世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

バイトの面接

2006年03月30日 13時51分05秒 | Weblog
に行く。
私の魂胆は、昼間簡単な事務作業をして夜には演劇の稽古ができる環境が理想だった。
つまり、頭も体もあまり疲労せず、
ある程度の早い時間に就業できて、
その余力で演劇活動ができれば最高だな、と。
だって最初だもの。それくらいの理想持ったっていいじゃない、と。
思っていたわけです。
んで、まだまだ所属劇団も出演公演も決まっていないのではありますが、
それよりも先にやっぱり食いぶちの確保が先決であると思い、
上記の条件になるべく見合ったバイトをバイト情報誌で探す。
すると、
あった。
やっぱり人の数が違うとバイトの種類も豊富です。
キーボードでひたすら打ち込む事務をするバイトがあった。
しかも、神経を使いそうな電話応対もしなくていい。
住んでるとこからも近いし、誰とも喋ることなく、ストレスもたまらず、しかもノルマ制じゃない。
しかも私、知ってる人には信じてもらえないでしょうが、実はこういう単純作業、あってると自分で思ってるんですよ。
ああ、これ!これ!と即電話をかけて、面接の日を教えてもらう。

んで、今日がその面接の日です。
バイトの面接なんだから、スーツなんて着ませんが、あんまりラフじゃない格好は選びました(古着屋で売ってる柄シャツはやめたという意味)。
そして、そういばバイトの採用面接なんて、初めてだわ、なんて思いながらうきうきして会場へ。
そこにはバッチリスーツを着込んだ男女が10人ほど待っていました。
こえぇ。
え、これただのバイト選考会でしょ?とひるみましたが、
面接官の女の人が人当たりがよさそうだったので、
ああ、これでいいんだとなんとなく思って面接の順番を待つことに。

何を聞かれたっけなぁ。
まあ、このバイトになんでつきたいかとか、
私がなんで高知から東京に来たかとかだったような気がします。
ほとんどありもしないことをでっち上げたような気がします。
「昔から人から几帳面な性格と言われていたので」とか
「彼が東京にいて、それで今度結婚を考えてまして」とか。
ああ、そんな感じで答えました。ホントです。
それでも、うん、私は雇ってもらいたかったわけです。
バイトの能力に関してははっきりと「ブラインドタッチはできません」と言いましたし、
「おっちょこちょいなとことがあるので凡ミスをするかもしれません」と言って笑いもとりました。
理由とか家庭環境とかよりも、「こいつは果たして私の質問を的確に受け取って的確な答えを返せるのか」ということを面接官は一番見ると思うのです。
だって、コミュニケーション取れないヤツとは誰だって仕事したくないもん。
面接は緊張はするけど、でも、多分見られるのはそれだけのことなのだと思うのです。
んで、帰りにサミット(スーパー)によって晩御飯を買いました。

めかぶが!

2006年03月28日 13時22分10秒 | Weblog
めかぶが!
その姿をありのままにさらして売られていた。
すばらしい。
大都会東京砂漠でスパイラルめかぶ本来の姿にお目にかかれるとは思ってもいなかった。
感激した。
思わず4つで200円強のそれをカゴの中におさめてしまっていた。
家に帰って早速茹でる。
そしてひとつはみじん切りにしてごはんへ。ひとつはぶつ切りでしょうが醤油で。あとは明日への保存に。
すばらしい出会いのあった日だった。
ごめんなさい、こんなことが「今日一番の出来事」だったんです。

ヴィレッジヴァンガード考

2006年03月25日 13時19分54秒 | Weblog
私のこのサブカル好きは中学のときから通っていたヴィレヴァンのせいだと思う。
名古屋発祥のこの通称「遊べる本屋」はそういう意味で罪深い。
私が中学生だった頃にしてみればこの店は、
「顔面ピアスの編み上げた頭を持ったおにいちゃんや、
今でいうまちゃまちゃみたいな頭のおねえちゃんがレジを打っている本屋」だったわけで、
すっげい個性的だと感じたわけだ。
しかもあきらかに普通の本屋にはない本(言ってしまえばエログロナンセンスとか、ジャンプじゃない漫画とか、なんで澁澤龍彦コーナーできてんの?とか)が売られているにもかかわらず、
イオンの中にあったりしたもんだから余計にわけがわからない。
そういうヴィレヴァンですが、今では全国に店舗を増やしており、
高知も東京にもその「堅物じゃない本屋あと変な雑貨屋」としての地位を勝ち得ているわけで、
それはそれでファンとしてはうれしい。
店員さんも普通なカッコが多くなったし。
あのパンチの効いた商品解説も怖いくらい全国共通である意味ホッとする。
もう、私にとってヴィレヴァンは「
地方から都会に出てきた子がお昼になに食べようかと散々迷った挙げ句、結局入ってしまうマクドナルド」みたいな落ち着きがある。
マクドナルドはどこへいっても変わらない。
それが、住み慣れた街とは環境が変わるだろうと予想してくる者たちにとっては、
すごくありがたいことだったりするのと一緒だ。
愛知のヴィレヴァンも、高知のヴィレヴァンも、東京のヴィレヴァンも変わらない。
そういう変わらなさに、「意図された統制感のある個性」みたいなのが見え隠れして、すこし生ぬるい気分にはあるのだが、
それはそれでOKとしてしまえるほど、私はこの本屋チェーンが好きである。
いいじゃないかそれでもさ、と言って足しげくこの店に通うことになるのは目に見えている。
そして、今日は下北のヴィレヴァン、明日は吉祥寺のヴィレヴァンと内容は変わらないのに店を変えたりするのだ。
いいじゃないか、それでもさ。

