世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

定まらない一日

2010年06月27日 21時52分14秒 | Weblog
図書館に本を返しに行く。
唐沢俊一の本は情報は豊富だが、読ませる文章ではない。
内容は嘘っぱちだけど読ませる寺山修司とは違う。
物語性かな。含みの持たせ方かな。
尾崎放哉句集と吉田知子の本を借りる。
高速バスの料金を払う。来月は高知へ行く。
吉祥寺へ行き、小畠鼎子展を見る。
孔雀とシャクヤクの絵だけ気に入る。あとはあんまり。
お祖母ちゃんの絵を思い出す。
成分献血をする。
朝ごはんを食べてなかったけど、問診で食べたと嘘をついてしまう。
献血の前に大急ぎでドーナッツとコーンスープを飲む。
ちくっとした後、しばらく自分の血がチューブに流れ込まないでいるので
心配で見つめていると急にどばっと流れはじめてほっとしたけど、ぎょっとした。
1時間半、テレビでフィギュアスケートを見る。夏なのに、と思う。
高橋大輔が氷の上でパントマイムの壁をしていた。
向かいの男の人が血を抜かれた後、貧血になっているらしい。
足を高くあげられて点滴されてる。
献血に来て点滴されてるなんてと恥ずかしそうな男の人。
朝を食べていない私はそれを見てどきどきする。
血小板だけとられて、あとの血は身体に戻される。
帰りにミルクティーとうにあげおかきを食べる。
街中を歩く。
あちこちでセールをやっている。
人がわらわらいて、ワゴンの服をしきりに伸ばしたり広げたりしている。たたむ人は少ない。
不幸なことに年齢が上がって安い服が似合わなくなって来ていると最近思っている。服にお金がかかると憂う。
立ちくらみがする。
やっぱりか。くそ。お茶を飲んでそそくさと帰る。
近所のスーパーで夕飯の買い物をするときにふと思いついてみゆみゆをご飯に誘う。
カレーだと言ったら来た。
カレーを作るのは5、6年ぶりなんじゃないかな。食べるのは1年ぶりとか。
オクラとナスを入れる。
きゅうりとトマトを酢と塩としそであえる。
みゆみゆが枝豆のペーストを餅にくるませたお菓子を持ってきてくれる。
緑の赤福みたい。
明日も休みなので気が楽だ。

仰せつかる

2010年06月27日 03時11分54秒 | Weblog
今日7月から始まるプールのプールを足でしゅこしゅこ膨らませていると、
スタッフがすすすーっと近づいてきて、
「あの、30日に不審者対策の訓練をするんですけど」と言った。
「そのときに不審者の役をやる人がいなくて、深見さん、、」
あ、不審者ですか、いいですよやりますよ。
地震や火事の避難訓練は月一でやっているが、
不審者が侵入した際の対処訓練は今回が初めてだという。
なんで私なのかよくわからないが、とにかく「会議で深見さんの名前があがって」ということらしい。
「一応、精神異常者っていう設定なんです」
私はそのとき「遊びの時間は終わらない」を思い出して非常に愉快になった。
これは、銀行に強盗が入った設定で行われる警察の訓練の話なんだけど、
その犯人役の警察官が真面目ゆえにガチでいろんな設定をこまかく作り込んできて
訓練なのになかなか犯人確保にならないというおもしろい小説だ。映画もある。
たぶんガチでやったら子供の一人くらい簡単にとっつかまえれちゃうだろうなあと思った。
そもそも顔認証のできるセキュリティが破られて不審者が侵入しちゃったらもうほぼアウトだよなあ。
小さい子とかがっつんがっつんやられちゃうだろうなあ。
やっぱ訓練でも不審者役がそんなことしちゃったらまずいよなあ。
とか考えると、どの程度の力加減でやったものか、打ち合わせはしておきたい。
しかし考えれば考えるほどおかしい状況だ。
精神異常者がどうやって顔と問答で識別するセキュリティをかいくぐれるのか。
しかもその目的は?やっぱ殺戮?じゃなかったら異常な子供好き?
武器は持ってないのか?武器がなければ子供好きの可能性も高い。
私がやるからやっぱ女なのか。男の設定を私がやるのか。
暴れるの?追い回すの?なんか言う?
「最終的にはさすまたで捕まえます」
どこにあんだよそのさすまたがよ。あったとしてもすぐ取れるとこにないのは知ってるよ。
しかも係のスタッフが「私もやったことないんで」みたいに逃げやがってくわしく決めてくれない。
ああ、こういうことを言うんだね。
むちゃぶりって。
決めてくんなきゃ子供捕まえちゃうよ?いいの?
さすまた、ぱしーんてやれる自信あるよ。
こちとら大人だと思って安心してたら痛い目見るよ。
30日、請うご期待。

