『 手紙 』 生野慈朗:監督 東野圭吾:原作
「 差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ- 」
兄・剛志(玉山鉄二)は、直貴(山田孝之)を大学にやるための学費欲しさに
盗みに入った邸宅で、誤って人を殺してしまい、千葉の刑務所に服役中。
その直貴のもとには、服役中の兄から毎月手紙が届く。宛名面に淡いピンクの
桜の印が押されている。
それは刑務所の検閲印という事を、恥ずかしながら初めて知った。
この手紙が、無期懲役を宣告された剛志にとって、自分と塀の外とを繋ぐ唯一の
絆であり、生きがいそのものである。そして兄が罪を犯したのは結局は自分の
せいなのだと自責する直貴にとっても、手紙はひとつの贖罪であり、少しでも
兄の心が慰められればと、自らの日常を丹念に綴った返事を書き送っていた。
が、それにしても無期懲役はあまりにも重い刑の気もするけれど。
兄がたった一人で弟を養っていたこと、過失によるものであることなどを見ても
情状酌量の余地はあったのでは???
それとも経済的弱者は、このようなときにでも公平には扱われないのか?など
とはやくも腹立たしい。
しかし、気がつけば進学、夢、恋人、就職、結婚、人生の幸福の全てが、
自分の手をすり抜けてゆく。それでも毎月一度、届き続ける兄からの手紙・・・。
兄貴がいる限り、オレの人生はハズレ。そういうこと。耐え切れずにやけになる
直貴を、深い絶望の底から救ったのは、常に現実から目をそらさず、日の当たる
場所へと自分を引きずり出してきた由美子の存在だった。「私は絶対逃げへん」
という由美子の強さが、直貴と世界をつなぐ唯一の絆だった。
しかし、そのささやかな幸せが再び脅かされるようになった時、直貴は決意する。
塀の中から届き続ける、この忌まわしい「手紙」という鎖を断ち切ってしまおうと。
---goo映画より抜粋---
罪を犯すということの重さ。
しかも、誤ってとはいえ尊い人の命を奪ってしまった。
償い?更正?・・・はできるのだろうか。。。
そして、加害者本人、加害者の家族、被害者の家族。
それまで、平凡に(それこそが幸せなのだけど)生きていたそれぞれが
この事件によって抱えなければいけなくなった重たい事実と想い。
今作は加害者の家族と言う苦悩の立場に主軸をおいての人間ドラマ。
いわれのない差別を受け続ける直貴。
そうするうちに、いっそ人との関わりを避けるようになる。
それでも、ずっと変わらず接してくれた幼なじみの彼や、直貴の兄の事を
知ってもなお、見守り励まし続けてくれる由美子(沢尻エリカ)。
元服役囚の工場の男は、簡単に諦めるな、と。
それから、後に勤める家電店の会長からの言葉は、とてもよかった。
不当な異動だとふて腐れ気味の直貴に言った言葉だ。
犯罪者の家族は差別されてあたりまえ、その差別も含めて君のお兄さんの罪
なんだ、、、みたいなこと。
そして、差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ。という
同情ではない、厳しいけれど心からの応援の言葉。
そう、こんなふうに直貴という個の人間として受け入れてくれる人々もいた。
直貴が兄に、これで最後ですといって書いた手紙。
それを受け、6年間毎月被害者家族へ謝罪の手紙を書き続けた兄の最後の手紙。
罪を償っていたと思っていましたが、そうではありませんでした、と。
でも、自分の家族が被害者だったら、私は加害者を許すことは出来ないと思う。
だから、加害者家族の吹越満の演技にはグッときた。
あらためて、罪を犯すということの重大さにうなだれた。
終盤、兄のいる刑務所をお笑いというカタチで慰問する直貴。
一度は断ち切ったと思われた兄弟の絆。
でも、どうやったって兄貴は兄貴ですからねぇという台詞に、
玉山鉄二の渾身の演技、
そして挿入歌・小田和正の「言葉にできない」は、もう涙がとまらなかった。
原作を読んでみたくなったのは言うまでもない。
「 差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ- 」
兄・剛志(玉山鉄二)は、直貴(山田孝之)を大学にやるための学費欲しさに
盗みに入った邸宅で、誤って人を殺してしまい、千葉の刑務所に服役中。
その直貴のもとには、服役中の兄から毎月手紙が届く。宛名面に淡いピンクの
桜の印が押されている。
それは刑務所の検閲印という事を、恥ずかしながら初めて知った。
この手紙が、無期懲役を宣告された剛志にとって、自分と塀の外とを繋ぐ唯一の
絆であり、生きがいそのものである。そして兄が罪を犯したのは結局は自分の
せいなのだと自責する直貴にとっても、手紙はひとつの贖罪であり、少しでも
兄の心が慰められればと、自らの日常を丹念に綴った返事を書き送っていた。
が、それにしても無期懲役はあまりにも重い刑の気もするけれど。
兄がたった一人で弟を養っていたこと、過失によるものであることなどを見ても
情状酌量の余地はあったのでは???
