世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

ピーク

2006年12月29日 21時16分33秒 | Weblog
明日が帰省ラッシュのピークらしいです。
基本的に帰省ラッシュというのは都会から田舎へ向けての人間の移動が物凄い数になるってことです。
私は4年間高知というとこにいまして、実家は愛知ですので、盆正月などにはもちろんですが愛知に帰省します。
高知から愛知へ帰る帰省。また、愛知から高知へ戻るUターン。混雑して困ったなんてほとんどありませんでした。
まさに逆転の発想。帰省ラッシュのさなか、田舎から都会に帰ると道は空く。
しかしそれももう過去となりまして、
帰省ラッシュピークを迎える明日、ワタクシ無謀にも新幹線自由席にて帰省いたします。
座れるかな。
ドキドキです。

案の定、父から名古屋の築地、柳橋の市場に早朝行こうとお誘いが入る。
魚がたくさん並んでいてでかい声張り上げているおじちゃんおばちゃんおにいちゃんおねえちゃんがいるだけなのに、どうしてこうも心ときめくのか。

高校の時の先輩で、遠方の大学入ってもちょくちょく高校に遊びに来ていた人が、
「実家帰るときには着替えなんて持っていかないよ。だってそしたら新しい服親に一式買ってもらえるじゃん。」と言っていて、そのときはそりゃいいアイディアだ、と思ったものだが、実際そういう状況になるとそんな大それたこと、ようできん。
やはり私はちっちゃい人間だと思う。
ということを考えながら、いそいそと鞄に着替えを詰め込んだ。

こげなとこだすとうきょうは

2006年12月28日 20時39分03秒 | Weblog
「28日午後3時10分ごろ、東京都渋谷区神山町の民家の庭に人の下半身のようなものがあると、通行人の女性から警視庁代々木署の交番に届け出があった」ようなとこだす。
こえぇ。
でも今はお酒が入ってるから平気なの。
こんばんは、もうすぐ年の瀬です。明日は仕事納め。一足お先に生ハムとかで祝杯。ごくろうさん。
はい、職場の友はカウントダウンジャパンへ旅立ちました。
明日から別れた夫とグアムにおいでになる婦人もいらはります。羽田は出国ラッシュ。
ワタクシはしずしずとひとり晩酌ですしあわせ。

またしても正月がきてしまい、一気にテレビがつまらなくなりますな。
それでも正月は一億総締めくくりの日なので、めでたいか否かは別にして大事な日ではある気がします。
来年はワタクシ年女であります。もうはや干支を二周いたしました。あと三周で60です。すっげぇでかいばあちゃんで介護人が大変でしょうね。たのんます。
マドンナは48にして20の頃と体型が変わらないらしいです。それはお銀もそうですが。
そりゃすげぇな。妖怪だな。
高知に行ったら先生にしこたま妖怪の話を聞いたろ。

というわけで、2006も終わるみたいよ。
次は7が来るらしいよ。

そういえば

2006年12月27日 18時56分33秒 | Weblog
母と何日に帰ってくんのメールを取り交わしていて気付いた。
ウチの母は私ども子供を君と呼ぶ。
「キミキミ、ちょっといいかね」の君だ。
母はちょっと変わってるのかもしれない。

今日は暖かかった。
朝も手袋やマフラーが要らないくらいだった。
でも要らないくらい暖かいなと思ったのは外に出て歩き出してからだったので、手袋もマフラーもしたまま会社に行った。
帰りもまた外に出て歩き始めて要らないくらいだなと思ったけど、鞄には入らないしそのまましてた方が身軽なのでそのままで帰った。

いざ!

2006年12月25日 19時22分24秒 | Weblog
うどんツアーを計画している。
宮部さんたちとは関係ない、プライベートうどんである。
もちろん香川に。
ついでに4年いた高知にも行こうかなと、考えておる。
高知には友達や知り合いがたくさんいるので、うどんのついでに来たなんて口が裂けても言えないけどね。
今回のうどんは前回、前々回のダイジェスト版で責める。
つまりもう一度行きたいアノ店コノ店ツアーダムというわけだ。
すでに7軒ほどピックアップしており、もう朝から晩までがっちょりうどんのつもり満々なのである。
にもかかわらず、あいかわらずこっちでもお取り寄せのうどんを食べているわけだから、私のうどん好きは自慢の一つに掲げるだけのことはある。
よっ憎いね、このうどん好きっ。

鉄コン

2006年12月23日 19時32分28秒 | Weblog
公開初日に見てきました。
公開前からずっと楽しみにしてました。
鉄コン筋クリート。
すばらしい。
松本大洋も言ってたけど、マイク、ありがとう。
一ファンとしてもただの映画好きとしてもマイク、楽しんだぜ。面白かったぜ。かっこよかったぜ。
なんだよ、もう。こんなことならゲドはマイクがやればよかったじゃん。

