古希回顧
健康で 古稀を迎える 嬉しさを
我を支えし 方々に捧げん
12月2?日 孫から「誕生日おめでとう」の電話
そうだ今日は自分の誕生日だと気がつく。なんと満70歳である。
自分では、70歳とは思いたくないが、1940年生まれだから間違いなく70歳である。高齢者 老人と呼ばれる 年になってしまった。あぁ~深いため息
しかし、もうとっくに亡くなった友もいる。病気の友もいる。 特別養護老人にお世話になって居る友もいる。
今自分は健康で 古稀を迎えることは、感謝しなければならない。有難いことである。
写真は昨夜の卓球サークルの写真である。
今 自分は 卓球・歌声・英会話・パソコンサークルでお粗末ながら頑張っている。月 一度ゴルフに行く仲間もいる。
振り返ってみると、多くの方たちのお世話になってきたことを思い出す。
中学を出て直ぐに東京へ出てゆき 働きながら 夜学の道を選んだ。九段高校 4年、法政大学4年 都合8年間の夜学生である。
昼間働きながら夜 学ぶ これはきつかった。この間 多くの人に支えて貰った。
アルバイト先を紹介してくれ 東京へ出ることを勧めてくれたいとこの清さん
疲労で体調を崩した私を 自宅療養させてくれた 叔母のトヨさん
私の就職に尽力してくれた叔父の英一郎さん
アルバイト先の新井さんは 部屋のなかった私を自宅に置いてくれ朝ごはんまで用意してくれた。
又手島さんも、住むところがないとき、自分の寄宿していたおばさんの家に置いてくれた。
この方々には、本当にお世話になりました。今 自分があるのはこの方たちの間違いないお陰である。
今 私の心残りは、お世話になった方たちに、万分の一も 恩返しができていない ということである。
アルバイト先の寮で 一緒だった 鈴木さん 佐々木さん いろいろ有難うございました。今 どうしているでしょうか。
新井さんの娘さん茂子ちゃん 中学生の時、東映ニューフェースに合格し女優になりましたね。今どうしていますか。
未だ 小学生だった 実君どうしてますか。 気になります。
来年は 時間を作って この時代の軌跡を辿ってみたい。