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線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

塩尻市と糸魚川市

2013年10月16日 22時36分31秒 | 歴史
 知らなかった…。
 自分が勤務する塩尻市が、新潟県糸魚川市と姉妹都市であった!?

 8月に行われた日本民俗音楽学会の糸魚川大会の時にそんな話があった。


 基調講演のときに出てきた話題だ。フォッサマグナの西端であるということ、世界ジオパークに認定された糸魚川について語られたなかで、そんな話題が出てきたのであった。知らなかった…。

 塩尻とは日本海側から運ばれる塩と太平洋側からの塩とが合流するから…とか、塩の道を通ってやってくる塩売りの塩が売り切れるところだから…とか、諸説あるそうだ。

 そんな塩尻市と糸魚川市とは、どんなつながりがあるのかな?やはり越後の塩か?それともフォッサマグナ?糸魚川と静岡の大構造線とのつながりか?、塩尻といえば平出遺跡という縄文の遺跡があり、糸魚川にもヒスイ産出、長者ヶ原遺跡とのつながりか?…などと、いろいろ想像しつつ、ググってみた。


 そこで「塩尻市公式ホームページ」にあった、糸魚川市の紹介ページをコピペ。

  糸魚川市と塩尻市は、長い歴史的なつながりと、海と山の美しい大自然をゆかりとして、教育、文化、産業経済並びに観光等の交流により、相互の理解と親善を深め両市の発展を図るため、昭和59年8月25日、糸魚川市において姉妹都市提携の調印が行われました。
以降、産業交流をはじめスポーツ交流、文化交流、議会議員交流と様々な団体の交流が盛んに行われてきました。

 その後、糸魚川市、能生町及び青海町の1市2町が合併し、平成17年3月19日に新糸魚川市が誕生したことに伴い、平成17年7月29日に糸魚川市において、改めて姉妹都市提携及び災害時相互応援協定の調印が行われました。


 あれれ?案外あっさり!?長い歴史的なつながりと、海と山の美しい大自然をゆかりとしての一文に集約されているのかな?

大平街道

2013年08月08日 20時42分45秒 | 歴史
今日の飯田市出張が案外早く済んだので、帰りはかねてから気になっていた大平街道を通って、木曽へ抜けて松本へ帰ることにした。

大平街道は、中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ山間の街道。飯田と南木曽を往還する街道は、飯田峠、大平峠(木曽峠)の2つの峠を越える。かつて伊那と木曽を結ぶ道は、「木曽へ木曽へとつけ出す米は…」と歌われた「伊那節」で知られた権兵衛峠しかなかった。それが、飯田藩によって伊那谷と妻籠宿を結ぶ街道が開かれたのが江戸時代中期。これにより、伊那と木曽とを往還する街道として、賑わったという。山中には「大平宿」まで置かれ、交通の要所でもったのだそうだ。

それも、かつて伊那電鉄と呼ばれた飯田線の開通や国道建設によって、大平街道も衰退する。昭和45年には住民が集団移住したことにより、現在では宿場のままの風景を残すのみとなっている。

場所は、飯田市街地から砂払温泉の前を通り、名水猿庫の泉の脇を通り抜け、進んでいく。道は狭くなるものの、舗装はきちんとされている。

途中、旧道をはずれ舗装道路へ行く。するとなかなか珍しい道標があった。

「振袖道標」だそうだ。かつては別な場所だったそうだが、見やすい場所に移したという。振袖から出た指が、方向を示す味のある道標だ。

さて、どんどん進んでいくが道はどんどん淋しくなる。しかし、道すがら石仏が番号ごとに建てられていたり、沢や洞の名前を示す看板が、大変ていねいに設置されていた。

途中には水も湧いている。飲めるのかどうかは分からなかったが、さわってみるとかなり冷たい。


かなり進むと飯田峠のピークになる。

古びた「大平街道」という道標も目に入る。


まだまだ進むようだ。ようやく川沿いに「大平宿」の看板が見えた。

だんだん家屋が見えてくる。ようやく集落らしくなる。

目立つ道標の奥に、未舗装の道と宿場らしい雰囲気の家並みが見えてきた。思わず自動車を降り、歩いてみる。








何とも時代劇のセットのようだ。集団移住して約40年ほど。大平宿を残そうという動きもある中で、寂れた廃墟という雰囲気はない。宿泊体験等、受け付けてくれているようだ。

かつては学校もあったのだそうだ。その校舎の前に集団移住の記念碑が建てられている。

不便になったとはいえ、故郷を離れることを決めた住民の方の思いはどんなものだったのだろう。想像もつかない。便利な時代になって、呑気に自動車で来てみると、なつかしさを感じはさせるが、かつて住んでいた方のことは想像を絶する。学校が残されているのも、何だか生きている感じがする。

ちょっと付近を探検してみると、神社もあった。

おそらく鎮守の神様なのだろう。草深くてお参りは断念したが、大平宿を守っている神様なんだろう。

さて、もう少し進んでみる。おお?何という木だ!?

