世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

眠気誘う地獄

2010年06月09日 00時13分24秒 | Weblog
映画「山のあなた―徳市の恋―」の原作、清水宏監督作品「按摩と女」を見た。
私は「山のあなた」の方はまだ見てなくて、
でも好きな監督だし、予告編も好きな感じだったので、
じゃあ原作を見てから見ようと思っていた。
しかし、原作の「按摩と女」の方がなかなか見つからず、
こないだやっと探し出して見た。ので、「山のあなた」もやっと見れる。
「按摩と女」は清涼感のあるいい映画だった。
小さなことを日々の楽しみにしている按摩が少し滑稽でおもしろい。
顔をぐねっとさせる動き、見てしまう。
すがすがしい夏の日々と人々の感情のゆるい移り変わり。それが妙にスリリング。
見終わったあとは、ひと夏が終わったような物悲しさとさわやかさがあった。
いい日本映画。リメイクしたい理由がわかった気がした。
高峰三枝子はちょっと目がきつくて怖いんだか、どうなんだかよくわからない顔をしているなあと思った。

中川信夫監督作品「地獄」を見た。
ああ、既視感のある地獄絵図がちゃちく出てきた。
これ、生きてるときと死んでからと2部構成のようになっているんだけど、
どっちもちゃちいや。
物語の内容から地獄の中身まで見ていて胸くそ悪くなるちゃちさ。
悪魔のようで別に普通の人間だった友人がそもそもこの映画にでてくる意味が謎。
主人公だけに罪を集中させればいいのに、周りの人も結局それぞれに罪があったんだよという展開が謎。
そのそれぞれの罪が生半可な紹介しかされないちゃちさ。
主人公の変なモテぶりが無意味。
ご都合主義で罪がばれるのがちゃちい。
最後物語に出てきたものが全員死ぬが無意味。
地獄を抜け出そうとするのが変。
赤ん坊を助ける=救われるという法則が謎。
人々が何に苦しんでいる地獄なのか判断できる地獄描写がなかったことに消化不良。
たとえば、「血の池地獄だ」って言われても見た目赤いプールなだけじゃん。なんでそこに浸かってる人間がもだえ苦しんでるのかが謎。そこのとこをはっきりさせてくれないと見ているこっちが「ああ苦しそうだなまさに地獄だな怖いな」と思えないじゃん。「血の池地獄」が地獄絵図にのってる代表的な地獄だからってそれのどこが怖いのか作ってる側がわかってなかったら全然意味ないじゃん。
それと同じで、最後のへんで群集がぐるぐる回ってるだけの描写も全然怖くないし、全然地獄感でてないし、なにがしたいわけ?ぐるぐる走ってわーわー叫んで、なんで走ってるかとか何で叫ばなきゃやってられない状況なのかとか全然わかんないじゃん。人が叫べば怖い状況が伝わるだろうって発想がちゃちいんだよ。
最後の妙なハッピーエンド感も腹立つし、なめるな。
退屈な地獄旅。眠気がくるわ。
唯一、地面から手がたくさん生えてる絵だけおもしろかった。
あとは全部、だめだ。

寺山修司監督作品「さらば箱舟」見た。
おもしろかった。
物語の舞台がまずすごい。
沖縄の建物や情景だけ借りて、その中に住む人の慣習や物は本土の文化そのままにして、既視感と未視感がミックスされた別の日本国が出来上がっていた。
その村が現代化の波にさらされていく過程がすごかった。
まず、この村に「時計」はひとつしかない。
村の本家の柱時計だけだ。
「時計」というのは時間を計るもので、時間を管理するものだ。
時間を管理するものは、権力を持つことができる。
この時間から朝、この時間から夜と他の人々の生活を仕切ることができるから。
なので、この村では本家が堂々と人々を権力で圧倒していた。
が、あるとき、村八分のようになっている家に「時計」がやってくる。
村は混乱し、「どちらが正しい時間を示しているか」「どちらの時間に従えばいいのか」物議をかもす。
結局、元の権力者の家にあった「時計」以外があると村の安定が脅かされるとして村人はその家を襲い、柱時計と主人を殺す。
が、消費社会の波はどんどん村に押し寄せ、「時計」は一家に一台が当然になる。
このとき本家では、「数ぐらいで圧倒せなきゃ本家の威信に関わる」と言って、柱時計を無数に買いあさり、家中の壁にかけまくる。
同じ頃、本家の跡取り息子は「隣町」というのがあることを知り、女と二人で出かけていく。
そして、本家の女主人は「隣町」から物流にのってきた男と、その男が手に持つ「懐中時計」の音を聞きながらセックスにふける。
そのうちに村人全員が「隣町」の文明の素晴らしさに魅かれて村を去る。
村に残ったのは、柱時計と夫を殺された女だけだった。
「時計」がすごく効いた映画。
中盤、村を離れなければいけなくなった夫婦が3日3晩歩き続けてたどり着いたのが元の村だったというのが、すごく暗示がかっていておもしろい。
村の呪縛から解き放たれる方法はただ離れるだけじゃだめなんだ。
小島真由美がすばらしい。山崎努好きだなあ。若松武はこういうのを見るとこの人ストッパーがない人なんじゃないかと思ってやっぱり天井桟敷はこええなと思う。