新しく絵を書きました

2010年06月22日 02時24分18秒 | Weblog
新しく絵を書いて、絵のHPへUPしました。
よかったら見てください。
カラーです。
尾崎放哉の俳句が好きなのでそれに絵をつけました。
趣味ですので、読みはてきとうです。
放哉の句は言葉の力が強いので、
つられて絵も自ずと大げさというか、インパクトのあるものになっていきました。
書いてて楽しかったです。
まだまだ好きな句はあるので、書けたらまたUPするかもしれません。
絵のHPはhttp://space.geocities.jp/nanako_tentou/index.htmlです。
今日もむちむちの赤ん坊をあげたりおろしたりしました。

目隠しする

2010年06月20日 20時47分29秒 | Weblog
ガッツの芝居を見に行く。
この劇団は2回目で、こないだもガッツが出ていて見に行った。
そして偶然だが、両方とも小学生以下の子供が親に連れられて見に来ていた。
でもこの劇団はおよそ子供向きの芝居をしないぞ。
こないだは使用前のコンドームを「ラビオリ」と言ったり、使用済みコンドームをつまみあげたりしていて、私は一つ前の席に座っている10歳くらいの女の子の様子が気になって気になってしょうがなかった。
今日はそれより小さい小学校入る前くらいの男の子が両親と見に来ていて、芝居の途中で立ったり声出したりしていた。
それはしょうがないんだけど、芝居の内容がまた、オンラインゲームにはまっているニートの話で、どうだろう、そういうのは理解できんだろうなあ。
最後、舞台役者がわーとなってパソコンとか布団とかわちゃわちゃにぶち壊すシーンがあるんだけど、その子、両脇にいる親にチラシで目隠しされてた。
でも隠されてるから見たくて頭ぴょこぴょこ動かしてるの。
それを親がまたチラシ動かして視界をさえぎるの。
変なもの見た。
こういう芝居だって知らずに子供連れてきたのかな。
託児サービスやってるからって安心したのかな。
見せてあげればよかったのに、と帰ってから思った。
役者がパソコン壊したくらいじゃ子供は曲がらんよきっと。
子供の件はそんな感じだが、芝居自体はおもしろかった。
あいかわらずガッツがジャージ姿で舞台にあげられていて
どこでもそんな扱いなのかなあとすこし不憫に思った。