世間はクリスマスだという。
今思い出せるクリスマスの記憶は、2ヶ。
小学校のころ、週一でスイミングスクールに通っていた。
ちょうどイブの日がスイミングの日で、室内プールで泳いでいたら外で雪が降り始めて、「うわぁ、ホワイトクリスマスなんて私初めて!」と無邪気に思った記憶。
もう一つは、それよりかは近い記憶で、クリスマス3日前くらいに男と別れ、クリスマスのために予約していたケーキがいらなくなり、でも物は届くわけで、届いたケーキをどうするかその彼と重い電話をかけた記憶。
ろくでもねぇ!
ろくでもねぇよ!
みんなにハッピークリスマス。

夢うつつ

2006年12月22日 11時14分10秒 | Weblog
マジの話ですが、夢にまで見てしまいました。
今日の明朝、夢の中で私は少女単体の公演会場にいました。
なんか会議室みたいなとこで、ビデオを延々見せられてました。ビデオ内容はドキュメンタリー。
目覚めた時にはまさかね、と軽く考えてました。

さあ、やってまいりました。
週末のハレの行事。
少女単体を見に行くと思うと、楽しみと怖さがない交ぜになって一日落ち着きませんでした。
こんな気分で演劇見に行くなんて初めてだよ。
一番の不安は「客が怖かったらどうしよう」でした。
内容より何より、親衛隊みたいになって自分たちは少女単体のサポートに命かけてますから的な熱狂信者が自分たちだけで楽しんでいたら一番イヤだなと思っていました。
全然。
浅はかな思い込みに終わりました。
皆さん、静々と並び、静々座り、席が足りなければ自分で椅子を用意して座る、という紳士的な且つ又は淑女的な方々ばかりでした。安心。
カップル2組。女(私含め)4人、あと10~15人くらいが男。
会議室みたいなとこで、コの字型にテーブルとイスが組まれ、皆で前に用意してあるテレビ(14インチくらい)から流れるドキュメンタリー映像見ました。
うそ~ん。正夢。
もちろんそれだけではなんだか意味がわからないので、合間合間に苅谷さんが説明を入れていきます。
いや、そうではない。
あくまでビデオは苅谷さんの主張を裏付けるための素材なわけで、私が見た夢のように延々ビデオ見てたわけではないです。

少女単体「恋人が障害者」。
幕もなく、ステージもなく、カラオケ機が不穏に置いてあって、そのカラオケ機から繋がっているマイクで苅谷さんが話します。拡声用かい。
んで、コの字に並んだ机のコの凹んだ溝部分、客が取り囲むようになっている部分にあの写真に写っている車椅子の人が行かされます。
それから始まるのは一人の人間のつつかれたくない醜いところをつついてつついてつつきまくるショー。
用意周到に揃えられた証拠、騙されたふりして張られた罠、それが膨大な量のビデオとメールの記録で見せ付けられていきます。
醜さをここまで暴露されてなお汚い言葉一つ吐けない車椅子の人。
その光景に「ゆきゆきて神軍」やジーコ内山監督を思い出しました。
もういい悪いの話ではない。どっちが正しくてどっちが間違ってるとかでもない。
勝ち負けでいやぁ、当然苅谷さんの勝ちなんだけど、それでも初めは苅谷さんばかりに目が行っていたのに、後半からは車椅子の人の方に注目するようになっていったのは、これが演劇とするならやっぱり主人公は車椅子の人だ。
なあなあで終わるかと思いきや、わりかししっかり締まったので見せていただいたという気がした。
最後の歌がよかったな。
あのね、カラオケ機があるってったでしょ。
最後、苅谷さんがそれで「恋人はサンタクロース」を歌ったわけだ。
ぜんぜん、最初っから、歌う気満々だったんじゃん。

帰り道、なかば夢の中にいるように歩いて電車に乗って自転車をこいだ。
もしかするとまたハイ!っていって目が覚めて、もう一度12月22日が始まるのかもしれない。

彼女たちの常識

2006年12月21日 19時40分57秒 | Weblog
全国各地から届く依頼に応えるのが私たちの仕事。
今日も山口県から申込書が来た。

問題1
山口県はどこにあるでしょう。
答え

九州

問題2
さて、その九州にはいくつ県があるでしょう。
答え

6県

問題3
これらの答えあわせはどうすればできるでしょう。
答え

一番若い子に聞く

問題4
それはどういう理由からでしょう。
答え

一番最近まで学校に行ってた子が学校で習ったことをより覚えてるだろうから

ちなみに、その一番若い子(19)もやっぱり九州だと思ってました。

配布

2006年12月18日 19時25分59秒 | Weblog
仕事場で仕事してたら、リーダーが寄ってきた。
ノロノノロノとなにやらよくわからんことを繰り返すので、振り返ったら、
箱詰めされた使い捨てマスクを手に曖昧に笑っていた。
今各地で猛威を振るっているウィルス対策として会社側が支給しているのだという。
50枚入りの箱の中から一枚取り出して私に渡し、
「マスクのつけ方」と箱の裏面に書いてある説明文を読み聞かせ始めた。
まずマスクの紐を両耳にかけます、から始まったので思わず笑ってしまった。知ってるよ。
これを社員一人一人にやっているのである。
それから半ば強制的にマスクをつけさせられて、それも全員がそうしているので、結構圧巻の職場風景になった。どこの研究所だよ。
マスクは甚だ息苦しく特殊な薬品臭と相まって、しばらくつけていたらみごとに頭痛がしてきた。

