稽古続いている。
やはり、ダンス率高い役をふられた。
足腰にきている。
が、踊りは楽しい。
問題は演技だ。演技。
そもそもやっている芝居の種類が違うので、
お互い使っている言語が違うようなもので、
なかなか意思疎通が図れない。
むこうは「気持ち」のことを言っていて、
こっちは「技術」のことを言っていることが多い。
ここはこういう気持ちでやりましょう、と合意しあっても、
「こういう気持ち」の表わし方がぞれぞれ違うので、
結果ちぐはぐであったり、演出家の意図とは違うものになる。
ということは、要は「気持ち」の問題ではなくて
どう見せるか、どう見えたら正解なのかの「技術」の問題だと思うのだけど、
それが全然通じない。
「いまは笑いが明るすぎるから、少し出す音を低めにしてやってみませんか」と言っても、
「そんなにかっちり決めなくていいんじゃない」と言われる。
オリザの理屈も多勢に無勢では無力であると知る。
それか私の伝え方がいまいちなんだろう。
本当にその場をどんな人間が占めているかで雰囲気とか決定は大きく左右される。
集団心理は要注意。
気持ちをしっかり作れば、演技もしっかり見えるという理屈。
私も前はそう思ってたけど、今は違うと思っている。
イメージの共有がしづらい、気持ちや感情をかちっと合わせるよりも、
音の高低や強弱や、細かな動作を決めたほうがスムーズなように思う。
が、これもやっぱり個人差とか、いままでの芝居の種類で感じ方は大きく変わる。
みゆみゆにこれを言っても、ちんぷんかんぷんだったように。
今回は客演の立場なので、気持ちを作ってるっぽくやっている。
飲み込みづれえなあと思う要求には、なんとか別に楽しみを見つけつつやっている。
そしてなんとか孤立しないように頑張っている。
やはり、ダンス率高い役をふられた。
足腰にきている。
が、踊りは楽しい。
問題は演技だ。演技。
そもそもやっている芝居の種類が違うので、
お互い使っている言語が違うようなもので、
なかなか意思疎通が図れない。
むこうは「気持ち」のことを言っていて、
こっちは「技術」のことを言っていることが多い。
ここはこういう気持ちでやりましょう、と合意しあっても、
「こういう気持ち」の表わし方がぞれぞれ違うので、
結果ちぐはぐであったり、演出家の意図とは違うものになる。
ということは、要は「気持ち」の問題ではなくて
どう見せるか、どう見えたら正解なのかの「技術」の問題だと思うのだけど、
それが全然通じない。
「いまは笑いが明るすぎるから、少し出す音を低めにしてやってみませんか」と言っても、
「そんなにかっちり決めなくていいんじゃない」と言われる。
オリザの理屈も多勢に無勢では無力であると知る。
それか私の伝え方がいまいちなんだろう。
本当にその場をどんな人間が占めているかで雰囲気とか決定は大きく左右される。
集団心理は要注意。
気持ちをしっかり作れば、演技もしっかり見えるという理屈。
私も前はそう思ってたけど、今は違うと思っている。
イメージの共有がしづらい、気持ちや感情をかちっと合わせるよりも、
音の高低や強弱や、細かな動作を決めたほうがスムーズなように思う。
が、これもやっぱり個人差とか、いままでの芝居の種類で感じ方は大きく変わる。
みゆみゆにこれを言っても、ちんぷんかんぷんだったように。
今回は客演の立場なので、気持ちを作ってるっぽくやっている。
飲み込みづれえなあと思う要求には、なんとか別に楽しみを見つけつつやっている。
そしてなんとか孤立しないように頑張っている。