親の心配

2010年06月19日 20時00分23秒 | Weblog
古本屋で吉田知子という作家の本を買って読んでいる。
この作家は講談社文芸文庫編「戦後短編小説再発見10」の中に入っていた「お供え」という作品で初めて知った。
もともと小島信夫の「馬」が入っていたから買った本だが、全部読んだ中でこの「お供え」がなんか記憶に残った。
それで、古本屋で吉田知子という名前にはピンと来なかったけど、『「お供え」含む6編』という文字に反応して手に取ってみたらやっぱり、あの「お供え」だった。
「お供え」は不思議な話だ。
読んだのがずっと前のことなので詳しい内容は忘れてしまったけど、
不思議な話だなあというのはずっと覚えている。
一人で暮らしている女の人の家に、毎朝花が置いてある。
玄関の両脇に盛塩みたいに。交通事故現場の花みたいに。
女の人は気持ち悪がって、毎朝見つけるたびに処分する。
犯人を突き止めようと、早い時間から玄関脇に立って監視してみたりもする。
しかしそんなときには花は置かれない。
知り合いに話してみても「誰かあなたを好きな人が置いていくんだ」とか「花くらい害があるわけじゃないからいいじゃない」と取り合ってくれない。
女の人の苛立ちは増していくばかりになる。
そんなある日、今度は花に加えて旗が玄関の脇に突き立てたられている。
そこから少しづつ女の人の生活が変わっていくという話。
何の目的かわからない人為的な「お供え」ものに対する女の人の胸中がスリリングな展開に沿って丁寧に書いてある。
一歩づつ背後から人が近づいて来るみたいな感じ。
後ろの人は、全然知らない人のような、すごく親しい人のような、怖さと安心がいっしょくたになったみたいな気配がする。
読んでいる間ずっとそんな風に感じた。
今回買った、吉田知子の短編集「お供え」の中の作品は、全部そんな風に感じた。
途中では後ろを振り返ることはできない。不安だし、気がせくけどできない。
最後になって、背中の後ろぎりぎりまで迫った顔を振り返るまではそれが鬼か人かわからない。
そんな話たち。おもしろい。
なかでも私は「迷蕨」と「海梯」がおもしろかった。
わらび取りに行ってどんどんわらびを取っていくうちにいつの間にか一度会っただけの親類や死んだ身内の集まりへ参加することになってしまった「迷蕨」。
昔は仲がよかったけど今は疎遠になってしまった従姉妹と海を歩いて思い出を思い出していくうちに何が記憶で何が現実かわからなくなってしまう「海梯」。
私はたぶん、思い出が現実をぱくんと食べてしまうような話が好きなんだと思う。
吉田知子の作品はそういう話がよく出てきて、
それはなんか、肥田さんの書く話にも通じる世界で、
だから私はそういう思い出に飲み込まれてしまう話が好きなんだと思った。
話としてはけっこう突飛なんだけど、
主人公が危ういながらもつるりつるりと物語に入っていくのが心地いい。

職場。
書類の整理をしていて面接時の用紙を手に取る。
保護者が記入する「(子供の)気になる点、困っている点」の欄には
「指しゃぶりが直りません」や「喘息なので心配しています」など親にしたら切実な子供の悩みが書いてある。
ただ、すこし見当違いというか、気にしなきゃいけないのはほんとにそこなのかい、という回答もある。
ある子の親はこう書いた。
「降りることのできない場所へのぼります。」
おや、と思う。
たしかに自分の力で降りることのできない場所へ子どもがのぼってしまうことは危険だ。
怪我をする可能性があるし、周りに迷惑をかける可能性だってあるからだ。
にもかかわらず、おやと思ってしまう。
「降りることのできない場所」というまじめな書きくちがそう思わせるのかもしれない。
そこへ「のぼります」という宣言のような報告。
この一文で私が思い描くのは、何か決意を秘めた人物がもう二度と降りることのない地面に別れを告げてゆっくりとでも着実に上を目指して高い塔をのぼっていく姿だ。
およそ「子供の気になる点」的世界から離れた言葉たち。
たぶん、これは子供が「向こう見ずな性格である」もしくは「大人の言うことを聞かない傾向がある」ということだと思う。
まじめに考え具体的に書きすぎたせいで要点がぼやけてしまった。
子供を客観視できなくなるのが親バカで、こういうのを親バカというんだなあと思った。
親の愛はこんな用紙からもあふれ出ている。

