嘘ではない。噂。うわさ、のベーコンです。
そりゃあもう、すごい噂ですよ。
あんなぶ厚さ見たことない、とか。
あの肉汁なら朝一でも飲み干せる、とか。
もう他のベーコンは食べられない、とか。
実は牛の肉なんじゃないか、とか。
うわさで持ちきりの。
あのベーコン。
なんてどこにも書いてないです。
猫田道子「うわさのベーコン」。
小説です(たぶん)。
おもしろいです(たぶん)。
変わってます(たぶん)。
この本に関して、何一つとして確信が持てません。
なので以下全て憶測、イメージ、それこそうわさ、としてお読みください。
まず、表紙の絵がすごくかわいい。
そしてそのくるんとひねられた腕や足が、かわいさと狂気を孕んだ内容ととてもよくあっている。
「連ドラ」というものを書くのが中学の時に私たちの間で流行ったことがあるが、
(簡単に説明すると「連結ドラえもん」略して「連ドラ」で、ドラとドラがほっぺのとこでくっついてどの目がどちらのドラのものかわからない、いわば細胞分裂途中のドラえもんのようなとても気味の悪いシロモノ)
あれに似た絵が、うわさのベーコンという短編の前に書いてある。
ので少し親近感。
が、その前にある著者近影の危うげさからくる不安はぬぐい去れない。
表紙をめくって、赤い紙をめくった直後にあらわれる著者近影はなかなかインパクトがある。
これは、coccoを最初に見たときのインパクトに似ている。
あ、目が。
と思う。
こちらを向いているのにこっちを見ていない目。
うすく開いた口。
この写真を一発目に持ってくる出版社は確信犯だな。
内容は、エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」から受けた印象と似ている。
そうなのだ、これはまともに文章教育を受けた人が書ける文章ではない。
絶対にまねしようと思ってもまねできない。
人がまねできないものを個性と言うのならこれも個性だろう。
アウトサイダーアートに近い。
アウトサイダー文学。
日本にもこういうのを出版してくれるとこがあるんだと思った。
書くのはだって、書いてる人は多分たくさんいるだろうけど、
それをこうやって本にしてくれるとこはなかなかないだろうから。
私はこの文章が村上春樹「1Q84」のふかえりが書いた文章のように思えて、
じゃあ、天吾がやったのは間違いだなと思った。
こういう文章を「わかりやすく読みやすくより深く」変えてはやはりいけない。
あれはやはり間違いから起こった物語なのだ。
間違ってもいいんだけどね。許されないことではある。
「うわさのベーコン」で書かれているのは、
音楽が好き、恋がしたい、身体はもろくて人生はすぐ終わる、
という少女漫画のようなことなのだが、
その当たり前さを当たり前のように読ませない魅力があり、
それはすごい魅力だ。
そしてつくづく表紙の絵と内容はピッタリだなあ。
こんなピッタリしたものを作ってもらえて猫田さんは周りの人に恵まれてよかったなあと思った。
そりゃあもう、すごい噂ですよ。
あんなぶ厚さ見たことない、とか。
あの肉汁なら朝一でも飲み干せる、とか。
もう他のベーコンは食べられない、とか。
実は牛の肉なんじゃないか、とか。
うわさで持ちきりの。
あのベーコン。
なんてどこにも書いてないです。
猫田道子「うわさのベーコン」。
小説です(たぶん)。
おもしろいです(たぶん)。
変わってます(たぶん)。
この本に関して、何一つとして確信が持てません。
なので以下全て憶測、イメージ、それこそうわさ、としてお読みください。
まず、表紙の絵がすごくかわいい。
そしてそのくるんとひねられた腕や足が、かわいさと狂気を孕んだ内容ととてもよくあっている。
「連ドラ」というものを書くのが中学の時に私たちの間で流行ったことがあるが、
(簡単に説明すると「連結ドラえもん」略して「連ドラ」で、ドラとドラがほっぺのとこでくっついてどの目がどちらのドラのものかわからない、いわば細胞分裂途中のドラえもんのようなとても気味の悪いシロモノ)
あれに似た絵が、うわさのベーコンという短編の前に書いてある。
ので少し親近感。
が、その前にある著者近影の危うげさからくる不安はぬぐい去れない。
表紙をめくって、赤い紙をめくった直後にあらわれる著者近影はなかなかインパクトがある。
これは、coccoを最初に見たときのインパクトに似ている。
あ、目が。
と思う。
こちらを向いているのにこっちを見ていない目。
うすく開いた口。
この写真を一発目に持ってくる出版社は確信犯だな。
内容は、エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」から受けた印象と似ている。
そうなのだ、これはまともに文章教育を受けた人が書ける文章ではない。
絶対にまねしようと思ってもまねできない。
人がまねできないものを個性と言うのならこれも個性だろう。
アウトサイダーアートに近い。
アウトサイダー文学。
日本にもこういうのを出版してくれるとこがあるんだと思った。
書くのはだって、書いてる人は多分たくさんいるだろうけど、
それをこうやって本にしてくれるとこはなかなかないだろうから。
私はこの文章が村上春樹「1Q84」のふかえりが書いた文章のように思えて、
じゃあ、天吾がやったのは間違いだなと思った。
こういう文章を「わかりやすく読みやすくより深く」変えてはやはりいけない。
あれはやはり間違いから起こった物語なのだ。
間違ってもいいんだけどね。許されないことではある。
「うわさのベーコン」で書かれているのは、
音楽が好き、恋がしたい、身体はもろくて人生はすぐ終わる、
という少女漫画のようなことなのだが、
その当たり前さを当たり前のように読ませない魅力があり、
それはすごい魅力だ。
そしてつくづく表紙の絵と内容はピッタリだなあ。
こんなピッタリしたものを作ってもらえて猫田さんは周りの人に恵まれてよかったなあと思った。