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羽生選手の憧れ・プルシェンコさんから、五輪シーズンに怪我で治療中の羽生選手への応援メッセージと映像動画

2017-11-18 | プロアスリート羽生結弦・羽生選手関連ニュース

 羽生選手の憧れでもあり、フィギュアスケートを続ける動機でもあり続けた、エフゲニー・プルシェンコさんが、来日していて、羽生選手にエールを送って下さいました!

初めて「絶対王者」などと呼ばれたのは、他ならぬプルシェンコさんです。それはもう、絶対と言っていいほど勝ち続けた「実績」が出来たからこそ、そう呼ばれるようになったわけですが。

羽生選手が、「人生で一番ときめいた体験」なるものを聞かれたときに、このプルシェンコさんと一緒に、試合の時の公式練習で一緒のリンクで滑ったこと、だと答えていました。

これはおそらく、ソチ五輪の公式練習の時、同じリンクで同時に滑った時のことだろうと思うのですが、その時の羽生選手の顔と言ったら、本当に「五輪の緊張感」なんかよりも、「憧れや夢が実現して嬉しくて仕方がない少年の顔そのもの」でしたし、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、本当に嬉しすぎて照れて困っているような顔でしたので、とても印象に残っています。(笑)

 さて、そんなプルシェンコさんの発言だけに、下手にどこかをカットされたりすると、ニュアンスが大きく変わってしまったりすると思うので、なかなか難しいのですが…。

映像も出ていますけど、全部の映像ではなくてやはりカットされている部分があるようなので、全てはわかりませんけれども、映像での通訳さんに出来るだけ忠実と思われた記事と、カットされている部分をも伝えてくれているものを選びました。

 まず、こちらのデイリー記事から、プルシェンコさんの発言だけを抜粋。

「私の経験ですけど15回手術を受けました。そのうち3回は背骨で、15回全てが大きな手術だった」

「自分の中にしっかりとした軸があれば必ず回復する。結弦君はしっかりした軸を持っているので、世界にオリンピックで滑りを見せてくれると信じています」
「来るオリンピックで(羽生選手は)勝つことができると思っていますし、私は勝つと思っています」

「五輪には正しいアプローチが必要です」

「4回転を無理する必要はないと思います。

結弦君は、彼が得意なことを全部やっていけばいいのではないかと思う。結弦君にはカリスマ性があり、芸術性が高いし、体もとてもしなやかです。

そして彼は唯一無二の存在なので、きちんとけがを治すこと、そして冷静な頭脳で、とても愛することをオリンピックの場でやれば 結果は決まると思います」

大技4回転ルッツについてやめた方がよいかと聞かれると、

「はい。言いました通り、結弦君がやるべきなのは、4歳から積み重ねてきた仕事をすべき。」「今回は必要とは思いません。他の選手がどうするか見る必要はありますが、3回4回転(ジャンプ)をすれば十分。(羽生の)滑りが違うからです」

「でも、4回転は彼はやってのけると思います。彼はそれができるし、チャレンジせずにはいられないでしょうから」

 残された期間で必要なこととして、

「しばらくの間、閉ざされた状態にする、友人、マスコミの皆さんから距離を置く」ことを勧めたそうで、「ピークで、最高潮の状態で(五輪を)迎えてほしい」、と。

 ここで「4回転は彼はやってのけると思います。」と言われた時の、4回転は、4回転ルッツのことを指していたのか、他の種類の4回転のことも含んだ言い方にしていたのかどうかが、ちょっと記事や映像の通訳さんの前後の言葉からも、判りませんでした。直前の「3回の4回転」は、サルコウとトウループを指していることが、他の時のインタビューからも解っていますけど。

プルシェンコさんは、羽生選手がどこをどう怪我しているのかなどを、ほぼ的確に見抜いていて、そのうえで発言して下さっていると、私は思います。

また、ご自身が「ジャンプで妥協しないこと」をずっと訴えてこられただけに、羽生選手の気持ちをとても考えたうえで、少しでも気持ちが楽になるように考えて発言して下さっているだろうと、私は思いました。

 

これらの発言が出た映像(の一部)が、こちらです。

 

上の記事とほぼ同じですけど、他の発言も確認できます。

このプルシェンコさんの後ろに映っている、メガネをかけている羽生選手が笑顔で青いレノアハピネスを持っている写真、なかなか良いですね!

