情報化社会とは言えども、耳年増にばっかりなっちゃってやってみると別世界ってことはよくあります
なにごともチャレンジあるのみ
とは言え、新しい事をするのも腰が重い事もあり、年とるにしたがってだんだんと慣れたことばっかりするようになっちゃったりして、家が一番くつろげたりして
それでも、親としては子供に色々な体験をさせてやらないといけないという大義名分をもってして、あっちこっちにハルちゃん連れ歩き
ロシアに行っても買い物させてみたり、英語通じなくても用事頼んでみたりするのもチャレンジ精神を養うため。
養わないといけないって事は、本当は引っ込み思案だから引っ込み思案だから、なおさら連れ歩かないといけないの。
高校1年の時アメリカ行って、人種差別反対運動なんてのがあるのは人種差別があるからだっていう事を知った。あるから声高に言うわけで、無ければ最初から言わない。田舎行くと日本人でも珍しいらしくてちょっかい出してくるヤツが居る。
幼児虐待に神経質なアメリカ。自分の子供叱っているだけで、通報するヤツが居る。
本当に虐待する人間が多いから、そういうことになっちゃうのを知った。
ロシアは寒くてキビシイ場所で、配給に無表情で並んでいる人々の列を想像していた。実際はヨーロッパの町並みと何も変わらず、非常におおらかでフレンドリーな国だった。
徳島に10年住んで、一人暮らしもためになった。教授には都落ちと言われても地方の暖かさは、都会にはない心地よさがあった。思っていた関西のイメージとは全然違うもので、戻ってくる事も躊躇するぐらい馴染んでしまった。
ワタシが学生の頃はインターネットも普及してなかったので、どっか行ったり、何かするには本を読むか、口コミか
それでも、わからないことは現場で人に聞くしかなかった。コレがコミュニケーションの始まり
今はネット社会。
釣りの事も、調べればいくらでも出てくる
情報は新鮮。
だけど、偏っている情報もある。取捨選択する技が必要。
って、考えると、やっぱり自分でこの目で見るのが一番手っ取り早いのかと
大体、人の常で都合の悪いことは言わない。
パチンコで勝った話しは聞いても、負けた話は聞かないし。実際に勝った話しの方が印象に残っているんでしょう。
釣りだって釣れた話は聞くけれど、釣れなかった話はしたくないのが人情
釣れなかった人にどうして釣れなかったのか根掘り葉掘り聞くわけにもいかないから、自分でつれない体験をしなくては・・・・・・
釣れなかった釣りを、どうして釣れなかったのか分析すると次のステップになると思うんだけど、そういう分析はあまりしたくありませんよね~
で、結局あっちこっちに出かけ、身をもって反省して、時にはラッキーに遭遇して、悪いことは忘れて、良い思いしたことばっかり覚えてて、深みにはまっていくのでありました
なかなか思うようにいかないし、ゴールがないから釣りって面白いのかもしれませんね~