ギャップ

2006年12月17日 21時58分22秒 | Weblog
演劇の公演チラシのデザインを仕事としてやっているデザイナーのワークショップに行ってきた。
期待とは違って結構本気でデザインやってる人が集まっていて、
このチラシのフォントがどうとか、画像のレイヤーの重ねがどうとかさっぱりなことが多かった。
しかし、デザインはコンセプトありきである、ということと、それを決めるのが実は一番難しいということはよくわかった。
あと、ものすごく細かいこだわりがものをいう世界だな、と。
過去関わったチラシの話で、一番力入れて喋ってたのが、問合せ先のHPアドレスのhttp://をのけるか、www.もいっそのけてしまうか、最後の/はのけるかのけないかという、どーしよーもなく細かいことだった。あまりの細かさに笑ってしまった。どっちでもいいじゃん。何でもいいじゃん。それでは済まない世界なのだ。

チラシってのも演劇へのひとつの関わり方である。
しかし、全てに必然がある世界がチラシデザインなわけで。
デザイナーさんも言ってたけど、チラシはデザイナーの表現の場ではないのだそうで。あくまで、劇団の、公演の、表現をより効果的に見せるための手段なわけで。
そうか、と思ったけど、それでは満足できんだろうなという自身も見つけた。
私はチラシの記述にスラッシュが入っていようがいまいが、どっちでもいい。裏面の地図が詳しければそれはありがたいけど、なくてもその劇団をうらみはしない。
要はその芝居が見たいと思うか思わないか、なんだけど、そこにいろいろ問題が発生するわけで。
だって私の好みのチラシを作っても、誰かにとっては好みじゃないわけで。しかもその劇団の意向も踏まえた上で作んなくちゃいけないし、そうすると万人にウケるチラシなんてありえないことになる。しかし、客数は集めなきゃいけなくて、そのためにはより多くの人の好みや傾向を反映しなくてはいけない。最初っからチラシデザインなんて矛盾しているのだ。
整理すると、客の選別なんだと思う。結局は。
人を集めているように見えて、実は選別していってるんだと思う。
この芝居はこんな感じなので、こんな感じが好きな人はどうぞ。
この劇団はこういう人たちなので、こういうのが好きじゃないならまあそれなりに。
今日見た色んなチラシの中にも、私の触角に触れるものと全く触れないものがあった。みんな同じデザイナーが手がけているのに、どうしてこうも違うのかとずっと考えていた。
客がチラシを選ぶのと同じように、チラシも客を選別する。
しかしそれはそのチラシが大いに人目に触れてこその効果なわけで。
しかも大いに選別されてもなお残るだけの圧倒的な人数があってこその話だ。
いままでシアホリでやってきて一番最初につまずいていたことは全く考えに入れなくていいとこからスタートしているワークショップだったことは確か。

話はかなり飛ぶが、
横尾忠則というのはやっぱり稀有なデザイナーなのだと思った。
だってあきらかに自分の表現じゃん。
どっちがいいとか悪いとかではなくてさ。

ソウル2日目

2006年12月16日 21時13分40秒 | Weblog
別に韓国に行ってるわけではない。
ソウル市民を見に吉祥寺まで行っただけだ。
3部作一挙公演というのはイベントとして面白い。
今日は「ソウル市民」「ソウル市民1919」を連続で見た。

「ソウル市民」で長男の謙一役を演じていたのが、昨日見た「ソウル市民昭和望郷編」でその息子の真一役をやっていた人で、しかもそれが印象に残る役者だったので、時間がねじれたような不思議な感覚に陥った。
年代は違っても同じいいトコの家の長男役、しかも父と子の2役、しかもどっちも人はいいけど柳に風みたいな底の見えないおぼっちゃま。
多分そういうのも狙ってのキャスティングなんだろうけど、
「ソウル市民」の終わり間際の父親のセリフに「謙一はいつもはニヤニヤしてるのに写真に写るときだけは悲しい顔をするな」というのがあって、それが昨日の「昭和望郷編」での、精神病を抱えていてもなんか不敵な笑顔を絶やさない真一と重なって、最後の最後に胸を突かれた気がした。

あと、これは年代は違えど3作とも20世紀はじめの時代設定である。
のにもかかわらず、役者の喋る言葉がたぶん、その時代の喋り言葉とは違っている。
のがよかった。
うっせばぁか、とか当時の人は言っていたのか。たぶん言ってない。それを言わせてしまっている。言ってもオッケイ。
そういうラフな空間がおもしろかった。
多分時代設定を徹底させようと思えば出来たんだと思う。でもしない。
行き過ぎてはいないが、そういう設定に縛られてない乱暴さにぐっと引き込まれる。

日本のチェーホフなんだってさ。
オリザ先生は。
そうか。そうなのか。
それはそれとして。
たいへんおもしろいものを見せていただきました。
明日は演劇チラシのワークショップ。