プルシェンコさんは、羽生選手が五輪で勝つと思っていらっしゃる。

羽生選手には、とてもとても嬉しい言葉ですよね!

この中で、ニュース記事にもなっていなくて、思わず笑っちゃったのが、羽生選手がどうしたら2連覇できるのかを尋ねられた時、プルシェンコさんが自分のことを、

「3連覇はもちろんのこと、本当は 4連覇も出来たのかもしれないと思っています。」と答えたこと。

…でも、プルシェンコさんが4連覇したら、羽生選手は金メダリストになれていないですよね。(笑)

ソチ五輪の個人戦、直前の6分間練習で、手術後に入れていた、30年はもつと言われた、現代科学の結晶とも呼べるような高性能の「腰のボルト」が突然折れてしまって、プルシェンコさんは跳べなくなり、まさかの当日直前棄権となりました。 

ただ、あの「腰のボルトが折れた事件」は、プルシェンコさん自身が、ソチ五輪当時に語っていたように、神様が、プルシェンコさん本人に、「もう十分だ。」と語られた、そうですから(当時のプルシェンコさんのインタビューより)

他ならぬ神様が、そのことをお許しになったのです。

そしてそれを、プルシェンコさんはしっかりと受け入れ、受け止め、役割を引き受けた。

そこがプルシェンコさんの本当に凄いところであり、神様と特別な深い信頼関係にあったことの証明でもありましたので、むしろ私は、神様からそのような信頼を得ていたプルシェンコさんに、ものすごく感動しました。

 

そして、その結果、金メダリストになったのは、羽生選手でした。

羽生選手を、金メダリストにしたのは、他の誰でもない、この神様です。

人間の思惑じゃない。

プルシェンコさんに、「もう十分だ」、よくやった、と語られ、折れないと言われていた腰のボルトを当日の直前に折ることをお許しになり、棄権をさせた、その神様です。

全ての、あらゆることをご存じだった、神様です。

 

 その神様が、今回の羽生選手のケガをもお許しになったのなら、そこにはきちんと意味があると、私は思うのです。

これが今の羽生選手にとって、今は一番良いと、あるいは、全ての状況をご覧になった上で、これが一番良いのだと、神様がそう判断された結果として今があるなら、今、これ以上のベストはない。

羽生選手は、周囲がどう見ていようとも、きちんと「本当の神様」に守られていると私は思うし、羽生選手もそれをわかっていると思うから、大丈夫です。

 

ただ、プルシェンコさんも、この動画映像の13分40秒過ぎから次のように語られました。

「また、次のことも言いたいと思います。 もちろん、競技会というのはいろんな結果があり得るわけでありますけれども、そうなった場合でも、そこで決して人生終わりということは決してありません。人生は今後も続くのです。そして、人生、生きるということは素晴らしいことであるわけです。

そして五輪も、来年の五輪が最後ではないのです。そして、競技会も数多く沢山あります。ですから、今後も、『素晴らしい人生』ということを、みんなで考えたいと思います。ですから、みんな、おなか一杯に食べて、元気になりましょう!」

本当に、これは思いつめやすい日本人には、とても大事なことですね…♪(笑)

 

こちらはまた、少し違った内容が収められた映像動画です。

 

ちょっと驚いたのは、次の言葉ですね!

「(8歳の頃) 私を好きになってくれているということ、私を憧れと思ってくれているということ を、とても嬉しく思います。

今では私のほうから、結弦君に学ぶことが多くて、どうやれば自分の考えをお客様に伝えるのかという、結弦君の伝え方に、私は実際に学んでいるのです。」

 

…羽生選手の「自分の考えをお客様に伝える方法」について、プルシェンコさんは興味深く見てくれているということでしょうか。 

… うーん、とりあえず、これは良かったね、羽生選手!(笑)

やはり伝わる人には伝わっている、ということですね。

プルシェンコさんの伝え方も、私にはとても分かりやすいですし、だからこそのあれだけの絶対王者だったといえますが。

 

羽生選手の、ロステレコム杯での白鳥は、素晴らしかったですしね…!

