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気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

№4 室蘭 絵鞆岬

2014-05-26 14:30:20 | 旅行
絵鞆岬は野鳥観察の絶好の場所なのか、超望遠レンズの附いたカメラを手にした方が一人ジッと鳥の鳴き声のする方を見ている様子なので、静かに歩いた。
絵鞆地名由来の看板があり、小島が下方に見えた。これが松浦武四郎の記録にある辨天嶋かと思うが・・・。

地名由来には
『室蘭発祥の地』
『絵鞆とはアイヌ語のエンルムから転じたもので[突き出ている頭][岬]というのが語源
絵鞆は江戸時代から明治維新まで室蘭地方の地名であった。
地図の上では蝦夷の古地図としてしられる正保日本図(一六四八年頃)にエトモと書かれている。
慶長年間のはじめ松前藩の直轄所(漁業基地)として開かれ、交易所で通行人の宿泊もできた運上屋が置かれたところであり、夏季にはアイヌと交易するため、松前藩の弁財船が絵鞆の澗に出入りした。絵鞆岬と東の上に逢ったチャシ(砦)遺跡周辺の貝塚からは、縄文早期(九千年=六千年前)からアイヌ時代(訳八百年ー百年前)に至る貴重な出土品が多く見られる』と書かれている。

絵鞆岬から対岸の駒ケ岳が見え、恵山方面も遠くに見える。

絵鞆岬案内板  モニュメントと駒ケ岳

また、展望台には「先住民の慰霊碑」が建立されている。

正面には
 『この慰霊碑は、室蘭開発の先駆者である先住民の霊を慰めるために先住民チャシ(城砦)のあったこの地に、室蘭開港90周年・市制施行40周年を記念して建立されたものである。
 この地域は発祥の地として永く記録されるべき土地であって、先住民はここを拠点として漁労に耕作に従事し営々として文化の礎を作り今日まで幾多の挿話と傳説が傳えられている。ここに眠る先住民の多くの霊に対し永久に安住の地たらんことを祈念し、あわせて開拓の歴史をたたえる次第である。
この碑建立に当たって更科源蔵氏並びに平三郎氏に特段のご指導を願ったことを付記し、感謝の意を表します。』
 昭和37年9月 室蘭市長 熊谷 綾雄  と刻まれている。
石碑の横はアイヌの模様に作られていたが・・・写真を撮らなかったこと、今になって残念・・・。風が吹くと音が鳴るらしい。

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