エンターテイメントミュージカル

2010年06月06日 11時30分45秒 | Weblog
舞台のビデオを2本見た。
松尾スズキ作・演「キレイ」と寺山修司作・蜷川幸雄演出「身毒丸」。

「キレイ」はミュージカルなので、歌って踊る。
ケガレが二人一役なのはなんとなくわかるけど、
ハリコナは阿部サダヲだけでよかったんではないかと思った。
というか、頭よくなったハリコナを阿部サダヲがやる演技が見たかった。
ケガレの二人が非の打ちどころのない美人なので、
どんな目にあっても相変わらずキレイなので、
なんかちょっとそこが薄っぺらかった。
きったない女がどんどんきれいに見えていくつくり方の方が私は好きだ。
そんな薄っぺらで綺麗なケガレよりも、令嬢の方が断然よかった。
魚市場でダウン症の男の子より自分を選んでエビが噛み付いたことで自分の卑しさに気づき、「偽善をやっている」と口にしながら慈善事業をして、戦場にいる婚約者に「本当の自分を見せなくてすむから、離れているあなたが好き」とときめいて、「ここが金持ちの部屋よ」と自慢してた貧乏人に自分の会社をゆすられて、「いいのよ、友達じゃない」と微笑む。
最後は人の身代わりなって「(いいことをする)チャンス!」と叫んで死んでいく。
この人はどこまでも自分は卑しくて自分がやってるのは全て偽善だと知っていながら、いいことをする。
根性は腐ってるけど、全部自分のためだけど、この人は人を救う行いをした。
もうそこにはいいも悪いもなくて、業とか本音とか、そういう核みたいなものを見せつけられている気がする。
こういうすげえヒロインを生み出した松尾スズキはすごいなあと思った。

「身毒丸」。藤原竜也と白石加代子。
最初に言っておきますが、これはエンターテイメントミュージカルです。
歌って踊ってハッピーにはほど遠い内容ですが、間違いなく楽しむための娯楽です。
なので非常にわかりやすい。
今はどういう状況で、この人はどう思っているか、この人はどういう気持ちなのか、
ぜんぶ教えてくれます。
髪を振り乱して身毒と継母が顔を歪ませてくんずほぐれつバタンバタンやってるまわりで、「身毒よ、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」と歌が盛り立ててくれるので、「ああこのシーンは継母が身毒を呪っているところなんだなあ」とわかり、非常に親切です。
「カミキリムシよ、女どもの髪を切れ!」というと、
大きい化物カミキリムシが出てきて女たちがギャーとなるので、
「身毒が恐ろしい呪いの言葉をはいてる場面です」と教えてくれます。
この作品は想像していたよりずっとずっとわかりやすくて、楽しかったし、さすがと思った。
全部説明してくれるので、頭を働かせずにすむ。いい娯楽だ。
が、最後、二人が人ごみに紛れていくシーンで、
二人はこの物語から出て行くことで誰にも何も言われない、何も説明しなくていい世界に行こうとしているんだと思いあたり、この作品を見る目が覆った。
あんた達には今までの私たちのどろどろしたお話をあげる。
十分におもしろがって見ればいい。
でもこれからの私たちについては語らないし、あんた達には見せない。
私たちのこれからはお話にはしない。
あんた達はまた誰かのお話を見つけて楽しめばいい。
もう私たちのことは放っておいて。
二人の後姿はそう言ってるみたいだった。
最後の最後でうなった。

岡田斗司夫漬け

2010年06月04日 21時57分55秒 | Weblog
岡田斗司夫「人生テスト―人を動かす4つの力―」「ぼくたちの洗脳時代」「二十世紀の最後の夜に」「東大オタク講座」「東大オタキングゼミ」を読んだ。