また、ケガからの回復については、15回もの大きな手術から復活してきたプルシェンコさんいわく、

自分の中に、しっかりとした軸があれば、必ず回復するということです。

そして結弦君、このしっかりとした軸を持っているので、必ず回復して、みんなに、全世界に自分の滑りを、オリンピックで見せてくれると私は信じています。」

 

この「軸」が何を意味するのか、羽生選手はしっかりとわかっていると思うので、私も大丈夫と思っています。 

 

こちらの動画では、プルシェンコさんが自分の生い立ちについて少しだけ語っています。

そして、

「焦ってはいけない。(他のアスリートと)闘ってもいけない、ということです。」

・・・ですよね。(笑)

もちろん、羽生選手は、とてもよくわかっていると思いますが。

 

…なんか皆さん、4回転ルッツを羽生選手が入れていたことが、まるで今回の怪我の諸悪の根源かのような議論になってしまっていますけど、

今怪我したからこそなおさら、前回までに「4回転ルッツを試合で成功させておいたこと」は、羽生選手にとっては「やっておいて良かった」と思っているだろうし、とても嬉しいことだったんじゃないかと、私には思えますね。

「4回転ルッツをやめることはいつでもできる」って言っていたのだから、リスクは当然承知の上で挑んでいるわけですし。

ある日もし、致命的な怪我を負って、滑れなくなったとしたら、その時までに「やりたいことをやれていた」「成功させたい技を成功出来ていた」のであれば、後悔せずに済みます。

人は、死を目前にした時に、一体何を後悔するのかというと、「やりたいと思っていたのに、やらなかったこと」「やるべきだったのに、やらなかったこと」を一番後悔するのだそうで、「やったけど、大失敗してしまったこと」を後悔するわけではないと、よく言われます。

羽生選手は、そのくらいのことは解ったうえで、きちんと考えたうえで、色々決断しているだろうと私には思えます。

 

羽生選手の性格を考えたら、そもそも、他の選手たちが何人も既に跳んできているジャンプを、やれば跳べる可能性が高いのに、そもそも練習さえしない、なんていう選択肢があったはずもなかったように私には思えますし、

練習して跳べてしまうのであれば、しかも(オーサーコーチ曰く)「跳べるときは非常に美しく跳べる」とのことなのですから、頑張ってきたのも自然だし、当然です。

ルッツ以外のジャンプの練習だって、怪我が「起こり得る」のは、何のジャンプであっても、当たり前なのですから、今回は発熱後で体調が悪い中で無理に跳んだのが怪我につながったように見えましたけど、

五輪本番までに、誰がいつ、どこをどのように怪我してしまうかなんて、誰にも全くわからない。(これは今は元気な他の選手たちも同じです。) 

今回、ネイサン選手を始め、大勢の選手たちから、そして、既に引退された高橋大輔さんや、こうして一番の憧れだったプルシェンコさんからも、沢山の励ましや応援を羽生選手がもらっているのは、彼らもまた、ベストな演技をしようと努力している中で、それぞれパターンや程度は違っても、「怪我」という試練に、大事な試合の直前に何度もあい、苦しみつつも立ち上がり、痛みを知り、色々な思いに至った「今」があるからこそ、だろうと思うので…。

 

例えば、最初から4回転トウループしか跳べなかったら、昨シーズンみたいに、直前に「左足リスフラン関節靭帯損傷」が起きた時に4回転が一つも跳べなくなりますが、4回転ループを跳べたがゆえに、勝つことが出来た昨シーズンのように、万が一、どこをどう怪我しても、何かのジャンプは跳べるように、羽生選手はしておきたかったのではないかと私は思います。もちろん、怪我がないのがベストですけど。

今シーズンは、逆に右ひざを痛めて、4回転ループを跳ぶのが一番厳しそうでしたし、だからこそ、ループが跳べない分、羽生選手はより一層、4回転ルッツを跳びたかっただろうと思いますし、前回は実際に成功したのだから、そこは良かったと私は思います。

今回の怪我の影響で、今後どうするかはわかりませんけれども、

4回転ルッツを、

「跳べるし、跳んだ実績があるけど、今回はあえて跳ばない演技で、優勝」するのと、

「一度も試合で跳んだことがなくて、挑戦したこともなく、やはり跳ばないで優勝」するのとでは、

同じ金メダルを取った時に、どちらが理想かといったら、羽生選手なら、迷わず前者が理想だろうと私には思えます。

今回、ルッツの練習時に怪我をしたことにも意味があるだろうとは思いますし、憧れのプルシェンコさんに、ジャンプ以外の他の部分を高く評価してもらえたことは嬉しいだろうし、色々と気持ちも楽になったのではないかな、と…。

五輪で4回転ルッツを入れるかどうかは、五輪の高い緊張感を経験している羽生選手が、自分の理想であり、目指す演技を考えた時に、最後には自分で判断できるだろうし、それまでの怪我の治り方や、その時の羽生選手の精神状態や、怪我回復後の体調などで、決まっていくだろうと思いますし、

神様が、羽生選手のベストへと必ず導いて下さるだろうし、

絶対にそうなるようにと、お祈りしています…!

