世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

全員悪人

2010年06月15日 17時03分39秒 | Weblog
北野武監督作品「アウトレイジ」を見てきた。
この映画のコピーは「全員悪人」なのだけど、
これすごくいいコピーだよね。
いいコピーに違わず、全員いい悪人っぷりだった。
おもしろかった。
これはヤクザ映画なんだけど、ずっとかっけぇなぁと思って見ていた。
今回はだいぶ奇抜なキャスティングで、
普段はちょっとか弱かったり、滑稽だったり、おとぼけだったりする役をやっている俳優に
がつがつのヤクザファッションさせて、非情な悪役を演じさせているところに第一のかっこよさがあると思う。
イメージとのギャップが大きいとこがよかった。
見終わったあと、私はなんでこんなごてごての暴力映画をかっこいいと思って見ていて、見終わった今もなお、かっこよかったなあと思っているのかと考えた。
なのでまず、私が不愉快に思った暴力映画のどこを不愉快に感じたかを考えてみた。
最近みた中ではたとえば、「エル・トポ」。
あの中で暴力は悪人が罪もない人々にするものだ。
悪人達は「遊び」の感覚で村を襲い、残虐に殺したり、いじめたりする。
これが不快だ。
人は「遊び」ながらやってることは得てして「笑い」がちだ。
笑いながら半裸にした修道僧たちにまたがって競馬ごっこをしたりする。
すごく不快。
なぜなら遊びながら、笑いながら、そこまでされなきゃいけない理由がない人をそんな風にいじめたり殺したりしてほしくないから。
じゃあ、「アウトレイジ」ではどうかというと、
まず、出てくる人出てくる人が全員ヤクザで悪人なので、いじめる殺すという拒絶しがちなハードルがなぜか下がる。
暴力シーンがあっても「しょせんヤクザだもんなあ」というのがするどく頭をよぎる。
そういう考えがいい悪いの話じゃなくて、そういう見る側の真理を上手くついて作っているなあという話。
あと、話を国取り物語に限定して、なるべくヤクザたちの生活感をなくしたこと。
生活感だけじゃなくて、感情とか考え、苦悩するとことか、女との愛欲とか、よほど人間らしいシーンが出てこない。
そんな世界で男たちは何をしているかというと、「仕事」をしている。
これは「仕事」であって、「遊び」ではないので、男たちは笑わない。全員マジ。
マジに組を誰がどう取るかという将棋のようなことをしている。
この男たち全員が将棋の駒で、相手と向かい合ったら強い方が勝って、弱い方が取られる。
これでこの映画の中では、いくら人を殺しても駒を取った取られた進んだくらいにしか感じられなくさせる。
人殺しや虐待に対する不愉快感はこれでいくらか軽減されていると思う。
人を駒にした将棋の話なので、この場合のかっこいいというのは、
暴力が出てきてかっこいいのではなくて、鮮やかな勝負を見せてもらったという爽快感がかっこいい理由だと思う。
冷静で、無駄のない、きちんと落ちのついた名勝負という感じ。
ただ、本当にやってるのは将棋ではなくて、殺し合いなので、駒ではなく人間として殺されるシーンもある。
その人間には生活感がちょっとだけのぞく。まさに、駒じゃない証拠。
見たとこ2箇所かな。その両方とも他の駒と違って「拳銃」じゃないもので殺されてるからわかりやすい。
拳銃ってやっぱり日本人には馴染みがないんだよね。
だから「駒は拳銃で取る」、「人間は日常のもので殺す」という図が成り立っているんだと思う。
「人間」の殺され方は、やっぱりぞっとするほど不快だった。
北野武最新作/アウトレイジ予告編

黒田さんのとこと大使のとこはユーモア。ブラックだけど。