今日の夢はすごかった。
白熊を3対3で戦わせるショーを見学する夢だった。
しかも、白熊同士の殺し合いを見る部屋はまさに白熊たちが戦っているおんなじ部屋なのだ。
白っぽい広い部屋に各人が好きなところに椅子だけ置いて、まず3匹の白熊が入ってくる。
私はもう怖くて怖くて、
白熊と柵なしでおんなじ部屋にいるのだけでも怖いのに
殺しあう6匹の白熊と同じ部屋にいたら絶対こっちにも襲いかかってくるじゃんと思っている。
でも私以外の数人はぜんぜんそんなこと考えていない様子で、きゃいきゃいその場の空気を楽しんでいる。
嫌だ、怖い、ここにいたくないと思っていると対戦相手のもう3匹が入ってきた。
ぐるるるとか言い合ってる。
こええええええええ。
と、興奮した白くまの一匹が椅子に座っている女の頭をごんと床へたたきつけた。
ゆか血みどろ。きゃーとか、わーとか。なるわなそりゃ。やっぱり。
そしたらもうそこは地獄絵図。
白熊たちが観客に次々と襲いかかわり、かじったり、ひっかいたり、ごんてしたり。
人間逃げる逃げる。けどすぐ捕まってごん。
白熊の毛がどんどん赤く染まっていく。
うわあ、こえええええええ。
で、目が覚めました。
覚めたあともこえええええとしばらく思いました。

全員悪人

2010年06月15日 17時03分39秒 | Weblog
北野武監督作品「アウトレイジ」を見てきた。
この映画のコピーは「全員悪人」なのだけど、
これすごくいいコピーだよね。
いいコピーに違わず、全員いい悪人っぷりだった。
おもしろかった。
これはヤクザ映画なんだけど、ずっとかっけぇなぁと思って見ていた。
今回はだいぶ奇抜なキャスティングで、
普段はちょっとか弱かったり、滑稽だったり、おとぼけだったりする役をやっている俳優に
がつがつのヤクザファッションさせて、非情な悪役を演じさせているところに第一のかっこよさがあると思う。
イメージとのギャップが大きいとこがよかった。
見終わったあと、私はなんでこんなごてごての暴力映画をかっこいいと思って見ていて、見終わった今もなお、かっこよかったなあと思っているのかと考えた。
なのでまず、私が不愉快に思った暴力映画のどこを不愉快に感じたかを考えてみた。
最近みた中ではたとえば、「エル・トポ」。
あの中で暴力は悪人が罪もない人々にするものだ。
悪人達は「遊び」の感覚で村を襲い、残虐に殺したり、いじめたりする。
これが不快だ。
人は「遊び」ながらやってることは得てして「笑い」がちだ。
笑いながら半裸にした修道僧たちにまたがって競馬ごっこをしたりする。
すごく不快。
なぜなら遊びながら、笑いながら、そこまでされなきゃいけない理由がない人をそんな風にいじめたり殺したりしてほしくないから。
じゃあ、「アウトレイジ」ではどうかというと、
まず、出てくる人出てくる人が全員ヤクザで悪人なので、いじめる殺すという拒絶しがちなハードルがなぜか下がる。
暴力シーンがあっても「しょせんヤクザだもんなあ」というのがするどく頭をよぎる。
そういう考えがいい悪いの話じゃなくて、そういう見る側の真理を上手くついて作っているなあという話。
あと、話を国取り物語に限定して、なるべくヤクザたちの生活感をなくしたこと。
生活感だけじゃなくて、感情とか考え、苦悩するとことか、女との愛欲とか、よほど人間らしいシーンが出てこない。
そんな世界で男たちは何をしているかというと、「仕事」をしている。
これは「仕事」であって、「遊び」ではないので、男たちは笑わない。全員マジ。
マジに組を誰がどう取るかという将棋のようなことをしている。
この男たち全員が将棋の駒で、相手と向かい合ったら強い方が勝って、弱い方が取られる。
これでこの映画の中では、いくら人を殺しても駒を取った取られた進んだくらいにしか感じられなくさせる。
人殺しや虐待に対する不愉快感はこれでいくらか軽減されていると思う。
人を駒にした将棋の話なので、この場合のかっこいいというのは、
暴力が出てきてかっこいいのではなくて、鮮やかな勝負を見せてもらったという爽快感がかっこいい理由だと思う。
冷静で、無駄のない、きちんと落ちのついた名勝負という感じ。
ただ、本当にやってるのは将棋ではなくて、殺し合いなので、駒ではなく人間として殺されるシーンもある。
その人間には生活感がちょっとだけのぞく。まさに、駒じゃない証拠。
見たとこ2箇所かな。その両方とも他の駒と違って「拳銃」じゃないもので殺されてるからわかりやすい。
拳銃ってやっぱり日本人には馴染みがないんだよね。
だから「駒は拳銃で取る」、「人間は日常のもので殺す」という図が成り立っているんだと思う。
「人間」の殺され方は、やっぱりぞっとするほど不快だった。
北野武最新作/アウトレイジ予告編