一日の過ごし方

2006年03月24日 13時17分00秒 | Weblog
昨日買った家具のほとんどが今日届き、
しかもそれがほぼ全て組み立て式のものだったので、
一日家具の組み立てをこなす。
当然母はもう帰っており、
説明書に「二人で組み立ててください」と書かれている作業を一人でこなすしかなく、
悪戦苦闘の昼間であった。

しかし、やっと自転車という足を確保し、近くのスーパーにスイスイ行けるようになったので、これで私の生活水準が少し向上したことはうれしい限りだ。

家具のパッケージ、というかダンボールがうず高く台所を占拠する羽目になった。
次の古紙の回収日は来週の水曜。
引っ越してポッカリ空いた心の隙間をダンボールが埋めることになったわけだ。
それはそれでかさばって苦しい。

今日は

2006年03月22日 13時11分14秒 | Weblog
人間移動日。
荷物が午後3時に着く予定なので、それより早く東京の新居にたどり着いていないといけない。
逆算して、朝7時に高知を出る。
電車の中で爆睡。
さよならの涙とか、そういうの一切なかった。それが自身でも望ましかった。

約9時間後、部屋に着いて人心地ついていたらもう日が西に傾き始める。
電灯がないことに気付く。
何は無くても夜が来て真っ暗な部屋の中にいるほど惨めなものは無い、と思い慌てて周囲を捜索、
結構歩いた先にドンキホーテを見つける。
初めて入った。
疲れや電球!という貧窮した状態も手伝って、その店のごちゃまぜ感に軽く酔う。
ぜーぜーいって、家に再到着。
後にすぐ近くに電気屋とスーパーが存在したことを知り、
一人口惜しがることになるのだが、このときはそんなこと、知るはずも無く、
薄暗くなりかかった部屋に灯りをともすことができた喜びに打ちひしがれていた。
この日の「引越しソバ」はコンビニの冷やし中華(ゴマだれ)。うまし。
何も無い部屋に布団だけひいていそいそと就寝。
ぐっすり眠れる。
つつがなくつつましく何もなく感動もなく、私の引越しがすんだ。

パシャパシャ

2006年03月21日 13時08分23秒 | Weblog
シアホリの影の貢献者、
スペシャルサンクスしまくり、
助けてもらいまくりのメンバー以外の人物の何人かの中に、
彼を忘れるわけにはいかない。

彼にはこれまで何回かシアホリの劇団写真を撮ってもらったことがあるのだ。
その写真はフライヤーになり、
劇団発行の情報紙をかざり、
シアホリの劇団としてのスキルを挙げてくれた人物である。
実年齢をはるかにしのぐその紳士ブリと安飲み屋の客っぽい愛嬌、
そしてたまに見せる今年高校卒業のあどけない横顔。
女の子大好き!という限りないリビドーを惜しみなく周辺にまとわせてシャッターを押す男。
伊東君である。
彼はすごい。
何がすごいって、彼のキャラクターを漫画とか映画とか小説とかにしたら、絶対「リアリティに欠ける」と糾弾されると予想できるくらい非現実的な存在だからすごい。
しかも、決して話の通じなさそうな非現実さじゃない。
むしろ、すごく話が通しやすい。だから余計にすごい。
バリバリの土佐弁で喋る彼は、土佐の男に似合わず低姿勢である。
なのにもかかわらず、自分の欲求にすごく正直で積極性がある。
めちゃくちゃ褒めまくっているが、それは彼に個人的に写真を撮ってもらったからにほかならない。

私の勝手なイメージの中に、役者には自己アピール用のかなり作りこんだスナップ写真が必要だということがインプットされており、
その写真をプロを目指す伊東君に撮ってもらえば、
私はプロが撮ったっぽいスナップ写真を手に入れることができ、
伊東君は伊東君で私を練習台にでもしてくれいって気持ちでお願いをしたのである。
んで、気持ちよく承諾をしてくれた後の、今日の撮影である。
暇と言う牧場氏を足に使い(松島さんは仕事)、美術館の隣でパシャパシャ撮影する。
約2時間の撮影の後、お二人の労をねぎらって寿司(回ります)を振舞う。
これでもろもろチャラにしてしまおうと考える私はせこいと思う。

