今日の練習が終わりました。
ウチでのんびりしていると牧場氏より電話。
「ウチにいる?」
はい。
「テレビついてる?」
はい。
「大泉君でてるよ」
えー!!!マジですか??
即刻チャンネルをナイナイサイズに変換。
もじゃり!もじゃってる!天パー+パーマかけてる顔が画面を覆う。
大泉君だぁ!
もう後は電話そっちのけで大泉君に集中してしまう。
一緒にいる学術研究中の行けちゃんに変わってもらうが、それもあんまり聞いてなかった。彼女はかつてない状況の珍しさにとてもご満足のようだったが。
大泉君を紹介してもらうまでに大泉ファンだと周りから認識され出したのだろうか。確かに彼の口調は随時真似してしまうが、彼の(中央)テレビに出たときのいたたまれなさは目を覆いたくなる姉である。
やはり、どうでしょうの中の彼に期待をかけるべきなのか?
なぜ、大倉孝二の位置に来ないかが解せぬ。それほどビジュアルが違うとも思えないし。
ああ、いじられキャラ。いじられ役者。お笑いには相手にされない中途半端な位置。かなしい!
が、姉はこの事実を隠しはしない。彼にはもっとしっくりポイントがあるはずだ。そのためにこの位置に甘んじてもらっては困るのです。だから厳しく言う。大泉君、どうでしょうとは違うけど、あなたの舞台見たくもなんともないけど、でもファンだから。
こんなファンは姉ならお断りだなぁ…。
ああ、洋よ、どこへ行く。
稽古。
稽古場速報があごうの手より発信されていますが、今日の稽古も激しさ爆発でしたよ。しかし、日ごとにやる側も見る側も印象が変わってしまう、まだまだ不安定な感じ。
しっくり馴染むまでにはもう少しかかりそうです。
しかし、シアホリらしさというものが出てきた感はある。
シアホリらしさ。
それはシリアスをポップにする感覚。
悲しくないわけじゃない。重くないわけじゃない。でも、それを軽めに出す。だって、現実がそうでしょうよ、と思うから。
ある店で男女が深刻な別れ話をしてるときに、隣のテーブルの男が「ワタクシ、小便に行ってまいります!」と言って立ち上がったら、その別れ話が、さっきまで泣き濡れていた女が、しかめっ面をしていた男が、その場から立ち消えして、まっさらな状態になってしまう瞬間というのは確かにあるはずであって。ちなみに、上記の例はさくらももこの体験した実話であるから、こういうことは起こりえないとは決して誰にも言えないのです。
いくらシリアスにシリアスになっていっても、当人たち以外の連中というものが地球上に存在している限りは、例に挙げたことの様なシリアスを興ざめさせてしまう落とし穴は存在するはずだ。その穴に落ちてしまった人々は一様に滑稽でかわいらしく、そしてそれにも増して悲しい。
たぶん、そういうことなのだと思う。
シアホリらしさ、を出すっていうのは。
いや、違った言い方をするなら、姉がこの劇団でやりたいこと、もしくはやらせてもらえてることというのは。
それがある程度であろうが、末嶋さんと共鳴するのだと思う。または末嶋さんに毒されてこうなったのだろうと思う。しかし上の考えに疑問を持たない今はすごく心地いい。快適だ。
だからオレアナがコントに近づいていってる現状も、楽しい。
でもどれだけやってもコントにはなりえない。それは台本の力であるし、そうさせないストッパーを作る側が持ってやってるのもある。
ほら、なんかもっともらしいこと言っちゃってますよ。
いやいや、まだまだ未完成です。
まじめに作り過ぎないまじめさが好きですね。根が不まじめなんでしょうね。
目に青葉、山ホトトギス、場に笑い。
これ、魅力。
と、いうのを昨日今日の稽古や駄雑談のような話し合いのようなもので強く感じました。
ウチでのんびりしていると牧場氏より電話。
「ウチにいる?」
はい。
「テレビついてる?」
はい。
「大泉君でてるよ」
えー!!!マジですか??
即刻チャンネルをナイナイサイズに変換。
もじゃり!もじゃってる!天パー+パーマかけてる顔が画面を覆う。
大泉君だぁ!
もう後は電話そっちのけで大泉君に集中してしまう。
一緒にいる学術研究中の行けちゃんに変わってもらうが、それもあんまり聞いてなかった。彼女はかつてない状況の珍しさにとてもご満足のようだったが。
大泉君を紹介してもらうまでに大泉ファンだと周りから認識され出したのだろうか。確かに彼の口調は随時真似してしまうが、彼の(中央)テレビに出たときのいたたまれなさは目を覆いたくなる姉である。
やはり、どうでしょうの中の彼に期待をかけるべきなのか?
なぜ、大倉孝二の位置に来ないかが解せぬ。それほどビジュアルが違うとも思えないし。
ああ、いじられキャラ。いじられ役者。お笑いには相手にされない中途半端な位置。かなしい!
が、姉はこの事実を隠しはしない。彼にはもっとしっくりポイントがあるはずだ。そのためにこの位置に甘んじてもらっては困るのです。だから厳しく言う。大泉君、どうでしょうとは違うけど、あなたの舞台見たくもなんともないけど、でもファンだから。
こんなファンは姉ならお断りだなぁ…。
ああ、洋よ、どこへ行く。
稽古。
稽古場速報があごうの手より発信されていますが、今日の稽古も激しさ爆発でしたよ。しかし、日ごとにやる側も見る側も印象が変わってしまう、まだまだ不安定な感じ。
しっくり馴染むまでにはもう少しかかりそうです。
しかし、シアホリらしさというものが出てきた感はある。
シアホリらしさ。
それはシリアスをポップにする感覚。
悲しくないわけじゃない。重くないわけじゃない。でも、それを軽めに出す。だって、現実がそうでしょうよ、と思うから。
ある店で男女が深刻な別れ話をしてるときに、隣のテーブルの男が「ワタクシ、小便に行ってまいります!」と言って立ち上がったら、その別れ話が、さっきまで泣き濡れていた女が、しかめっ面をしていた男が、その場から立ち消えして、まっさらな状態になってしまう瞬間というのは確かにあるはずであって。ちなみに、上記の例はさくらももこの体験した実話であるから、こういうことは起こりえないとは決して誰にも言えないのです。
いくらシリアスにシリアスになっていっても、当人たち以外の連中というものが地球上に存在している限りは、例に挙げたことの様なシリアスを興ざめさせてしまう落とし穴は存在するはずだ。その穴に落ちてしまった人々は一様に滑稽でかわいらしく、そしてそれにも増して悲しい。
たぶん、そういうことなのだと思う。
シアホリらしさ、を出すっていうのは。
いや、違った言い方をするなら、姉がこの劇団でやりたいこと、もしくはやらせてもらえてることというのは。
それがある程度であろうが、末嶋さんと共鳴するのだと思う。または末嶋さんに毒されてこうなったのだろうと思う。しかし上の考えに疑問を持たない今はすごく心地いい。快適だ。
だからオレアナがコントに近づいていってる現状も、楽しい。
でもどれだけやってもコントにはなりえない。それは台本の力であるし、そうさせないストッパーを作る側が持ってやってるのもある。
ほら、なんかもっともらしいこと言っちゃってますよ。
いやいや、まだまだ未完成です。
まじめに作り過ぎないまじめさが好きですね。根が不まじめなんでしょうね。
目に青葉、山ホトトギス、場に笑い。
これ、魅力。
と、いうのを昨日今日の稽古や駄雑談のような話し合いのようなもので強く感じました。