黒田さんのとこと大使のとこはユーモア。ブラックだけど。

病巣からの復興

2010年06月14日 20時09分02秒 | Weblog
先週一週間ばかり猛威をふるっていた水疱瘡の集団感染がおさまり、
徐々に子供たちが登園してくるようになった。
久しぶりに見る顔がまだほんのり顔にぷつぷつをこさえている。
ちょっと見ないうちにみんな髪が伸びた。
今回かからなかった子の親はなんか残念そうだ。
小さいこの時期にいっそかかっちゃった方があとあと楽だからだ。
もうこれで赤い斑点が出てないか裸にむいてお腹や背中を調べる日々もおしまいか。
帰りの会のときに復帰人員が一気に増えたので
いつもの2、3倍やかましく感じた。
インフルエンザなどと違ってこっち(大人)に免疫がついてる感染症は気が楽だ。
1歳の久しぶりさんに「久しぶり」と声をかけたら、ぷいとそっぽを向かれた。
こちらに顔を見せないでうつむいている。
下から覗き込んだらにやにや笑っていた。

結婚2年目のスタッフが「妊娠してるかも知れないと思って歯医者行かなかったのに生理がちゃんときててへこんだ」という話をしていた。
銀河系の外の話のようだった。

骨太ちゃん

2010年06月13日 21時25分04秒 | Weblog
清水邦夫作・蜷川幸雄演出「真情あふるる軽薄さ」2001年版を見た。
おもしろかった。
舞台で見たらもっとおもしろかったろう。
人が多く舞台に上がっているだけで迫力というのはすごい。
それが長い行列を組んで整然としていると際立つ。
隊列が一瞬にして崩れると見てる側までざわつく。
長い行列とそれを挑発する青年の話。
初演の68年の時には舞台と闘争の新宿がリンクしていたという。
なるほど機動隊がでてきて行列の市民を殴る。
青年は権力に対して挑発しているのであって、
青年と権力の間の仲立ちに「中年男」という大学教授が出ていたらしい。
2001年には闘争はないので、
青年は権力に対しているという感じはしない。
見てる側はなんか、狂ってるなあこいつ、という感じだ。
なんか、怒ってるなあ、とか。
今でもなんかよくわからんけど怒ってるなあという人は街にいるので、そういう人を見る感じ。
普通はそういう人は黙殺される。
誰も好んで関わりになりたくないし、とばっちりを受けたくないから。
でも行列に並んでる時は暇なので、そんな狂ってる人と「遊んであげる」気になるのはわかる。
だから最初ストレスをためていた人たちが、どんどん怒りに任せてストレスを解消していったり、挑発遊びに付き合うことで解放されていく感じがおもしろかった。
挑発した相手に逆に遊ばれていくという感じはちゃんと伝わる。
だから最後に彼が死んだ時、遊び相手が死んだような喪失感が人たちの間に流れた、というのがすごくよかった。ぐっときた。
権力というものは2001年にはあんまり見えなくなっている。
なので、古田新太演じる「中年男」はたぶん大学教授という権力くさい位置にいなくて、
恋人関係みたいな個人レベルの位置で彼を翻弄していたんだろう。
2001年には「彼の担任教授です」というよりは「彼の恋人です」と言ったほうが彼にとって不愉快なんだ。
2001年には女と青年との間にはもう「恋人」しか割り込めない。
おもしろい。
最後、「青年」でも「女」でも「中年男」でもなく、群衆を殺しまわった「少年」がぱくっと開いた舞台の搬入口から本当の街へ姿を消していくのはやっぱり時代だなあと思った。
秋葉原の事件を思い出した。
あれはもう少年じゃないけど。
新宿にいる時思うのはこの人数は刃物じゃ刺しきれないなあということだ。
「ガンツ」という漫画では銃器で渋谷の人を撃ち殺していたけど、
そりゃあ、そうでもしないとたくさん人を殺すのはたいへんだ。
芝居でならみんな役者だからおもちゃのマシンガンで撃つまねをしたらみんな死んだふりをしてくれるけど、
でも現実はそうじゃない。
だからあの「少年」はちゃんとおもちゃの銃を置いて搬入口から出て行ったんだなあ、きっと。
でも、おもちゃを置いていったってことは、虚構から離れて現実に向かっていくという現われでもあると思った。
おもちゃのマシンガンを本物のナイフに持ちかえるなんてこともしなかったし、
私はあれは現実に立ち向かっていこうとする「少年」の堅実な姿勢にも思えた。
たとえば、引きこもりから外に出て行くというような。
「少年」が最初から舞台にいたわけじゃなくて、
最後目の前の惨劇とは全く関係ないというようにひょっこり現れて、顔を見せないまま、何にも関心を示さないまま、歩き去ったのがよかった。
おもしろい舞台だった。蜷川さん、さすがだなあ。

