私はとても心配性だ。
2年前まで、義母のお世話(グループホーム)、帰りの不規則な仕事の夫を心配しながら待つ、専門学校生の息子の送迎をしていた。
義母のお世話を10年くらい、心配しながら夫を待つのを5年くらい、息子の送迎を2年していた私はとても疲れていた。疲れが蓄積していた
体はだるく、朝が来るのが恐かった。
ある時息子のお弁当を作っているときに「もう作れない!」状態になってしまった。
食事も作れなくなった。息子にはコンビニ弁当の夕飯が続いた。夕飯の時間になってもテーブルに何もない。寒々しいテーブル。これが一生続くのかとその時は涙が出た。私が最後に作った料理は、肉じゃがだった。
私のあまりの調子の悪さに、夫が会社を急遽休みそれまで通院していた心療内科に私を連れて行った。生憎院長は不在だったので留守番医に紹介状を書いて貰い、自宅近くの心療内科にいった。診察を受け、私はうつ病患者になった。
この1ヶ月後、夫は専業主婦になった。それから早くも、1年8ヶ月。ありがとう
2年前まで、義母のお世話(グループホーム)、帰りの不規則な仕事の夫を心配しながら待つ、専門学校生の息子の送迎をしていた。
義母のお世話を10年くらい、心配しながら夫を待つのを5年くらい、息子の送迎を2年していた私はとても疲れていた。疲れが蓄積していた
体はだるく、朝が来るのが恐かった。
ある時息子のお弁当を作っているときに「もう作れない!」状態になってしまった。
食事も作れなくなった。息子にはコンビニ弁当の夕飯が続いた。夕飯の時間になってもテーブルに何もない。寒々しいテーブル。これが一生続くのかとその時は涙が出た。私が最後に作った料理は、肉じゃがだった。
私のあまりの調子の悪さに、夫が会社を急遽休みそれまで通院していた心療内科に私を連れて行った。生憎院長は不在だったので留守番医に紹介状を書いて貰い、自宅近くの心療内科にいった。診察を受け、私はうつ病患者になった。
この1ヶ月後、夫は専業主婦になった。それから早くも、1年8ヶ月。ありがとう