気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

第2日目 白川郷・上高地~白馬

2014-07-10 12:18:03 | 旅行
6月30日、天気は快晴。金沢のホテルを7時30分に出発し世界遺産の白川郷に向かった。
富山の辺りから、田園風景・・・独特の「散居村」についてガイドさんが説明。田畑の一角に住宅と周囲には樹木が植えられて暑さや雪から住宅を守るということらしい・・・。隣の家まで50mとか数十m離れて家が建っているが、北海道では田園地帯では隣に行ってきます・・・!!といっても、何キロか離れている場合もある。北海道は十勝の防風林風景を思うと「でっかいどう!」ではある。本州では離れている方なのであろう。
車中から、散居村が見え始めた風景。北海道の住宅と違って屋根は黒塗の瓦屋根で大家族制が普通らしい。


白川郷ではあらかじめいろいろ調べていた夫は萩町城址展望台が白川郷の風景が一望できるので、時間があったら展望台に行くつもりであったが、集合時間には慌ただしいので、皆さんと一緒に茅葺の家屋を回った。
ます、駐車場から吊り橋を渡り、主な「和田家」とか「神田家」などの道しるべがあるので、その方向に歩いた。
夫の調べでは「明善寺」が重要文化財ということなので、見学ポイントとしていた。
駐車場の風景

せせらぎ公園の駐車場から「であい橋」という処を渡ると、直ぐにその石碑が鎮座し、横には「秋葉神社」があった。
であい橋で

秋葉神社の由来には
『此の地区一帯は茅葺の屋根の合掌家屋が点在する世界遺産の萩町合掌集落です。
 江戸時代、度重なる火災と特に天明三~七年(一七八三~八七)の大飢饉のうえ、悪疫が流行し、萩町村で二百三十人もの人々がなくなりました。
 この苦境を乗り越えようと相談の結果、小神堂を建立し、火伏の神を祀り、平和を祈りました。大正時代に神殿を秋収支、秋葉神社と改め現在に至っています。』と説明版がありました。
であい橋石碑と秋葉神社

明善寺山門と鐘楼門
石碑の説明
「明善寺庫裡(岐阜県指定重要文化財)
『徳川末期の建築で百五十余年前のものである。
 地元萩野の棟梁との共作で三年間の歳月を経て、漸く完くしたもので、材料は桧・ケヤキ・松等で茅葺等家坪述べ三七七二五平方メートル(九三二五坪)である。
大型の類に属し、切妻合掌造りの美観を考慮して作られた民家の代表的なものである。」

神田家見学

神田家のパンフレットには白川郷と神田家について案内が記載されている。
『当合掌造りは江戸後期石川県の宮大工により十年の歳月をかけて建造されたといわれている。それまでの合掌造りの構造を受け継ぎながらも、新しい技術を取り入れ、改良し、完成度の高いつくりと呼ばれている。合掌造りの民家では「養蚕」が行われていたが、さらに当家の床下では火薬の原料となる「硝煙づくり」を行い、貴重な現金収入の源となっていた。合掌造りは家族が生活する反面、養蚕業・硝煙づくりといった労働集約的業務をこなすには適した携帯であり、一九三五年(昭和十年)ら依存したドイツの建築家ブルーの・タウトは「合理的・論理的な独特の構造」と合掌造りを高く評価した。』という内容が書かれていました。内部の印象では家の梁は厚くて、大きな一枚板板と云っていいのでしょうか・・・。囲炉裏は絶やすことなく碑を入れているとのこと。内部は燻煙で黒光り。二階への階段を上がると現在はいろいろな用具がならび、更に3階への会談は急な梯子という感じだったので、途中で3階を覗いたという感じです。
また、集合時間まで、散策。白川郷のマンホールを発見した。

まめ菓子「こびき屋柿木店」

名物のほうば味噌などを購入した。
その他の合掌造りの民家


白川郷を後にして,、次の目的地上高地へとバスは進路を進めた。

6月30日のお宿は、高原リゾートの「白馬コルチナ国際ホテル」
此の地はかつて東京オリンピックのジャンプ競技などのあったところなので、途中、窓越しにジャンプ台を見ることが出来た。
ホテルはお洒落な建物で、部屋はシングルベッド2台と広い畳の部屋だったのでゆっくりとくつろげ、窓からはスキー場が目の前にあるという処であった。
ホテルとスキー場


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