世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

ここ一ヶ月を占めていたもの

2012年08月20日 21時11分14秒 | Weblog
保坂和志「小説の誕生」
いくつもいくつもなるほどと思う箇所が出てくる。
保坂さんによると、何かを読んでり見たりして「なるほど」と思うということは、
すでにその人の中にその考えなり、アイディアがあったということで、
それでそれを言葉や形にして見せられると「なるほど」と思うのだそうだ。
これを読んで、読んでいる時もいろいろ考えるのだが、
この本を読んでない時、例えば、駅から駐輪場までの道を歩いている時などに
ふと内容を思い出したりすることもある。
保坂さんは小説を読んでいる時に、もちろんそこに書かれている文章を読んでいるのだけど、その人の頭の中ではそれだけが充満しているわけではなくて、
その人が今まで経験してきたことや、仕入れてきた知識やそのときのまわりの状況などが全部総動員されている状態が読書体験なのであって、
そこに書かれていること以外をどれだけ読者に感じさせることができるか、みたいなのがいい本の条件なのではないか、というようなことを書いている。
それならば、本を読んでいない時に、ふとその本のことを思い出して改めて考えている時間などはまさしく「読書体験」であって、
そういうことをさせる力を持つ本がやはりいい本なのではないかと思った。
映画とかもそうで、ここ一ヶ月で見たものを思い出して書く。
思い出してよかったなと思えるものはやはりよかったのだと思う。

ルイ・マル監督作品「42丁目のワーニャ」
島村くんにすすめられた映画。というか、舞台の映画化(?)
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやる人たちのリハを撮ったという形。
劇場で、(リハだから)私服で、休憩をはさみながら、「ワーニャ伯父さん」をやる。
とても面白かった。
衣装を着ていないとか、休憩が挟まるとか、全然問題にならず、
むしろ、そのラフさが「ワーニャ伯父さん」という作品の本来のラフさにつながってよかったように思う。
本来の、というのは、あの馬鹿馬鹿しさであって、
もう、この人好きになっちゃダメ!絶対幸せになんないじゃん!という人を
もれなくみんなが好きになっている感じの馬鹿馬鹿しさとか、
お金のことにきゅうきゅうしたり、きゅうきゅうしていいはずなのになんか無頓着にしてたりの馬鹿馬鹿しさとか、
とにかく他人と関わることでこの人たちはどんどんどんどん追い詰められていって、
それでもなんかなんとかして生きていくしかないよね、みたいな馬鹿馬鹿しさとか、
そういうのがとてもおもしろかった。
「私なんで不器量に生まれてきたんだろう」のシーンもよかったし、
「あひるがガアガア鳴いてるだけ。すぐおさまりますよ」というそうやって今までいろんなことをやり過ごしてきただろう人生が見えるシーンもよかった。

「霊幻道士」
キョンシーである。
あのキョンシーだ。
小さい頃、多分テレビでやっていたのを見ててその怖さと魅力にとりつかれていた。
よく真似した。
両手を前に突き出してぴょんぴょん飛ぶのも真似したし、
キョンシーの頭にはると動きを封じれる御札もいざという時に書けるように練習してた。
息を止めている間はキョンシーに見つからないので息を長く止める練習もしていた。
キョンシーにはいろんな種類がいて図鑑も持ってたように思う。
全身が衣をまぶされてて熱した油の中に放り込まれる「天ぷら男」が一番怖かった。
そのキョンシー。
意外にもたくさんコミカルなところがあった。
そのへんは全然記憶と違う。
怖いだけのイメージだった。笑いどころなんてさっぱり記憶から抹消されていた。
挿入されてる歌の感じは懐かしい。
小さい頃にこの歌を聴いたわけではないと思うが、アレンジが似ているということだろう。
キョンシーは生の餅米が嫌いとか、新たな知識を得た。
あの、陰陽師的な呪術の作法とかにグッと来てたんだろうな、子供の頃は。
陰陽師ブームの前にはキョンシー(霊幻道士)ブームがちゃんとあったわけだ。
作法ってやっぱり真似てみたいほどかっこいいもんなんだよな。

竹中直人監督作品「無能の人」
ずっと見たかったやつ。ずっといつ行っても借りられてた。人気作なんかな。
風吹ジュンがよかった。
少し棒読みっぽいセリフまわしとか、無表情っぽいとことか。
どことなく周防監督の初期作品に感じが似ていた。「シコふんじゃった。」あたりの。

篠田正浩監督作品「写楽」
この監督は人が落ちていくときの妖しい輝きみたいなものが好きなんだと思う。
世間の底の方で生きてる人の輝きとか。
好きな監督。
泥臭くもかっちょいい映画。
絶頂で終わらず、落ちたとこまで撮りきるのが見ていて苦しいがでも妖しくほの光る蝋燭見てるみたいでぞくぞくする。

石井裕也監督作品「ハラがコレなんで」
おもしろいんだけど。
この監督好きなんだけど。
でもだんだんおもしろくなくなってきてないか?
「川の底からこんにちは」と「君と歩こう」あたりがおもしろかった。
あとは、うーん、おもしろいんだけど狙いすぎ?
あれは粋じゃなくてやっぱりおせっかいでないか?

