天皇杯岐阜県大会の決勝戦、FC岐阜セカンドVS岐阜経済大学が、メドウで行われました。
結果は、延長の末、FC岐阜セカンドが優勝し、天皇杯出場を決めました。
教え子の栗本が、背番号12で出場していました。
1回戦の相手は、新潟県の代表ジャパンサッカーカレッジで、栗本の母校です。
栗本は、高山西最後の戦士です。翌年に高山西と高山北が合併してウイングスを作りましたから・・
高山選抜第1期生(6年生)で、トップ下で全国大会出場の原動力になった選手です。
11年前、第22回全日本少年サッカー大会岐阜県大会決勝戦、関孫六(その後のジョカ1期生)VS高山選抜
2-1で、高山が勝ち全国大会出場を決めましたが、4月にチームを作るということで、各チームの監督が中田さんちに集合して、書類選考でメンバーを決めて、6月に県大会でした。決勝で2-0になった時、父兄の方からは、「勝ってしまうぞ」という声が・・チーム結成から2ヶ月、遠征もなくぶっつけ本番で、優勝してしまい、何の準備もなくこれからどうするの といった感じで、その後2人が辞退したりしました。決勝戦の相手のエースは、中村君、今日、FC岐阜セカンドで背番号10をつけて、活躍していました。昨日の敵は、今日の友。
結果は、延長の末、FC岐阜セカンドが優勝し、天皇杯出場を決めました。
教え子の栗本が、背番号12で出場していました。
1回戦の相手は、新潟県の代表ジャパンサッカーカレッジで、栗本の母校です。
栗本は、高山西最後の戦士です。翌年に高山西と高山北が合併してウイングスを作りましたから・・
高山選抜第1期生(6年生)で、トップ下で全国大会出場の原動力になった選手です。
11年前、第22回全日本少年サッカー大会岐阜県大会決勝戦、関孫六(その後のジョカ1期生)VS高山選抜
2-1で、高山が勝ち全国大会出場を決めましたが、4月にチームを作るということで、各チームの監督が中田さんちに集合して、書類選考でメンバーを決めて、6月に県大会でした。決勝で2-0になった時、父兄の方からは、「勝ってしまうぞ」という声が・・チーム結成から2ヶ月、遠征もなくぶっつけ本番で、優勝してしまい、何の準備もなくこれからどうするの といった感じで、その後2人が辞退したりしました。決勝戦の相手のエースは、中村君、今日、FC岐阜セカンドで背番号10をつけて、活躍していました。昨日の敵は、今日の友。