■明治時代の建立
平安神宮は1895年に平安遷都1100年を祝して建立されたものである。時代は明治国家の国家体制がようやく軌道にのり、大日本帝国憲法の制定が1889年、加えて1895年は明治国家最初の危機というべき日清戦争が戦われた年である。
先日平安神宮の夜景を掲載したが、できれば昼間に平安神宮の写真を撮影したかったわけであり、時間的配分の初歩的失敗(マキムラ書店で古書を探していた為である)から夜景となってしまったわけである。
この時期は夜景、とはいったものの、やはり昼間の写真あっての夜景である筈で、悔しいではないか、ということで再度展開していた訳である。
国の登録有形文化財、24㍍もある鳥居であるが、その正面から奥に神宮が見えるこの通り、できれば遠距離から望遠で圧縮効果にて撮れればと思うものの地形的制約から難しいが、それ以前にれっきとした車道であるから夜景撮影の長時間露光撮影では車道に三脚をすえて延々と20~30秒は撮らなければなるまい、不可能である。したがって、轢かれないように夜景を撮るとこうなってしまう(ISO感度1600にして1/10くらいで撮影すればなんとかなったかもしれない)。
平安神宮はその近傍に様々な文教施設があり、南方には京都国立近代美術館、そして京都市美術館がある。また、東方には京都市動物園、西方には府立図書館、 京都市勧業館がある。
ちなみに一つ上の夜景写真で鳥居の向こう側に写っているのが京都国立近代美術館である。なお、写真の上部に信号機が写っているのがアンバランスであるが、更に写真にあるように多くのタクシーが待機している。
平安神宮の神門である應天門。
神門は二層式の建築様式である。
夜景撮影の際にはその奥は閉ざされていたが、夜間は閉ざされるだけであり、この写真を撮影した時点では門が開かれている。
神苑以外は無料公開されており、誰でも気軽に参拝することが出来る。
小生一行はまず神門をくぐるまえに神門西方にて手を清めた。
この平安神宮は京都を奉護する玄武、白虎、朱雀、蒼龍四神の御守が授与されており、境内にはこれを象った噴水(手洗場)が置かれている。
写真は白虎楼、平安京時代のものを出来る限り正確に再現している。
テレプラス機能が搭載されたEOS Kiss Digial Nでは18㍉広角レンズで漸く収まった。同行の友人のカメラは最新のXであるがレンズは28㍉であった為苦戦していたようだ。
さて、この社殿の建築様式は平安時代の政庁の中心である朝堂院様式を2/3の縮尺で再現したものであるという。
夏は蓮の花がとくに見事である神苑にはいる。有料であるが、冬季はどうなっているのだろうかという興味から入ったが、なんというか、まあ、季節の花が華々しく彩られていたところは休業中、という表現が相応しいほどの様相であった。五月くらいに改めて報じたい。
それを反映するかのように小生一行が入った際には他に人は見られなかった。しかしその分静で庭園様式を満喫できた事を特筆したい。
神苑に展示されている“日本最古の電車”。伏見線、木屋町線、鴨東線として1895年に開業した際に運行されたもので電機部分はGE社製である。京都市内の軌道線は1900年に北野線、1904年には西洞院線を開業したが、1927年に一部路線の廃止が行われ、最後の北野線が1961年に廃線、京都における軌道線の営業は終了した。しかし京都が発案した世界歴史都市連盟の諸都市では環境に適合した交通システムとして再評価されており、地下鉄延長よりも軌道線復活を願うのは小生だけではあるまい。
その頂きには鳳凰が神苑を見守っている。ご存知の方がいればご教授願いたいのだが、方角が異なるもののこの鳳凰は朱雀を象っているのだろうか、四神を御守としている平安神宮だが、玄武と朱雀を祀る楼閣が見つからない、神苑に生息するというミノカメや南石亀が玄武を象っているのか、また、境内のカワセミや大鷹が朱雀を象っているのかどうなのだろうか。
この向こうに社務所があり、橋の反対側に披露宴を行う場所があり、平安神宮は結婚式場としても用いられる。
更に渡った先には平安神宮建立百年を祝した百年祭記念殿がある。白虎桜や紅枝重桜など、神苑は桜の名所でもあり、桜花の時期は夜間特別公開も行われたように記憶する。
蒼龍楼のところから神苑を出、應天門を望む。昨日は紀元祭が行われ、19日には月次祭が行われる他、3月15日には桓武天皇御鎮座記念祭が行われる。如月から弥生へ、だんだんと暖かい季節となる中、皆さんも一度平安神宮を訪れてみられてはいかがだろうか。
HARUNA
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