引越しとまた飲み

2006年03月20日 13時04分22秒 | Weblog
引越しの当日である。
しかし、前日(てか今日だけど)まで飲み明かしてあまり寝ていない体に鞭打って、黙々とひとり準備を進める。
んで、業者に引き渡す、と。

意外にあっけなく、荷物は屈強な男たちによって運び出され、難なく私の引越しそのものは終わる。
片づけやら梱包やら、準備は大変だったけどね。

そのあと、筝曲部のミニ発表会と追コンにお呼ばれする。
もともと琴のことなんざ全く知らず、
たまたま仲良くなった子が琴経験者で、
その子に誘われて筝曲の体験コーナーに行ったのがそもそもの始まりだった。
当時は、今と全然様相が異なっており、
まあ、いろいろ闘争を繰り返して最終的に今の形におさまったわけだが、
それにしたって、私が特別関わったわけでもなく、
琴の練習よりは劇団の方(そのときシアホリはまだなかった)に力を注いでいたわけで、
筝曲部OGといっても全く琴が弾けない私でも温かく送り出してくれる後輩がいるのはありがたいことだ。
同期の筝曲部員は私をいれて4人だが、正式に卒業したのは私ともう1人で、
一番部に力を注いでいた子は学校自体に面白味を見出さなくなって退学し、
私を最初に筝曲へと導いた子は休学中で顔を出さない。
みんな、目的を見失っていると思う。
しかし、まあ、彼女たちと友達なのは変わりないのであって、
これからそんなに連絡もとらないのであろうが、
それでも一時期を一緒に乗り切った戦友のような存在ではあるのだ。実際戦ったし。
んで、私のお陰じゃ全然ないのだが、
無事に立派な後輩も育ったことを再確認して、
紅茶セットなんて女子大生らしいプレゼントを貰ったりなんかして、
みんなで楽しくお酒を飲んだのさ。

あわただしい

2006年03月19日 13時01分29秒 | Weblog
明日には引っ越し業者が来て、
ささっと荷物を「単身パック」のコンテナに収納して持って行く手はずになっている。
と、いうことは今日のうちに「ささっと」持っていけるように荷物をまとめておかなくてはいけない。
しかも、今まで4年、住んできた部屋もこれでバイバイというようにきれいに片づけなくてはならない。
私は、自分で言うのもなんだが、他に類を見ないほどの片づけベタである。
無論、部屋は汚い。掃除とかあまりしない。後片付けが好きじゃないし、そもそも部屋が汚くてもへっちゃらだ。
しかし、ここはそんな自我を通すところではない。
そんな自我には敷金が返ってこないとか、ゴミの処分費用を請求されたりとか、余計なお金問題が付きまとうだけだ。
そんなものはこの壮大な量のゴミとともに捨てよう。
そう私は決心して、小須田部長よろしく、「いる物」と「いらない物」、つまり、ダンボールに詰められて私とともに新生活をスタートする物と、ゴミとして置き去りにされ挙げ句の果てに処分される物とに我が家の物品を仕分けし始めた。
あれだ。
ほとんど、「いらない物」だ。
いらねぇ。
買ったにせよ、貰ったにせよ、どこかしらから出てきたブツのほとんどが私の用途にそぐわない物ばかりであった。
ここでふと、小学3年、4年の担任の言葉を思い出す。
「片づけ上手は捨て上手」。
先ほども言ったように稀に見る片づけベタの私はそれと同レベルの捨てベタでもあったわけで。
ああ、なるほどね。
いつか使うと思っていたかどうかすらもはや、記憶も曖昧な物たちが次々と掘りおこされてくるのだった。
その量は「いる物」のかさを軽く超した。
ゴミを出すにも一苦労である。
一部は業者に金を払って引き取ってもらわねばならない。
痛い。
痛いが、致し方なく、業者に金を握らせる。