今は焦らず治療に専念し、今までは見えなかった別の景色や、小さな喜びが沢山発見できるような、幸せな毎日が送れますように…♪

 


異常になりすぎた羽生ファンのチケット事情と、真の神様が最も嫌悪する、尊きものを「強盗の巣」にすること

2017-11-18 | フィギュアスケート全般について

 羽生選手の幼少期からの憧れ、元祖・絶対王者と呼ばれたエフゲニー・プルシェンコさんが、今来日していて、色々羽生選手にエールを送って下さっているようです。

羽生選手は、色々わかっていると思うし、プルシェンコさんもそれをわかっています。

だから、私はそこはあまり心配していないです。

プルシェンコさんの言葉(エール)は、また後程とりあげたいと思いますが、先にこちらを。

 

羽生選手のNHK杯棄権により、グランプリ・ファイナル出場もなくなり、

そのグランプリ・ファイナルのチケットを持っていたと思われる羽生ファンによる、

公式チケットトレードに出たものだけでも、わずか4日で、1500枚を超えました。

 

かつて、高橋大輔さんが人気が全盛期だった時、アリーナ席の転売で10万円近くにまで引き上げる人たちがいて、良識ある、普通の高橋ファンの人たちが、「信じられない」「あり得ない」「もう見に行けない」と、驚いて嘆いて引いて行ったのを、私は覚えています。

一方で、そのような状況でも最前列を陣取っていると言っていたある高橋ファン(自称)の人たちは、「お金さえあれば、席なんて何とでもなる」と平然といい、

羽生ファンである私に、羽生選手の悪口を一方的に、これでもかと山のように聞かせ、それでいながら、こちらが聞いてもいない「大ちゃんの秘密」なるものまでもを勝手に私に教えてきて、私を驚かせました。

それが真実であろうとなかろうと、どう考えても、高橋さん本人が知ったら怒るか悲しむかという内容でしたので、なぜファンだと言いながらそんな「本人が嫌がりそうな噂」を羽生ファンの私に流しているのか、全く理解できず、非常に疑問に思いましたけど、「それが楽しい」ようでしたので、最後には、そんなことを「自称ファン」にやられて海外にまで追いかけまわされている高橋大輔さんに、深く深く同情する気持ちになりました。

(※ もちろん、全ての人がこうだなどとは言っていません。しかし、異常金額での転売が横行すればするほど、こういうモラルのない人が多くなってくるのは確かです。)

 

今回、羽生選手の出る予定だったNHK杯で(大阪会場)、

一番安い席でさえ、常識をはるかに超えた、定価の7倍だの20倍だのの値段で 他の羽生ファンに平気で売りつける人たちまでもが出てきて、また、そこに乗じてさらに釣り上げる人たちもいて、またさらに、グルになって買ったことを装い、ますます値段を釣り上げようとしている人たちまでいました。

 

聖書によれば、天地創造主であられ、全知全能の「本当の神様」は、もちろん、この世に存在する全ての人々の、過去から心の奥底から、陰でやっていることから、その全てをご存知ですし、人の生涯は全て、その細部に至るまで、しっかりと把握されて記録されていると告げています。 

 

歴史上の隠れた事実や、虐げられた弱者のこともすべてをご存知の神様は、

人間がいかに「誤魔化し」「隠そうとも」、真実を全て把握しておられるし、また、罪や不正を長きにわたって放置なさったりはなさいません。

まして、特別な才能を与えてある人たちを「利用した」、不正や悪ののさばりを、喜ぶはずもないのです。

 

「思い違いをしてはいけません。

神は、人から侮られる(あなどられる)ことはありません。

人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」 

(ガラテヤの信徒への手紙 5章7節 新約聖書 新共同訳より)

 