アキ・カウリスマキ監督作品「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」
おもしろい。
とてもおもしろい。
文句なし。
だからなにも言うまい。

鈴木清順監督作品「陽炎座」
とてもおもしろい。
はっとなるようなシーンがたくさん出てくる。
最後の舞台が崩れるところはそのまま世界が崩れたんだと思った。
当たり前だが大楠道代がよかった。

蜷川実花監督作品「ヘルタースケルター」
カレー食べてるとこみたいなシーンがもっとあればもっとおもしろかっただろう。
セリフまわしがすごい説明的で勿体つけてて嫌な感じだった。
現代の日本で、女子高生のカリスマで、みたいな設定がまず失敗だと思った。
だってそれって全然カッコいいイメージないもん。
出てくる衣装やメイク、装飾はさすがと思ったけど、
それと比べると裸体が貧弱に見えた。
セックスシーンが全然キレイじゃなくて、
どうせゴテゴテに飾るんならそこもキレイに見せたほうがいいのに。
得意なとこと不得意なとこと、むらっ気がありすぎたと思う。

チョ・ポムジン監督作品「アーチ&シパック 世界ウンコ大戦争」
謳い文句が「史上最もがんばる方向を間違えた映画」。
すごいおもしろかった。
エンターテイメントと毒気が盛り盛り。
私は「死にたくない」と言って死んでいくヒーローを初めて見たぞ。

ガブリエレ・サルヴァトレス監督作品「ニルヴァーナ」
欧米から見たサイバー東洋の世界なんだと思う。
涅槃や解脱がゲームや近未来と融合して不思議な世界観。
私は誰?本当に存在するのか?
という西洋で生まれた哲学的問いが、東洋の神秘に答えを見出そうとするのは
おもしろいと思った。
いや、そういう話の映画ではないんだけど、
きっと根本には西洋から見て東洋の神秘の恩恵を受けたい、みたいなのがあると思うんだよね。
まだ東洋が神秘だったころ、と言ってもいいかもしれないけど。
結局、未来にも東洋にも答えとかないし、ってこの映画のすぐ後くらいからみんな思い始めたんじゃないかな。
映画はすごくおもしろかった。
もういない他人の記憶をこめかみに埋め込んでその恋人と会話するとことかすごくおもしろかった。
しかも、もう絶滅したというコヨーテの話するんだよ。
あ、そうか、あの映画は「いない人の話」だったのか。
もういない人、最初からいない人、それでも「いた人たち」の話。

酒見賢一「後宮小説」
「雲のように風のように」というアニメ映画の原作。
と知らずに買った。
読んで気づいて驚いた。
あのアニメ、なんか好きなのだ。
中国っぽいが、架空の国の後宮の話。
話は映画を見ているので知っているが、
読み進めていくとだいぶニュアンスが違う。
ニュアンスは違うが、やはりあのアニメっぽい。
よく細々をきれいに省いてそれでもなお原作の持ち味をちゃんと残しつつアニメ化したなと思う。
おもしろい。
諸処に工夫が見られる小説。
考えると重々しい物語なのだが、
あのアニメのイメージも手伝って、
夏の強い熱風が去ったあとみたいに何故か晴れやかになる。

安東みきえ「頭のうちどころが悪かった熊の話」
擬人化された動物たちの短編集。
かわいいのだがシニカル。
ファンタジーなのだが現実的。
中学生、高校生の時なら好きだったはず。
今はより現実のところに身を置いているので
こういう世界が遠くに感じる。

大岡昇平「野火」
どっしょっぱなからきりきりまで追い詰められた人間が出てくる。
最初から追い詰められているのにますます追い詰められる。
目の前に「死」がぶらぶらしている状態がずっと続く。
むしろまだ死んでない、という驚きが出てくるほどずっと。
状況が変わると「死」も形を変える。しかし、離れることは決してない。
そのレパートリーの豊富さにびっくりする。
「死」はひとつなんだけど、
「死に方」はひとつじゃない、というのが。

B・W・オールディス「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」
キース・フルトン監督作品「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」
小説読んで感じた言いようのない虚脱感や喪失感を
そっくりそのまま映画を見たあとにも感じて、
それはやはりあの双子を失ってしまったことへの喪失感だと思う。
どうしようもなく双子を好きになってしまう作品だ。
なのにたとえどこの誰でもあの双子を救えなかっただろう、という絶望が作品を貫いている。
とてつもない孤独と共存の話。
双子が善と悪に役割を二分されていない故の救いようのなさ。
これはすごい。
衝撃をうける。がつんがつん。
小説読んで、映画読むのがいい流れだと思う。

「トロール・ハンター」
ドキュメンタリー風のエンターテイメント。
若干いいカットが多すぎるのがドキュメンタリー臭さを邪魔していますが、
基本的にはいいとことでいいものが映ってとても気分良く話が進みます。
細かな作り込みはすばらしい。
途中でカメラマンが変わって、かぜん映像の見栄えがよくなるのとか細かいけど上手だなあと思う。

倉橋由美子「パルタイ」
どうしても学生運動のことを想起してしまう短編集。
なんか不快。
なんでこんなに不快なのか考えたら、
私は学生、とか、寮、とか、組織、とか、決まり、革命、労働者、集会、などの言葉が不快なのだと気づいた。
そういう言葉を使ってつくられる世界が不快。
あえてそういう言葉を使って不快に作っているんだろうってわかるのもなんか嫌だ。
Aを否定するためにBを持ってくるんじゃなくて、
A’を見せてるみたいな露悪趣味を感じる。
気持ち悪いでしょー?気持ち悪いでしょー?とごり押ししてくるので
もっとほかのものを見たらいいのにと思ってしまう。
ほんとにそれしかなかったんかな、60年代って。

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