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『その日のまえに』 重松 清:著
実は、図書館に予約を入れて待つこと9ヶ月余り。
買えば良いのに、ここまできたら借りるんだーと待った。
いざ手にすると、もったいないのでゆっくり読む。
七つの短編からなるこの本は、前半の4編の話が、
あとの「その日のまえに」「その日」「その日のあとに」
の連作で全て繋がっていた。
愛する人の死
死を前に、私には何ができるのか。
なんにもできないんだろうなぁ。
自分の愛するひととの永遠の別れ
それを宣告されてしまったら、
残りの日々をどう過ごすんだろう。
取り乱して、醜態をさらすかもしれない。
もしも、自分が余命の宣告を受けたら
恐怖、不安、絶望???
でも、大切な人たちにちゃんとお別れを
いう時間がもらえたんだとも思う。
・・・なんて書いたものの、きれいごとですな。
実際は、『その日』をどんな風に受け止めるんだろう
と考えながら、ページをめくる。
誰にもに、いつかは必ずやってくる「その日」。
逝くひと、それを送るひと。
どちらの描写も色んな視点で描かれている。
八十歳近い年老いた父親が、娘の危篤のときに、
苦しませないでやってくれ、遠いふるさとに暮らす
年老いた両親がが病室に駆けつける前でも、娘が
苦しいようなら、無理に待つことはせず、延命装置
をはずしてやってほしい-
そして最期のとき・・・目に涙をうかべながら、
じょうぶな子に産んでやれんで、すまんかった。と。
まだ幼い子どもをおいて先立たなければならない
その娘は、夫に「忘れてもいいよ」と手紙を残す。
自分は、死をどのように受け入れるのだろう。。。
最後の「その日のあとで」には、こうあった。
『その日』を見つめて最後の日々を過ごすひとは、
じつは幸せなのかもしれない。
自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、
ちゃんと考える事ができますよね。
どんなに考えても答えは出ないんですけどね。
そして、考える事が答えなんだとも言っている。
すごくせつなかったのは、『ヒア・カムズ・ザ・サン』
トシくんと、母ちゃんのはなし。
設定も何も違うんだけど、トシくんがすごく自分にかぶる。
母ちゃんは「いる」-それだけで、いい。
うまく言えないけど、母ちゃんの役目は「いる」ことなんだ
と思う。~中略~いてほしい。絶対に。これからも。
世界でいちばん怖がりで臆病な奴は、俺だ。
母ちゃんがガンになったことよりも、それを俺に打ち明けな
かった事のほうが悲しい。俺の気持ちじゃなくて、母ちゃん
の気持ちを思うと、ほんとうに、悲しくて、悔しくて、
ごめんなさい、だった。
バカ、母ちゃん。逃げるな。ごまかすな。俺も。
こんなやさしくて、甘ったれで、すぐに逃げ出す息子のことを、
誰よりも理解していたからこそなかなか打ち明けられなかった
母親は、ごめんね、ごめんね、お母さん、病気になっちゃって
ほんとにごめん…と頭を何度も、深々と下げた。
あたりまえに毎日そこにいてくれると思っていた大切な人。
このまま永遠に続くのかと錯覚してしまう日常。
いま、当たり前のように大切な家族がそばで笑っていることが
どんなに幸せなことか、と思う。
実は、図書館に予約を入れて待つこと9ヶ月余り。
買えば良いのに、ここまできたら借りるんだーと待った。
いざ手にすると、もったいないのでゆっくり読む。
七つの短編からなるこの本は、前半の4編の話が、
あとの「その日のまえに」「その日」「その日のあとに」
の連作で全て繋がっていた。
愛する人の死
死を前に、私には何ができるのか。
なんにもできないんだろうなぁ。
自分の愛するひととの永遠の別れ
それを宣告されてしまったら、
残りの日々をどう過ごすんだろう。
取り乱して、醜態をさらすかもしれない。
もしも、自分が余命の宣告を受けたら
恐怖、不安、絶望???
でも、大切な人たちにちゃんとお別れを
いう時間がもらえたんだとも思う。
・・・なんて書いたものの、きれいごとですな。
実際は、『その日』をどんな風に受け止めるんだろう
と考えながら、ページをめくる。
誰にもに、いつかは必ずやってくる「その日」。
逝くひと、それを送るひと。
どちらの描写も色んな視点で描かれている。
八十歳近い年老いた父親が、娘の危篤のときに、
苦しませないでやってくれ、遠いふるさとに暮らす
年老いた両親がが病室に駆けつける前でも、娘が
苦しいようなら、無理に待つことはせず、延命装置
をはずしてやってほしい-
そして最期のとき・・・目に涙をうかべながら、
じょうぶな子に産んでやれんで、すまんかった。と。
まだ幼い子どもをおいて先立たなければならない
その娘は、夫に「忘れてもいいよ」と手紙を残す。
自分は、死をどのように受け入れるのだろう。。。
最後の「その日のあとで」には、こうあった。
『その日』を見つめて最後の日々を過ごすひとは、
じつは幸せなのかもしれない。
自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、
ちゃんと考える事ができますよね。
どんなに考えても答えは出ないんですけどね。
そして、考える事が答えなんだとも言っている。
すごくせつなかったのは、『ヒア・カムズ・ザ・サン』
トシくんと、母ちゃんのはなし。
設定も何も違うんだけど、トシくんがすごく自分にかぶる。
母ちゃんは「いる」-それだけで、いい。
うまく言えないけど、母ちゃんの役目は「いる」ことなんだ
と思う。~中略~いてほしい。絶対に。これからも。
世界でいちばん怖がりで臆病な奴は、俺だ。
母ちゃんがガンになったことよりも、それを俺に打ち明けな
かった事のほうが悲しい。俺の気持ちじゃなくて、母ちゃん
の気持ちを思うと、ほんとうに、悲しくて、悔しくて、
ごめんなさい、だった。
バカ、母ちゃん。逃げるな。ごまかすな。俺も。
こんなやさしくて、甘ったれで、すぐに逃げ出す息子のことを、
誰よりも理解していたからこそなかなか打ち明けられなかった
母親は、ごめんね、ごめんね、お母さん、病気になっちゃって
ほんとにごめん…と頭を何度も、深々と下げた。
あたりまえに毎日そこにいてくれると思っていた大切な人。
このまま永遠に続くのかと錯覚してしまう日常。
いま、当たり前のように大切な家族がそばで笑っていることが
どんなに幸せなことか、と思う。
でも、この日記読んだら泣けました。
心が少し素直に動き始めました。
どうもありがとうございました。
どうかお父さんが回復されますよう、本当に本当に願っています。