか、維新も極右ではなく単なる保守だし、しかし容共や中国ロシアと宥和主義というのは見当たりません。

 反共、といえば中華民国台湾の国民党も同じで、蒋介石と張学良の西安事件を思い出せば、というか国民党の南京事件と上海粛清を思い出せば、なんで北京の共産党と仲良くできるのか、歴史問題って何だろう、連中の商売道具なのかな、とおもってしまって。

 国民党に中国共産党が接近、というと1930年代の国共合作時代を思い浮かべるのですが、歴史はそのあと国共内戦へ回帰する、結局民進党が勝ったのは、国民党は李登輝総統時代を最後に容共に転向した事で支持者がついていけなくなっただけなのかなあ。

 日本で容共の政党はあるのか、と問われれば共産党そのものがあるのだけれども、地方自治で一定数の少数派を維持しているものの国政では、数名の当選で大躍進を掲げるほどですから政権を目指せるのは宇宙時代を待つほど遠い先の話のように思える。

 北方領土問題を考えると、共産党はかえせ北方領土、の立場であったからソ連と接近していたのは社会党という昔あった政党になってしまう、こういう話を酒宴でやると、社民党っていま何人残ってたっけか、正当じゃなく諸派では、いやいやぎりぎり、と。

 極右政党の躍進にロシアの情報機関などがフェイクニュースを流して支援しているとか、選挙への介入という報道や陰謀論、玉石混交の情報が出てきますと、そういえば日本で極右が台頭しない、極右政党が国政に存在しないこととロシアの問題を見てしまう。

 北方領土の問題があるので極右政党を支援する事は出来ないというか、ロシアの利益にはならず、むしろ極左主義を支援することでグローバリゼーションから遠ざける効果があり、周辺地域の安全保障に関与しなくなるという特性があるのではないかと考えて。

 左派連合、フランス選挙で勝利した左派連合をみますと、NATO脱退にEU脱退、国連もそのうち脱退するのだろうか、主張を掲げているのだけれども、日本の左派のように核兵器反対や自国防衛反対の非武装中立路線なんてのは絶対に掲げていません。

 同床異夢、という訳では決してないのですけれども、世界を理解するには、もっと世界を歩んでこその多文化主義が実現するのですが、歩むほど時間と余裕がないのが日本を含めた世界で、事なかれ主義の方便なのかもしれない、と思いつつ末尾としましょう。


北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】藤森神社-紫陽花祭,神社創建に繋がる国威発揚の歴史と欧州極右混迷

2024-07-17 20:00:58 | 写真
■千余百年の社殿から
 トランプ前大統領暗殺未遂事件により欧州と共にアメリカでもいずれ今回の事件のバイデン政権陰謀論が出てくるのだろうなあと思いますと先が思いやられる。

 藤森神社、三韓征伐での先勝を記念し創建された、1800年の歴史を誇る神社です。実際には西暦換算でいつごろ創建されたかは諸説あるようですが、氏子衆の広がりから少なくとも伏見稲荷大社が現在位置に出来ましたよりは前から歴史が続いている。

 三韓征伐、これから多様性の時代となりますと、考えると世界では多くの会戦が、それはアウステリッツやワーテルローの様な近現代は勿論、カンネーとかルビコンとかいろいろな場所があるのですけれども、そうしたところ、神社に当たる石碑はあるのか。

 多様性の時代、そうした過去はどのように清算といいますか内部化しているのか。何しろ大阪の放出のように、地名に歴史が残っているところもありますが、放出の地名の意味を例えば韓国の友人に問われた場合、どう答えればいいのか、答えが定まらない。

 グローバリゼーションに関する論文試験が大学入試で出たのが21世紀初めごろ、高校生の頃からEHカーとかハーマンとかサミュエルハンティントンとかを読み漁っていたので理解はしていたのですが、あのころからEUは欧州の壁、と呼ばれていた。

 社会に出ればこういう問題の収斂のやり方は機構に備わっているだろうと思っていたが大違いで、結果的に実生活に見ない事とすることで解決の糸口を議論する機会が永遠に喪失し、これが選挙の機会などで保守政党支持などの面で表面化しているのかなあ。

 外交フォーラムという、もう民主党政権時代の事業仕分けに引っかかって廃刊になってしまった雑誌に、田中俊郎の論文だったか、欧州の壁、つまりEU域内の通行は自由だけれども中東アフリカや東欧地域、当時はEU加盟交渉中、入域の難しさが指摘され。

 極右の台頭といいますか、移民反対主義、移民排斥主義という論調は2002年頃までのEUでは、そもそも入らせることが無いということで、大きな摩擦になっていなかったように記憶します、マリールペンの国民戦線はこの頃勢力を伸ばしていたようですが。

 移民反対主義が日本に定着しないのは、そもそも移民が少ないことと共に、中華街というものは昔は京都にも、今は神戸の元町と横浜の、あれも元町なのか、残っている訳ですが、あれを見て思い出すのは移民排斥よりも美味しい中華料理の安さに感謝が先で。

