■矢を射る神事 下鴨神社
本日は節分である。京都にあっても様々な神社仏閣において、節分の神事が執り行われる。今回は、昨日立ち寄った際に撮影した下鴨神社における神事予行の様子を掲載したい。
世界文化遺産登録が為されたこの下鴨神社は、正しくは賀茂御祖神社といい、八世紀半ばに建立されたとされる神社である。社格は旧官幣大社、祭神は神武天皇の治世下で降臨したと伝えられる玉依姫命とその父である賀茂建角身命である。ちなみに、サッカー日本代表チームや陸上自衛隊幕僚監部調査二課別室(通称“調別”、現在の情報本部)のマークとして用いられる八咫烏は、賀茂建角身命の化身とされている。
下鴨神社は平安遷都の後は一層の崇敬を得るようになり、807年に神社としては最高位にあたる名神大社とされた。
また、本ブログでは幾度か掲載している5月15日の葵祭も、ここに立ち寄る。神社は、京阪出町柳駅から鴨川を渡ったところにあり、神社に入るまでに広がる糺の森をたどると、鳥居が目に入る。この糺の森は流鏑馬の神事が行われるところでもあり、二つの道が並行に続いている。
さて、今回取り扱う節分の神事であるが、実のところ偶然出くわしたものである。無論、当日に展開すればマスコミや一般観覧者により混雑することは否めず、神聖な境内であるから脚立など使えば罰が当たってしまうだろう。しかし、予行であれば人はいないわけだ。したがって予行ながら良好な撮影環境があったのが嬉しい。
さて、そもそも節分とは宮中の年中行事であったのが一般に普及したものであるとされている。
これはもともと追難と呼ばれる悪霊払いの行事であり、季節のかわりめに訪れるという悪鬼祓いの為とされるが、考えれば季節のかわりめには夏季にかけては流行病、冬季にかけては火災というような疫病災禍という裏付もあることに気付かされる。
そもそもこの行事は、平安時代には大晦日におこなわれていたものであるが、いまでは炒った大豆を投擲したり、昭和からは大阪を中心に何故か巻寿司を無口で頬張る風習が定着している。
しかし、もともとは内裏(現在の京都御所)を鬼祓いの役割を受けた二十人の役人が、四の目を付けた面を被り、矛と盾を持って廻り、公卿たちは弓を鳴らすことで悪霊を払ったという。
さて、下鴨神社の神事であるが、予行であることもあり、龍谷大学の徽章付ジャケットを羽織った学生が安全線を確保している。これは如何に鏃が付いていなくとも、実際に矢を射る神事であるためである。しかし、経験がないのか神主さんが弓を持った六人に対して、どういった動作を行うのか、また仕草の順序は、足や手の位置は、と指導していた。陸上自衛隊の儀仗部隊に見慣れた小生には動作の緩慢さがやや気になったが、使命感と緊張感は伝わってくる、当日はきっと見事な演舞を奉じたことであろう。
舞殿にて三名が背後を重ねたかたちで矢を実射し、30㌢四方、またはもう少し大きかっただろうか、四角い標的が東西に三枚あるが、これを狙撃するものである。射場の距離は20㍍で、これは小銃であれば必中距離、むしろ拳銃でも必中距離であるが、矢であると中々当たらないようだ。
弓の撓りの響きからして半人張かそれ以下であろうか、一斉に射るのではなく順番に射るようである。
標的は厚いボール紙が用いられており、先端を丸くした矢を投じている。もしかしたら低い命中精度は先端部分の空気抵抗の増大に起因するものではないかとも感じたが、射ると同時にやあぁ、と境内に響くような声を上げるのだが最初は気恥ずかしいのか、声が出ていない射手も多かった。まだ小さい!との神主さんの指摘に周りからは期せずして笑みももれていた。命中が多い射手もいたが、概して精度は低かったようである。
さてさて、下鴨神社のみならず様々なところで節分の神事が執り行われるが、ちょうどこの記事が掲載される頃には始まるか、若しくは修了しているかもしれないが、これを機会に一つ京都観光の際にはこの神事の情景を思い浮かべつつ下鴨神社に立ち寄られてみては如何であろうか。
HARUNA
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