小栗康平監督作品「死の棘」見た。
これもおもしろかった。
島尾敏雄が自分の妻をモデルに書いたというものだから、
孫であるしまおまほの小さい頃を子供である父が写真におさめた写真集「まほちゃん」を知っている身からすれば、
あの家庭の歴史にこんな闇が、と思うのだけど、
映画の中ですげえ子供がいずらそうでよかったなあ。
あと、大抵の問題は子供が寝ているときに起こるものよのうと思って感慨深かった。
ウチにもあったんだろうなあ。
私らが寝てて知らないだけで。
お互いに追いつめあって、でも生きつなぎあっている夫婦の話だった。
なじられてなじられてわーとなっちゃうとこがでてきてよかった。
わーとならないとなじるのをやめられないからね。
わーとなれる相手だということと、
わーとなったらちゃんと止めてあげられるというのがこの夫婦の強みだ。
寒々しくてスリリングだけど、なぜか根底に安心が流れているような映画だった。
妻が、電気メーターの回ってる赤い印を「それがあんただ」と例えるとこがすごい!と思った。
よっぽど追いつめられないとそんな陰鬱な比喩表現でてこねえよ。

開始後5分

2010年06月13日 00時37分24秒 | Weblog
篠田正浩監督作品「心中天網島」を見た。
開始後5分でこれはおもしろい作品だと確信する。
人形浄瑠璃の「曽根崎心中」を原作に、
人形ではなく、人間が演じる。
でも人形を操るような黒子がいる。
しっかりばっちり黒子がいる。
黒子の半透けの黒布から白い息が漏れている。
すごい。この映画すごい。
すっげえおもしろかった!!!
私の中で、近年稀に見る名作。
すげえよ、これ、すげえ!
黒子が死神のようで不気味で、
でもロボットのように実直で、
演出家のようにストーリーを大切にして、
世間のように冷たい。
女郎小春と女房おさんをどちらも岩下志麻が演じていて、
どちらもすごくいい。
私は途中まで断然おさん派だったけど、
最後の最後で小春の鬼気迫る感じに圧倒された。
女のお客さんはきっとおさん目線でこれを見ると思うんだけど、
最後、小春の姿にぱくっと飲み込まれてしまって、
それでどっちの側にたって見るとか、そういうレベルの話じゃなくて、
すさまじい人間の側面を圧倒されながら見るしかなくなるという感じ。
いや、すばらしい。
治兵衛はほんとうにダメな男だなあ。
途中までずっと腹が立っていた。
でもやっぱり最後の最後で人じゃなくなって鬼になったようですごかった。
「義理義理うるさいんじゃ」という二人が
結局最後まで義理に縛られているというのがすごかった。
「死ぬ死ぬ」といっている二人が
最後やっぱり生きたい、嫌だ、怖い、というのがすごかった。
ラストの締めがすっげえかっこよかった。
死ぬのを美化していなくて、
でも壮絶にキレイで、
なんてすごいものを見ているんだろうと思った。
最初の本物の人形がでてくるとこで、
黒子の実に巧みな人形さばきも地味だがよかった。
アタリの一本。