 欧州の壁と言われていた時代をそのまま維持していたならば、此処まで極右の潮流は生まれなかったのかもしれませんし、そもそもボートピープル、欧州の浜辺に乗り付ければ欧州の社会保障にあずかれる、という状況もなかったのではないかとさえ。

 ボートピープルといえば日本の場合はヴェトナム戦争後の南ヴェトナムからの避難民が思い浮かべまして、そういった方々のコミュニティもあり、お店をやっている方は美味しい料理をお手頃に提供してくれるとかそういう認識はありますが、そう摩擦までは。

 ブルーノゴルニッシュ氏が国民戦線といいますか国民連合次席ですが、この方が極右思想に目覚めたのは京都大学に法学部助手として留学当時、京都の街並みを見て自国文化を維持できている国に感激し、日本人女性と結婚しつつ国民戦線を結成したといいます。

 欧州の現状を見ていますと、ああはなりたくないなあ、という素朴な印象とともに、しかし間口を広げた以上、その間口をいまさら何十年も経て下げるという事による摩擦の方が大きいのではないのか、過去は変えられませんからねえ、と思ったりするのです。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,長刀鉾先頭に本日前祭り山鉾巡行間もなく進発

2024-07-17 07:00:21 | 日記
■前祭り山鉾巡行を前に
 本日は、前祭り山鉾巡行で、まもなく長刀鉾を先頭にこう意外に早い歩調とともに山鉾が四条通を一周と巡り続く神幸祭へと清めるのですね。

 祇園祭宵宵々山、前祭りの情景です。祇園祭が山鉾の増大、復活などによる増大から江戸時代のように前祭りと後祭りに分けてからしばらく経ちましたが、どうしても人間、今というか生まれた時代から育つまでの記憶が鮮明に思えるのですからねえ。

 長刀鉾からはじめまして、ゆっくりと函谷鉾や月鉾の前を巡ってゆく、鉾立が水曜日でしたから数日間でよくぞここまでく曲げたものだ、と感心しつつ、しかしできるだけ混雑を避けて山鉾の出来栄えなどをみてまわるのですが、それでも人は多い。

 活気が戻ってきた、という段階は2022年頃なのか、2023年には活気よりも危険な混雑で、韓国でも兵庫県でも将棋倒しの事故が起きていますので、この人口密度は果たして安全なのか、と考えてしまい祭事よりも安全確保を考えたことも。

 KBS京都で山鉾巡行の様子などは中継されるものですから、あれは観光客の祭事、という認識もあったのですが、この情景をつたえてみると興味のある方が多く、それならばしっかりとしたカメラで撮影しよう、そんなこんなで京都再発見、というわけ。

 山鉾巡行は、神威の神輿が八坂神社から御旅所まで巡る神幸祭に先駆けての露払いが目的なのですから、かんがえてみると神輿の方をお参りに八坂神社へ行く事こそが肝要なのでしょうけれども、町衆の祭として発展した祇園祭では山鉾の意味も重い。

 府警のおまわりさんが、立ち止まらないようにたちどまらないでゆっくりとでも進んで、と声をからして注意喚起します、たしかに滞留すると危ないのですが、カメラのシャッター速度を不空して、歩きながら手を伸ばして片手で撮影し、ひとときは見る。

 宵山は、前祭り宵山では歩行者天国を設定して模擬店などがならんでゆくのですけれども、その分入場者が、阪急特急に京阪特急と東海道新幹線でピストン輸送されるので立錐の余地もないというか、混み具合は横断歩道ひとつわたりきるのに20分かかるほど。

 土砂降りなどに恵まれれば多少は混雑緩和となるし暑さも緩和されるのかもしれないけれども、荒天が好天というほどに宵山は混雑して、長刀鉾に近寄ることさえ難しく、脇道も一方通行で警察の方などに制止されるために逃げ場が無くなってしまう。

 宵宵々山はそのぶん、交通規制は宵々山からのようですから、的屋さんの準備などもなく、言い換えれば、未知全部通行のために、天下の行動を堂々と利用して歩き回れる、そして、山鉾を飾るタペストリーを、たしょうゆっくりゆったりと眺められるのですね。

 前祭りと後祭りに山鉾巡行を分けて、そしてもっともらしいいい分に、山鉾巡行があまりにも数が多いと飽きてしまうから、という。いやいや、例えば山鉾の代わりに戦車が行進する今津駐屯地祭なんかは、戦車大隊の数が減っても、いいことはない。

 戦車がたくさんならんでいるようすは、大規模だなあ、という換装の次に壮観という感想が来たものですが、部隊が減ってコンパクトになったとして、寂しいとか大丈夫なのかと思う事はあっても、よくなったとはちっともまったく思わないものですよ。

 宵宵々山、さて。祭事は休日や日曜日に併せて執り行われることがおおいのですが、祇園祭は日にちが決まっているので、今年の山鉾巡行は祭日でも乳児つでもない水曜日、姫路港で護衛艦まや一般公開が行われている日が前祭り山鉾巡行となっています。

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