何とも絡む木だ。どうやらカツラの木のようだ。近くに行ってみると、根元に壊れてしまった小さな祠が見えた。また近くには「盆小屋」とかかれており、かつて昭和5年まで木地師の住居があったという説明があった。何とも、歴史を感じさせる。

さらに行くと、今度は大平峠だ。

「木曽峠」と書かれた看板もある。これで飯田市から木曽郡南木曽町になる。まさに木曽と伊那とを結ぶ道なのだ。途中、県民の森といったキャンプ場などもでき、その豊かな自然を味わえるようになっている。

やがてパッと視界の広がる場所になる。木曽谷の山々が目に入る。

ここが木曽見茶屋だ。

木造りの歴史を感じさせる建物だ。残念ながらお休みだったので、どんな感じかは分からなかったが、数多くの大平街道を往き来する方々の休みどころとして知られた場所なのだろう。

これできれいに植林された林の中の道を下ると国道256号線に合流し、清内路峠から下ってきた道といっしょになる。

今日ははじめて大平宿を中心とした街道をドライブしてみた。大平宿を残す動きがある中で、ていねいな看板が至るところにあって、昔ながらの地名が示されていた。なかなかできることではないだろう。この熱意には頭が下がる。また機会があったら、通ってみたい。

 

箒木(ははきぎ)

2013年06月24日 20時35分46秒 | 歴史
「帚木」は「ははきぎ」と読む。下伊那郡阿智村は園原伏屋にある。遠くから見れると、ほうきを立てたように見えるのだが、近寄ると見えなくなるという伝説の木。

『新古今和歌集』に選ばれた
園原や伏屋に生ふる帚木の ありとは見えて逢はぬ君かな

という坂上是則の歌で知られる。また『源氏物語』の中の「箒木」も有名。
ははき木の心を知らで園原の 道にあやなくまどひぬるかな
などの歌とともに知られる。

これは本物を見ておかねば!ということで、先日下伊那をふらついたときに、立ち寄ってみた。場所は、古代の道、東山道の神坂峠の麓、神坂神社のすぐ近くだ。


また、伝説として、園原の炭焼吉次の妻・客女姫が、母恋しさに西の空を眺めていると、母の手招く姿が見えた。そこで思わず「お母さま」と声をあげて近寄る。すると、木が風に揺れているのであった。それから「母木木」といわれるようになったというのだそうだ。

これだけ、古典文学知られた箒木は、何の木か?というとヒノキだそうだ。しかし、昭和33年9月の台風によって倒れてしまったのだそうだ。

画像はこれ!


何とも言えない感じ。古典文学によく知られた名木も、ちょっと淋しい感じ。しかし、逆に今の今までよく残っていてくれた…とも思う。しかし、こんな山中にあるヒノキが古代からよく知られていたとは感慨深いなとも思った。

八木沢天満宮

2013年06月16日 19時44分07秒 | 歴史
上田市塩田平は歴史の古い土地柄。「信州の鎌倉」と言われているように、中世からの史跡や社寺が多い。自宅の近所には八木沢天満宮という、当地域では学問の神様としてよく知られた神社がある。それほど大きい神社でもないが、八木沢地区の山手にひっそりとたたずんでいる。

近くにあると案外と行かないものだが、日曜の午後、散歩がてらに出かけてみた。


赤い鳥居が目立つ。しかし、その奥は木々に覆われ、パワースポット的雰囲気を醸し出している。

参道を上がると、すぐ左側にこんな表示があった。

「朝日将軍木曾義仲公の古碑」とあり、丸子の依田で挙兵した義仲公はこの地方を拠点としていたようで、義仲公関連の史跡も多い。かつては甲平という場所にあったものを、この場所に移したのだそうだ。


木曽義仲を中心に今井氏、樋口氏、手塚氏といった文字が見える。手塚氏といえば、近所の手塚に居を構えた、手塚太郎金刺光盛を思い出す。

さて、拝殿まで進む。

天満宮らしく、梅鉢紋が見える。古い石段を上って、参拝する。

脇にある社務所には、木版の手刷りの「天満宮」の御姿の御札が置かれていた。

もう、入学試験には関係ない(…と思う・笑)が、何となく頭がよくなりそうなので、大事にいただいてきた。

ところで、この天満宮拝殿の手前に、古い石灯籠がある。

ここに、よく見ると家紋らしきものが掘られている。

六角形が3つ連なっている。六角形というと亀甲紋、それが3つ連なっている。ググってみると「三つ盛亀甲」に似ている?それにしても、何とも、この紋だけが浮き出て見える。

近所にあって案外知らないことが多い。地域の歴史ももっと知りたい!

日本総鎮守・生島足島神社

2013年06月12日 21時34分49秒 | 歴史
 自宅の近所に、日本総鎮守とうたわれる生島足島神社がある。この頃帰省すると、日曜日の朝などに散歩がてらにお詣りに行く。

 生島とは生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」、足島とは生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」のことで、その2神が祀られている。


 何でも地理的に、日本の中央に位置するということで、まさに日本総鎮守らしい!本殿は、周囲が池に囲まれ、島のようになっている。



 朱塗りの立派な神橋が印象的。普段は通ることができないが、お祭りのときは、厳粛な雰囲気で通っていったのを見たことがある。


 そして、見たことはないが、本殿には床板がなく、土間の大地が御霊代であるという。


 摂社も数々あるが、特に下社=下宮は「諏方大明神」である。ちょうど、神橋を挟んで拝殿と相対している。


 境内にはケヤキの古木が多いが、中でも諏訪社の近くにある「夫婦ケヤキ」が印象的だ。


 ところで、こうした神社はパワースポット的な話が多い。この神社の東側の入り口の鳥居の延長線上には大鳥居があり、そのさらに延長線上には、信濃国分寺があるのだそうだ。また西側の鳥居の延長線上は、「泥宮」と呼ばれる古社があるという。このお宮は、やはり泥が御神体、つまり大地が御神体。そして生島足島神社は、かつてはこの位置にあったといわれている。
 そして、この東側の鳥居には、夏至の日の朝日がちょうど真ん中に上るという。、あた西側の鳥居は、当時の日に真ん中に日が沈むという。太陽信仰とでもいうのであろうか。何ともミステリアスな話だ。まだ夏至の日や冬至の日に神社へ行ったことはないので、いつか試してみたい。