舞台「パンク侍、斬られて候」DVD見た。
もともと私は町田康の原作小説を読んでいて、好きな作品だったので、
たまたま下北に行ったとき本多劇場で舞台版やってるのを知ってたまげた。
で、もはや御用達の新宿ツタヤにDVDがあったので見てみた。
けっこういい俳優も出てるし、ちょっと新感線っぽいポスターとか、
この原作にあってる感じがして期待して見た。
開始後5分でおもしろくないだろうと思った。
最後まで見たけど、最初の感どおりだったよ。
これはもう、100%俳優に落ち度はなく、100%脚本と演出のダメさだ。
やっぱりちょっと新感線っぽくて、新感線より数段落ちたものだった。
映像を駆使しているが、それが舞台空間とぜんぜん溶け込んでないし、
映像長くてたるむし、そんなに映像自慢したいなら映画でやれと思うし、
クライマックス、小説で読んであれをどう舞台にのっけるんだ!?という最大の見せ場を映像使って逃げたし。
あと、群集の使い方とか下手だと思う。
あれじゃあ2000人の群衆に見えないし、ただの8人じゃん。
あと、宇梶さんがずーーーーとちんこ出してて、それに映像規制のモヤかかってるのがうざい。
これはDVDだからなんだと思うんだけど、
でも途中からあれ、このちんこ作りものじゃん、と思ったらモヤいらなくない?という話になった。
作りものならなぜモヤがけするんだ?
DJオズマは生放送でやったのに。
あと最後、小島聖のバックに大きな青布が降りてきて、真ん中に白字の「青空」って。
「そりゃないわ~」と思わず叫んでしまった。あんまりダサくて貧相だったから。

舞台と映画だけど、
つまらないものと抜群におもしろいものを摂取した一日。
職場では倉庫の掃除をして、段ボールで靴箱を作り、子供を2回怒って泣かせた。

コーウンダ

2010年06月10日 00時23分42秒 | Weblog
5歳の転入児が入ってきた。
中国国籍の韓国人で、ハングル語を話す。
日本語はすこしわかる。
驚くほど習得力がある。
今日は「かきくけこ」の書き取りをした。
「いち、にい、さん」と「か」の書き順を教えていると、
「いち、にい、さん」と言いながらその通りに「か」を書く。すごい。
人の名前や「せんせい」などは既に覚えた。
話しかけるときは日本語で話す。
話してるときの雰囲気と、回りの動きでだいたい理解している。すごい。
が、「順番を守って」や「ちょっと待ってて」などの伝え方が難しい。
やってはだめではなくて、やってもいいけど少し我慢しようというのがニュアンスだけでは伝えにくい。
なので、辞書を引きながらやっている。
辞書で「順番」や「待つ」を引いて、指をさし、その箇所を読ませる。
すごくまどろっこしいが、それでも来たのが5歳で、理解力のある子でよかったと思う。
今日、辞書で引いたのは「片づける」。
辞書のハングルを見てその子が発音したのは「コーウンダ」と聞こえた。
散乱しているおもちゃを指して、「コーウンダ」と促すとするする片づけ始めた。
すごい。

昼休み。
つけ麺屋から女の人が「ケツに超汗かいてる」と言いながらでてきた。

「おっぱい」と言って飛び込んできた2歳児のつむじに一本の白髪を発見する。
きゅっとかなしい気持ちになる。

バス停で待っているおばさんがなぜか大きな鷺を頭にのせていた。
雨が降っている夕暮れで、まわりの木の緑が沈んでいる。
おばさんの上の鷺は巣の上で卵をあたためているみたいに落ち着いて、座っている。
え?え?と思いながら近づいたら、
ただおばさんが傘を差しているだけだと気がついた。