「人生テスト」は人間を王様・軍人・学者・職人の4つのパターンに当てはめて考察するもの。
周りの人を見渡すと、このパターンにぴったりあってる人もいるのでなるほどと思うのだけど、
こと自分に関して4パターンのひとつにおさまらない曖昧な結論しか出せなかったのでいまいち納得できないでいる。
血液型とか星座とか、もともと自分ではどうしようもない先天的決定事項で性格や行動を判断されることに抵抗がある人に、「自分の欲望の内容でパターンが分かれる」といったり、自分の欲望や意思など後天的思考パターンで分類しているというのが画期的。
あと、「これは占いでなく実用書」といったりしているのも。
ただし、本来私が実用書を必要としない、言っちゃえば悩みがまああるっちゃあるが、それはそれで解決できることは自分でするし、できないことは諦めるとか、時間をおいてみたり、最終的には自分が逃げればいいやと思っている人間なので、
占いを楽しむ感覚以上の感覚は持てなかった。
でも身近な人をパターンに当てはめておもしろがったり、楽しめたのでよし。
こういう考えの人はこのパターンでは「王様」というみたい。
堀江元ライブドア社長が優劣を重んじる「軍人」タイプというのはとても納得。

「ぼくたちの洗脳時代」は岡田さんの現在やっていることと直接リンクしてておもしろかった。つくづく考えと行動にブレのない人だ。
今、岡田さんは「岡田斗司夫をFREEにしよう」というのをやっていて、
FREEというのは無料で世の中に配信されるということなんだけど、
岡田さんの呼びかけに応じた有志が「社員」になって「社長」である岡田さんに「一人あたま月1万円、年間12万円の給料」を支払うことで、岡田さんを養いかつ労働力を提供し、代わりに岡田さんの活動全てを無料で世界に発信させるということをやっている。
いわば、「社員」が「社長」に給料と労働力を払う会社を作っている。
じゃあ、社長は何をやるかというと、自らの「実用的な」考え方を世間に広める、という仕事をする。書籍にしてもテレビに出てもその際、印税や出演料はもらわない。
社員には具体的なお金のペイはない。
自分がおもしろいと思うことをする社長の行動をサポートして、(具体的にはHPの運営とかトークライブの企画設営とか、それ相当のノウハウを持ってる人も集まっているのでそういうことができる)自分も一緒におもしろがる、というのが社員だ。
要は、文化祭は実行委員が一番たいへんだけど一番たのしくて、本当はお祭りが終わるまでの期間限定の楽しみであり仕事のはずなんだけど、その権利を自分が飽きるまでお金で買えるのがこのexシステムって呼ばれてるものの最大の売りなんだ。
で、大の大人がそれに賛同してちゃんとお金払ってこのシステムをまわすためには、岡田斗司夫くらいの求心力とか説得力とか企画力がないと成立しない。
でも岡田さんはこのシステムは絶対に今後流行ると言っていて、
誰でも一つか二つのexシステムの「社員」になっているような時代が来ると言っている。
もちろん、これでは社員は食べていけないから本職というものは存在する。
お金の使い道に新しい選択肢が増えたわけだ。
「ぼくたちの洗脳時代」は、いままでの社会の変化の流れを追って、これからはexシステムだ!(実際はこのなかにexシステムという単語はまだ出てきていない)という結論に達する。
私は岡田さんのやっているexシステムは怖さも含んでいるが、おもしろいとも思うので、この考えにたどり着くまでの考えの流れのようなものが読み取れておもしろかった。
が、ここに書いてある「社会の変化」というのが外国、特にヨーロッパに限定(とくに中世や近世の記述が)されてるのがちょっと疑問だ。
ヨーロッパ的に見れば確かにそうかもねという論理なんだけど、ここは日本だし、岡田さんも読んでる読者も日本人なのに。
ワールドワイドに見たって事?じゃあなんでそれがヨーロッパ?アフリカは?アジアは?
説明しやすかったのがヨーロッパなのかな。キリスト教と社会と歴史をむすんで話してるからかな。じゃあ、なぜ多くの日本人にはあんまり深部まで理解できないキリスト教を中心に話を進めたのかな。
あと、これは本の内容じゃなくてexシステムの欠点というか、このまま本当にこのシステムが普及したら将来絶対出てくる問題なんだけど、
exシステムは一種の芸能稼業みたいになるわけだから、それは人気で左右される仕事ってことで、
例えば「社長」がちょっと失言するといまだとブログ炎上で済んでたものが、失業ということになり得る。
失業とまではいかなくても、80人いた「社員」が5人に減る可能性がある。
単純に今の岡田さんのシステム通りにいくと、月5万円では生活できないし、他の収入を拒否してるわけだから、にっちもさっちもいかないくなる。
こういう人が出てきた場合、どうなるのか。
カードローン破産者と同じように、exシステム破産者は確実に出てくる。
あと、残った5人の「社員」も困る。5人じゃ「社長」を支えられないけど、支えたい気持ちはある人たち。結局、そのexがなくなるとかならいいけど、一人あたまの「給料」を増やしてやりくりする道を歩もうとする人も出てくる。そうなったら地獄だ。
「社長」以外でも高額な「給料」が払えきれなくなって破産するexシステム破産者が出てくる。
私はこのシステムを否定しているわけではなくて、おもしろいと思うんだけど、こういう可能性はあるなと思っている。

