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線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

亀之丞ゆかりの松源寺

2017年01月17日 22時15分10秒 | 歴史
 今日、せっかく下伊那まで足を伸ばしたので、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する井伊直親が幼少期を過ごした、高森町の臨済宗の古刹・松源寺に寄ってみた。幼名・亀之丞は、主人公の井伊家23代当主・直虎(直虎は22代当主直盛の一人娘)のいいなずけであった。

 亀之丞の父を討った今川義元は、亀之丞の首も差し出すよう命じたが、亀之丞は遠州井伊谷から南信州、松源寺まで逃げ、20歳まで過ごしたという。

 さて寺に着くと、大河ドラマで盛り上がっている風景が目に入る。


 平日にも関わらず、駐車場にはマイクロバスが停まっていた。ゆかりの地を訪ねる方々のツァーの団体さんがおられた。さすが、大河効果だ。

 さて、山門から入るために駐車場から正面に移動する。するとエドヒガンザクラの古木がいい感じに枝を広げている。


 またキレイなお顔の地蔵尊も静かに出迎えてくれる。


 絵になる風景だな!


 さて山門から中へ入る。


 静かな本堂。扉は閉められていたが、中から御住職と思しき方の説明されるお声が漏れ聞こえてくる。団体さんにお話をされているようだ。




 本堂を始めとして境内はキレイに整えられ、清々しい空間であった。鐘楼もあり、時を告げてくれる鐘の音が聞こえてきそうであった。


 ドラマはまだ始まったばかり。亀之丞が成人して再び、遠州へ戻るまでのお話の舞台に注目したい。

 

佐久市野沢の成田山

2017年01月09日 15時33分37秒 | 歴史
 昨日は佐久へ出かけた。当地域で二年詣で参拝者が多く訪れる、成田山薬師寺へお参りに行った。

 こちらは真言宗智山派の名刹で、古くから地域の人々の信仰を集めている。当寺には本山成田山から勧請された不動明王、大日如来や愛染明王、薬師如来などが安置されているという。
 立派な山門は、臼田にある龍岡城のものを移築したものだという。そのまま進むと、本堂等を通り過ぎ、正面に不動堂が迎えてくれる。

 山門前には、一躍有名になった「ぴんころ地蔵」が出迎えてくれる。

 何ともいい雰囲気を醸し出している。

 今日は、縁起物をいただこうと思い、福矢が目に入り、いただいてきた。


 今年もいい年でありたい。


 

旧中山道茂田井宿界隈

2017年01月08日 22時20分56秒 | 歴史
今日は佐久方面へ出かける。

途中、中山道を通ってみよう!と思い、北佐久郡立科町は芦田宿から旧道に入ってみた。印象的だったのは、芦田宿と望月宿の間にある間の宿・茂田井宿だ。今でも古い家並、土蔵や家々等が続く昔の面影が色濃く残る宿場だ。


個人的に好きな日本酒の2軒の蔵元がある。こちらは大澤酒造さんだ。


白壁の蔵々が並ぶ街道は趣きがあるね。


もう1軒の武重本家酒造。こちらの蔵元の前には、若山牧水の歌碑がある。


よき酒と ひとのいふなる 御園竹
 われもけふ飲みつ よしと思へり

しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の
 酒はしづかに 飲むべかりけり

ひとの世に たのしみ多し 然れども
 酒なしにして なにの楽しみ


 特に3首目がいいね(笑)

 今日はさっと通り過ぎただけであったが、またあらためて歩いてみたくなる街並みだ。

愛本橋

2016年11月21日 13時17分23秒 | 歴史
 富山県黒部市宇奈月町の愛本橋は、黒部川にかかる橋。かつては全長61.42m、幅3.62mという大きな橋で、両岸から刎(はね)橋というであったため、山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋、山梨県大月市の桂川に架かる猿橋とともに日本三奇橋の1つといわれていた。


 黒部川下流部を避けて敷かれた、北陸街道の上街道に架かる橋で、加賀藩五代藩主・前田綱紀が命じたという。現在の橋は、1969年(昭和44年)の豪雨で、以前の橋が流失したためにかけかえられたもので、12代目。元の位置から少し下流で、朱色に塗装されている。


 昔は木造で、現在は立派になったが、かつての写真を見ると岸には松の木もあり、風情があったようだ。



 愛本橋にはいろいろなお話が伝わっている。特に、大蛇に嫁いだお光のお話がよく知られている。
 橋のちかくの徳左衛門という茶屋に、親孝行のお光という娘がいたという。ある晩、戸をたたく者があるが、誰もいない。やがて三晩も続くと、お光の姿が見えなくなった。三年目の夜、そのお光が粽をもって帰ってきた。
 すると、妊婦となったお光は、出産をするので母親に「中を見てくれるな」と納屋に入った。しかし、母が約束を破って中をのぞいた。すると、大蛇体となった姿があった。お光は涙ながらに親子の縁を切り、別れを告げ、大蛇になって愛本橋の水の底へ消えていったという。

 そのお光にまつわる神社が、愛本姫社。

 解説板がこれ!御神体は、美しいお光にちなんで、花魁を描いた巻物であるそうだ。

 毎年6月21日には祭りが行われているとのことである。この日にはお光が持ち帰った粽にちなんで、地区の女性たちによって粽がつくられるのだそうだ。

 

旧国鉄越美南線・北濃駅

2016年10月04日 22時04分16秒 | 歴史
 岐阜にある長良川鉄道・北濃駅は郡上市白鳥町歩岐島にある。1934年(昭和9年)の開業で、もとは岐阜と福井を結ぶ「越美線」として建設されたが、結局開通せず、福井側の越美北線と岐阜側の越美南線とになってしまった。その越美南線の終着駅がこの北濃駅だ。

 白鳥おどりの帰りには、いつもこの付近を通っていたのだが、今回ふと立ち寄ってみた。かつては「ラーメン店」があったのだそうだが、現在は「花まんま」という食事処が営業されていた。

 現在は、美濃太田からの長良川鉄道の終着駅だが、越美線とは結ばれなかった越美南線は、この北濃駅で途切れている。しかし、かつては御母衣ダムや九頭竜ダムなどの建設資材の輸送のために活躍したのだそうだ。

 駅は素朴であり、何とも旅愁を感じさせる。

 しかし、地元郡上地域住民の足として、今でも現役だ。


 さて、この北濃駅には「機関車転車台」という施設が残されている。
 
 実は「旧国鉄越美南線北濃駅機関車転車台」として登録有形文化財なのだそうだ。

 その姿はこれ。

 これは、1960年代まで現役であった蒸気機関車のための施設で、転車台は明治35年(1902年)にアメリカン・ブリッジで製造されたもの。初めは岐阜駅に設置、越美南線が北濃駅まで開業した1934に移設されたという。直径15.4mの円形で、機関車の載った橋桁を手動で回転させる方式である。大井川鉄道にあるものに次ぐ古いもので、その評価も高いのだ。

 もう一つ、興味深いのが、この円形部分にたまっている水だ。

 実はただの水たまりではない。きれいな水が張っているのだ。このピット部分には湧水が注ぎ込み、さらに水路から農業用水として使われているのだそうである。
 名水、湧水の多い郡上地方らしく、山の清らかな水が、近代の鉄道文化遺産であるこの転車台に注ぎ込んでいる。何ともおもしろい場所だ。

 白鳥市街地を抜けて北上、この北濃駅あたりを過ぎると、徐々に山や谷も深くなり、やがては分水嶺であるひるがの高原へ向かう。しかし、何気ない場所にこうした近代遺産があるのは何とも興味深い。