気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

岩見沢市北村 松浦武四郎の足跡 2011年6月29日(恵庭~続く)

2013-04-28 10:54:29 | 旅行
恵庭の漁太から道道337号線を通り、長沼神社前、長沼大橋、国道234号から栗沢町に入った。ここで、手打ちそばの店を見つけて、昼食を済ませた。
岩見沢市立病院や駅を過ぎて、道道6号線に入る。気温は27度と結構高くなった。探すのは北村赤川排水機場付近にある松浦武四郎の宿泊の地である。
迷いながらも、目的の近くにあることは確かであった。広い畑地の中を通ったりした。迷ったところが、林の中に石碑があったがそれは北村分村碑であった。
近くに土地の方がいたので、「赤川排水機場」のある場所を聞いた。目的の建物は林の奥手に見えた。私たちのいる場所の反対側であるとのこと。
ここから通じる道は戻ってからということで、教えていただいたルートを走った。
石碑には『安政三年五月九日シノロ乙名(前長の意)エンリシウ、外九名、安政四年五月十三日、トック乙名セツカウシ外三名、同年 五月二十一上川(この地より上流の意)アイヌニホンデ外一名とともにこの地に宿泊  昭和三十四年九月五日
                       為 北村六十年記念建 
     築堤工事のため、これより四十五米先より移設し、開村八十年を記念してここに石碑を以て建て替えする。
                       昭和五十四年十一月三日』と刻まれています。
 赤川排水機場    宿泊の石碑

宿泊の地を訪ねてから、北村農業資料館に寄り見学した。常時開館されていないようで、隣の建物を訪ねて、資料館を見たいことを告げたら、職員の方が鍵を開けて見せていただいた。
北村農業資料館
 資料館には土地の歴史、アイヌの暮らし、松浦武四郎の蝦夷山川取調べの地図などもあり彼の足跡が分かり満足であったが、ここで石川啄木の資料に出会うとは思ってもいなかったので、函館の立待岬にお墓があり、かつ、生活していた深い縁のある啄木が北村とゆかりの地であるという私にとっても驚きの遭遇に感動した。
啄木と北村 
「松浦武四郎と北村」のパネルには次のように説明されていた。パネル写真 
北村付近の石狩川調査の図
『安政二年(1855)幕府は蝦夷地を収めるため、蝦夷地をよく知っていた松浦武四郎に、蝦夷地の探検と調査を命じた。安政三年(1856)5月9日、石狩定役立石元三郎シノロ2名エンリシウ外アイヌ8名とでヒハイ(現在の中央)・・・(個人的推定ですが、役場の当たりが北村中央のよう)に宿泊し、雨竜越えをして西蝦夷を探査した。
翌4年4月、石狩川を遡り、5月13日、再びヒハイに宿泊し、石狩岳に登り石狩川水深を見定め、翌5年5月さらに付近を踏査し、石狩へ帰った。
 残されている各種記録には雨竜越えをする様子が記載されており、「自炊用の鍋を背負い、ケリをはき、案内するアイヌは熊、鹿などを食料にした。」とある。武四郎は後に札幌創建の献策者であり、道、国、郡名の名付け親で、北村では開村60年を記念し、由縁の地、中央にその功績をたたえ、役場前と、宿泊したと思われる石狩川ぶちに記念碑を建てた』と書かれていた。
 役場前の松浦武四郎翁顕彰碑
 顕彰碑の裏に彫られている武四郎の描いた蕗の葉を帆にした丸木船
お世話になった北村温泉と散歩で発見ファイターズマークの付いた家

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