「二十世紀の最後の夜に」はSFマニアらしい岡田さんの夢の失望の話。
21世紀が来たのに全然未来って感じしないじゃん、というのはなんとなくわかるけど、やっぱりなんとなくしか実感できなかった。
大阪万博知らないし。
愛知万博はべつにそうわーということもなかったし。てかもうほぼ忘れられてるし。
未来を夢見てない世代と言われたらそりゃそうだと思う。
未来は夢見るものってのも一時期のブーム思想でしょう。
未来は夢見るものと最初から思ってなかったら「違うの!俺が夢見てたのはこんなんじゃないの!」と失望することもないわけで、
3D映画とか興味ないし、宇宙旅行よりは外国旅行の方が楽しそうだし、
タッチパネル使いにくいし、ツイッターやめちゃったし。
たぶん自然回帰組みたいなのも今からもっと増えるよ。
テレビやめて、携帯やめて、中古の一軒家借りて、庭にちょっと畑作って友達と住む若者たち。
ただし、ネットはつながってる。仕事には出る。
私の憧れはいまそっち側にあります。

「東大オタク講座」。
この中の、アメリカにおける「UFO事件が増加するに従って『奇跡』が減少している」というのが抜群におもしろかった。
そこの部分引用。
 「キリスト教の奇跡は、ローマカトリック教会に寄せられた報告を受けて担当者が確認を取り、研究報告会や審議を経てローマ法王から『この現象を奇跡と認定する』というお墨つきが出る仕組みになっているんですが、二〇世紀に入ってからは、トレドの泉やファティマの予言など、三、四の『奇跡』が認定されただけで、認定出願件数そのものがどんどん減ってきているんです。しかも出願件数が減るのに反比例してUFOの目撃件数が増加してるんですよ。(略)人々の求める『神秘なる対象』が、宗教的なものからUFOへシフトしてるんでしょう。」
これは、大学のときにやった「日本の近代から現代にかけて『妖怪』の出現件数が減るのに反比例して『幽霊』の目撃件数が増加していた」というのとリンクして私は興味深かった。
あと、宇宙人からのメッセージの変化というのもおもしろかった。
宇宙人は「そのとき一番流行っている社会問題を口にする」というもの。これはアメリカにあらわれる宇宙人の例なんだけど、
1950年代の宇宙人はよく、「ロシアに注意」と言っていたらしい。
君たちアメリカは
その正義を持って地球のリーダーとならなければいけない。私有財産を認めない国家はこれからの宇宙進出時代にはマイナスなのだ。
その次は「宇宙はフロンティア」。地球人よ、早く宇宙に出てきなさい。
その次が「原爆反対」。
その次が「地球に優しく」と環境問題に言述。
で、「DNA」。地球人はわれわれがDNA操作で生み出した生命体なのだ。
その次が、「クジラを守れ」。クジラやイルカはわれわれがアルタイル太陽系から運んできた生物だから大事にしろ。
で、この本が出た1997年に宇宙人が警告しているのは「ドラッグ」。
私はここのくだりでガツンと宇宙人が好きなった。
今だったら宇宙人はなんと言っているんだろう。
セックス・アンド・ザ・シティはおもしろいとかかな。

「東大オタキングゼミ」はゼミ生への問題と回答がおもしろかった。
お題は「儲かるテーマパークを企画せよ!」。
ゼミ生の回答は男の子っぽいのが多かったから、男の子が多いゼミだったのかも。
女の子が考えるこういうのもみてみたい。