それとも経済的弱者は、このようなときにでも公平には扱われないのか?など
とはやくも腹立たしい。
しかし、気がつけば進学、夢、恋人、就職、結婚、人生の幸福の全てが、
自分の手をすり抜けてゆく。それでも毎月一度、届き続ける兄からの手紙・・・。
兄貴がいる限り、オレの人生はハズレ。そういうこと。耐え切れずにやけになる
直貴を、深い絶望の底から救ったのは、常に現実から目をそらさず、日の当たる
場所へと自分を引きずり出してきた由美子の存在だった。「私は絶対逃げへん」
という由美子の強さが、直貴と世界をつなぐ唯一の絆だった。
しかし、そのささやかな幸せが再び脅かされるようになった時、直貴は決意する。
塀の中から届き続ける、この忌まわしい「手紙」という鎖を断ち切ってしまおうと。
---goo映画より抜粋---
罪を犯すということの重さ。
しかも、誤ってとはいえ尊い人の命を奪ってしまった。
償い?更正?・・・はできるのだろうか。。。
そして、加害者本人、加害者の家族、被害者の家族。
それまで、平凡に(それこそが幸せなのだけど)生きていたそれぞれが
この事件によって抱えなければいけなくなった重たい事実と想い。
今作は加害者の家族と言う苦悩の立場に主軸をおいての人間ドラマ。
いわれのない差別を受け続ける直貴。
そうするうちに、いっそ人との関わりを避けるようになる。
それでも、ずっと変わらず接してくれた幼なじみの彼や、直貴の兄の事を
知ってもなお、見守り励まし続けてくれる由美子(沢尻エリカ)。
元服役囚の工場の男は、簡単に諦めるな、と。
それから、後に勤める家電店の会長からの言葉は、とてもよかった。
不当な異動だとふて腐れ気味の直貴に言った言葉だ。
犯罪者の家族は差別されてあたりまえ、その差別も含めて君のお兄さんの罪
なんだ、、、みたいなこと。
そして、差別のない国を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ。という
同情ではない、厳しいけれど心からの応援の言葉。
そう、こんなふうに直貴という個の人間として受け入れてくれる人々もいた。
直貴が兄に、これで最後ですといって書いた手紙。
それを受け、6年間毎月被害者家族へ謝罪の手紙を書き続けた兄の最後の手紙。
罪を償っていたと思っていましたが、そうではありませんでした、と。
でも、自分の家族が被害者だったら、私は加害者を許すことは出来ないと思う。
だから、加害者家族の吹越満の演技にはグッときた。
あらためて、罪を犯すということの重大さにうなだれた。
終盤、兄のいる刑務所をお笑いというカタチで慰問する直貴。
一度は断ち切ったと思われた兄弟の絆。
でも、どうやったって兄貴は兄貴ですからねぇという台詞に、
玉山鉄二の渾身の演技、
そして挿入歌・小田和正の「言葉にできない」は、もう涙がとまらなかった。
原作を読んでみたくなったのは言うまでもない。