ゼミの先生のうちへ松島さんとともにご飯とお酒をご馳走になりに行く。
松島さんの仕事の終わりが7時以降になるというので、そのくらいにお邪魔すればいいのかと思っていたら、
先生から「少し早く来れば、自宅にあるビデオなりDVDを見せてやる」というお達しが下る。
それは願ってもないことなので、「『八甲田山』が見たいです」と言うと、
「見終わるのに3時間かかる」と言われたので、
意に反して夕方の4時から「飲食代」としての焼酎とアテを持っていそいそとお宅へ上がりこむ。
奥さんと3人で「健さんの『チクショウ』がいい」とか言いながら、ちびちびやっていく。
いい具合にほろ酔って、お腹も空き、『八甲田山』の数奇な運命を目撃し終わったころに、疲れて半分死にかけた松島さんが到着。
聞けば、仕事が終わった後、シアホリの打ち合わせも済ましてきたらしい。
ここでようやく、役者がそろっての飲み会となる。
なにを話したかはあんまり記憶にないが、みな良く笑い、よく飲んでいたことは覚えている。
夜の3時くらいになってそろそろお開きに、ってことになったわけだから、相当なもんである。
しかし、ここでお暇しようとタクシーを呼ぼうとしたら、この時間ではムリと2社に断られる。
お客がいて、タクシーを利用したいと電話をかけたにもかかわらず、時間が遅いから、という理由で断られたわけだ。カメハメハ大王か!?
なぜこんな仕打ちに会わねばならぬのかわからないまま、じゃあってんで、そのまま先生の家に泊めていただくことに。
もう先生も松島さんもかなりぐでんぐでんになっていて、布団を敷こうにも起き上がりもしない。
こういうことに居合わせるのには慣れているのだろう、奥さんは自分の飲んでいたにもかかわらず、てきぱきと布団敷きやら洗い物やらをこなしていた。
倒れこむほどでもなかったので、私もシンクなどを拭いたりする。こうして倒れこんだ男二人を尻目に、「中華の蒸し器があるんですね」なんて話を奥さんとして和やかに過ごす。
そして、用意された布団に包まって4時間ほどの睡眠。
起きたら奥さんがもう台所に立っていてビックリした。あなた、いつ寝たんすか。
しかも、おにぎりと玉子焼きまで用意してくれている。あなた、どこまで完璧なんすか。
映画や本に出てくるようなできた女房を目の当たりに見た瞬間だった。ウチのばあちゃんみたいだった。
ウチのばあちゃんと言っても両方ではなく、かたっぽだけだ。
ウチの母は絶対にそんな女房的なことはしない。私も絶対しないと言い切れる。
ああ、そうか。
しっかりしてる人は若いときからしっかりしているんだ。
若いときからしっかりしている人が、おばあちゃんになってもしっかりしたおばあちゃんになるんだ。
まだまだお若い先生の奥さんを見て、朝7時、そんな感慨にふけったのだった。
そしてかなりやばいことになっている松島さんとともに、まだぐっすりお休み中の先生の分まで奥さんによくよくお礼を言ってタクシーに乗り込み、じゃ、と言ってウチの前で降りましたとさ。

ずいぶんな「最後の別れ」をしたもんだと松島さんはその罪の意識におののいておったそうですが、そういうのを気にしない私でよかったね。

晴れて

2006年03月17日 16時20分57秒 | Weblog
卒業の日を迎えました。
いやぁ、晴れてよかったなぁ。
今朝は6時半から美容室で着物の着付け、ヘアチェンジ、フルメイクアップと大忙しでした。
時期ですし、学校からも近いのでリザーブしてあったヘアサロンは超満員。
しかし、地元であった成人式のときの大混雑に比べればまだまだでしたので一安心。
鏡の前に座っていろいろプロの技を施される。
と、ここで気付いた。
愛知の女子卒業生に比べ、まわりの女の子達は皆、一様に控えめメイク、控えめヘア。
奴らはすごいですからね。
こないだ実家に帰ったときに電車で乗り合わせた4、5人のグループとか、他に手の施しようがないほど着飾っていたのを思い出しました。
色素が普通より2、3段薄まって人工着色された感じ。
あと、貴金属でメタリックな感じもプラス。また、みんなかわいいように見えますし。女の子というよりは化け物に近いです。
やはり、ああいう女の子にはなれないやと諦めて愛知を出た私ですから、こっちの女の子達にはほっとさせられます。

卒業生入場曲を弾いている箏曲部員をからかいに行って着席。
んで、式の内容はつつがなく省いて、会場を出てみると、在校生たちによって「なんとなく」通り道ができている。
意図して作られたものではなく、ただサークルやゼミの先輩に花束などを用意している後輩達が皆均等に先輩がいつ姿を見せるか、を判断できるように「なんとなく」左右に分かれて並んだだけである。
その間を歩いていく。
いろいろいただく。
大きな花束をいくつもいただく。クッキーをいただく。寄せ書きをいただく。懐中時計をいただく。酒をいただく。貸してた本が返ってくる。もう何が何だかわからない。
これまで大学で出会ってきた子と最後だ!とばかり一斉に出会った日だった。うれしい。
あ、シアホリの連中は私の卒業式なんてほったらかしでしたけどね。

プロの完璧な術で見事変身をとげ、ご自慢の振り袖も着れたし、小物にもこだわれたし、ああ、女でよかったとうきうきの今日の良き日でした。