よく考えて頂きたいのは、日本には、東日本大震災を経験して、多くを失い、その後に生活が大変な状況になっている人が多数いることを知っていれば、

そしてそんな人たちのためにも羽生選手が一生懸命頑張ってきたということを知っていれば、

あんな異常価格で、同じ羽生ファンに売りつけるなどということは、およそ考えもつかないことで、良心が痛んで当然だろうと私は思っていましたけど、

一部の超・悪質な業者や闇の人々の存在を差し引いて考えてさえも、

そうはならなかったのが、今回のNHK杯のチケット事情でした。

 

(もちろん、きちんと公式チケットトレードを使ってこの問題への解決に少しでも協力しようとして頑張って下さった多数の皆様、関係者の方々も大勢いらっしゃるのであって、それは本当に感謝なことです。)

 

一部の人たちが勘違いしているのは、値段が上がれば、羽生選手の価値や評価が高まる、などと考えているらしいことです。

その金額が、全て羽生選手に還元されていくのなら、それはまだわかります。

しかし、チケット転売問題の闇というのは、肝心の「羽生選手」の懐には一円も入らない、彼が生み出したはずの価値であり、彼がもらうはずの金額の、その何倍もの金額を、全然関係ない、何もしていない人たちが、まさに「強盗」と呼んで良い形で奪っていき、ぼろ儲けをしていくことです。

 

 

聖書の中で、あるいは、キリスト教で最も有名な、

イエスが、『人となって』地上にこられた間に、驚くほど「激怒された」事件があります。

それは、次のようなものでした。

 

イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を追い出し始め、

両替人の台や 鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。

また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。

そして、人々に教えて言われた。

「こう書いてあるではないか。

『わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである。』

ところが、あなたたちはそれを 強盗の巣にしてしまった。」

祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。

群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。

(マルコによる福音書 11章15~17節  新約聖書 新共同訳より )

 

神の与えた尊きものを、悪に利用されたり、強盗の巣にされることを、神様は非常に嫌悪します。

「神の家」であるかのように装いながら、強盗の巣と呼べるほど金儲けに興じている場所や、本当の神様への思いから遠く離れた人々の態度もまた、神様は非常に悲しまれます。

 

 

同じ出来事を記した、マタイによる福音書21章12節以降では、

「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々を癒され(いやされ)た。

他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」(=注:神を賛美する言葉)というのを聞いて 腹を立て」 たということが記されています。

 

ここでイエスは、本当に困っている人々を見て、無償で人々を癒されたことが判ります。

 

 

 もう一つ、祈りについて重要な聖書の言葉があります。

イエス=キリストの言葉です。

 

「祈る時にも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。

偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。

はっきり言っておく。

彼らは既に報いを受けている。 

だから、あなたがたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父(=すべてを見ておられる天地創造主の神)に祈りなさい。

そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。」

(マタイによる福音書 6章5~6節  新約聖書 新共同訳より )

 

 

 なぜ、昨年のフリー「Hope&Legacy」の元となっていた、とても素晴らしい歌詞だった、長野パラリンピックの時のテーマ曲などは、ただの一度も報道さえしなかったのに、

そして、今シーズンの他選手の演目である「トゥーランドット」や「映画Mission」などは全く報道もしなければ触れもしないのに、

特定のものばかりが、異常なまでに売り込み宣伝されるのでしょうか。

彼らは、どこから、いったいいくらのお金をもらって、どのくらい儲けているのでしょうか。

 

世の中は、それらを見て、何も感じないような愚かな大人たちばかりではありません。

 

 

「誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。

その時、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれていくようになります。」

(テモテへの手紙第二 4章3,4節   新約聖書 新共同訳より )

 

 

「神は、定められた時にキリストを現わして下さいます。

神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることの出来ない方です。」

(テモテへの手紙 第一 6章15~16節   新約聖書 新共同訳より)

 

 

こちらは、指定暴力団「山口組」が、神戸で、毎年ハロウィーンにお菓子を配り、地元住民と子供たちへの「懐柔策」に使ってきたこと、それに乗っかる人が多いことで、警察や、地域からの暴力団追放運動に関わっている方々がとても困っていることが記事にされたものです。

こちらをどうぞ(神戸新聞)

暴力団が懐柔策のために行っているこのイベントで、お菓子を堂々と受け取っている30代の女性などは、暴力団のことを詳しく知らない世代で、暴力団について「怖い印象はない」などと話しているそうですが、(それはそうでしょう、それが目的ですから)

記事の最後に、

『 ただ、今回は子どもを巻き込んだイベントだけに、

県警幹部は「犯罪収益を原資とする暴力団から便宜を受けて本当にいいのかどうか。  大人たちは考えてほしい」と くぎを刺した。 』

と書かれています。

警察の幹部は、「犯罪収益を原資としている」暴力団の実態をよく知っているのですから、「そのくらいいいよ」「別に問題ないよ」などと、

間違っても決して言わないのは、当然のことです。

 

それに引き換え、「よく知らないから」「お菓子をもらえたらそのほうが得だから」という理由で、実は暴力団だとわかってはいても、

子供を連れて、暴力団から便宜を受けていく大人たち。

 

これは、本当に「知らない」といえるのでしょうか。

「知ろうとしていない」「ただ、もらえば自分が得だから」平気でもらう、というのであれば、それは「本当に知らない」こととは全然違います。

聖書によれば、神様は、こういった人間の本当の心の奥底、本当の動機までもを、良く知り尽くしておられ、そのうえで判断されるお方なのです。

 

上の記事で、子供を連れて暴力団からお菓子をもらう大人は、本当に子供のためを思っているでしょうか。

自分が、暴力団からお菓子をもらう姿を、自分の子供に記憶させているわけです。

一時的に「安いお菓子」はただで手に入ってラッキーに思うかもしれなくても、それを大勢の人が許容すれば、地域の暴力団はそこに留まります。

あるいは、その「お菓子を配る」行為の裏には、明らかに別の意図があるのだと、子供が認識できなくなっていく可能性のほうが、はるかに高いのです。

 

もし、暴力団の人たちをも、人として尊重して彼らをも救いたいと思うのなら、「暴力団としてやっていけなくなる」こと、「暴力団から抜け出したくなること」こそが、一番、彼らの本当の救いにつながっていくはずです。

 

 

 

 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。

あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

イエス=キリストの言葉

(マタイによる福音書 6章24節 新約聖書 新共同訳より)

 

 

※ これは、お金を稼ぐな、という意味ではありませんが、その行動の目的の第一がどこにあるのか、その人たちの心の中で何が最重視され最優先されているのかというのは、神様が最も重視して見ている点です。この差はとても重要であり、結果にも大きな差をもたらします。

聖書は、人が「富に仕えている」と呼ばれる状態の時、たとえ本人がそのつもりはなくとも、気付かなくても、既に心は神から離れており、悪魔の支配下に治まっていくことを、強く警告しています。

ここでいう「富」は、「富」(お金・財産)を第一とするときに、その背後に働く「霊的な存在」を意味しており、これは聖書では、悪魔や悪霊たちと同じです。

 

(注:私は羽生選手のことを言っているのではありません。念のため。)

 

 イエスは言われた。

「 (略) しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父(=天地創造主の神)を礼拝する時が来る。今がその時である。

なぜなら、父(=天地創造主の神)はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。

女が言った。

「わたしは、キリストと呼ばれるメシア(救世主)が来られることは知っています。

その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせて下さいます。」

イエスは言われた。 「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

( ヨハネによる福音書 4章23~26節  新約聖書 新共同訳より )

 

 

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。

これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

あなたがたはこの世にならってはなりません。

むしろ、心を新たにして(神に)自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」

(ローマの信徒への手紙 12章 1,2節   新約聖書 新共同訳より )

 

 

 「この世で富んでいる人々に命じなさい。

高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

善を行い、善い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。

真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」

( テモテへの手紙 第一 6章17~19節  新約聖書 新共同訳より )

 

 

(イエスは)それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

自分の命を買い戻すのに、どんな対価を支払えようか。

神に背いたこの罪深い時代に、わたし(=イエス)とわたしの言葉を恥じる者は、人の子(=人となって来られた神の子、神でありながら人としてこの世に来られた救世主のこと)もまた、

父(=天地創造主の神)の 栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき、

その者を恥じる。」

( マルコによる福音書 8章34~38節  新約聖書 新共同訳より )

 

※ 最後の、「父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき」というのは、再びイエスがこの世に戻って来られる時のことであり、昨シーズンのSP「レッツゴー・クレイジー!」でラストで歌われていた、プリンスさんが待望していた内容です。