馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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β《#^ひ^♯》でヒヒーン

地名夜話21.05.06

2021-05-06 22:02:37 | 歴史地理
地名ちょこっと紹介

【八街市】千葉県
やちまたし。
難読地名ですね。
関東以外の人間はまず読めない。
普通に読めば、「はちがい」「はちまち」でしょう!
八街市のホームページに詳しい由来が記載されてるので、そのまま貼り付けます

〓八街という名称は、明治新政府の政策により徳川幕府の放牧地であった小金・佐倉両牧の開墾に際し、開墾局が開墾に着手したおおよその順序によって命名された字名によるものです。
 これらの字名は、初富(鎌ヶ谷市)、二和・三咲(船橋市)、豊四季(柏市)、五香・六実(松戸市)、七栄(富里市)、八街、九美上(香取市旧:佐原市)、十倉(富里市)、十余一(白井市)、十余二(柏市)、十余三(成田市)で、明治5年11月2日にそれぞれの村が誕生しました。
この8番目に開墾された地が現在の八街市の始まりです。〓

要約すると、放牧地を開墾した時に8番目の町として、八街が誕生したというわけ。
入植の順番と縁起の良い文字を組合せて名付けられたそうな。

でもこれだけでは納得できない。
じやぁ、なんで「はちまち」じゃなくて「やちまた」と読むの?
「八」はやっつと読むからやちに変化するのは充分ありえる。
でも、まちがまたに変化するのは理解しがたいぞ!

で、古語辞典でちょこっと調べてみた。
すると、街は「ちまた(巷、衢)」のことではないか?という結論に達した。
「ちまた」は道の分かれる所、辻。
道(ち)股(また)の意味。
さらに転じて、道、街路、世間、この世、場所なども意味する、
と書いてある。
つまり、8番目の道股(街路)→八街と名付けられた、
と、ここまで考えてたら、
広辞苑の「やちまた(八衢)」の項の説明に「道が八つに分かれた所。また、道がいくつにも分かれた所。まよいやすいたとえ」と書いてある。

どうやら、この「八衢」→「八街」になったようです。
八衢の衢は、難字だから街にしたのかもね。

地図で確認すると、
千葉市の西北の「中野牧」から先に開墾され、
その後、千葉市の東の「佐倉牧」へと移っていったようです。

この中野牧から佐倉牧へ向かう接点付近に八街が位置する。
八街付近で道が分かれるというわけ。
これでようやく納得しました。

ちなみに隣の四街道市の由来は4つの街道が交わる所だから。
こちらの由来は簡単でわかりやすいですな。

八街市に八街神社がある。
当然ながら平安時代以来の、というような古い由緒ではない。
村ができた明治時代に氷川神社から御霊を勧請して建立されてそうです。
この八街神社、「ライダーズ神社」と呼ばれていてバイク乗り、ツーリングする人にとって大切な神社だとか?
いやぁ、これは知らなかった。
我が滋賀県では自転車での琵琶湖一周、略して「ビワイチ」で地域振興してます。
となると、千葉県を真似して
ビワイチ沿いに自転車神社を建立してもいいんじゃない?
名前はビワイチ神社、
いいですね。
全国からたくさんのチャリンコ達がやってきて、
神社にお賽銭をチャリン、チャリンと入れてくれれば、ウハウハ!
滋賀県儲かる。
て、
近江商人の考えることは金儲けしかないのかい?
お金だけに、おっかねぇなぁ…
と、言われそう。

お帰りは
ビワイチ神社の鳥居から琵琶湖の夕日を眺めて滋賀の歌を歌いましょう。
♪さらば、涙と言おう~

て、それ千葉県前知事の持ち歌やんか!

あ、わかっちまったかな?

では、さらばじゃ!

明後日に続くにゃん


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
かんぽの宿、我がひこにゃん市にあります。
今回、ついに車中泊対応になりました。
朝10時に宿に到着て翌日の10時にチェックアウト。
料金は2000円也。
風呂トイレ売店レストランなども宿泊と同じ扱いで利用できるそうです。
道の駅は無料だけど、お風呂には入れないし売店も制約ある。

安全かつ便利で感染対策されていてリーズナブルに利用できる点では、かんぽの宿いいんじゃないですか?

我が輩も将来、親の介護から解放されたら気ままに車で全国をまわりたい、と思ってる。
でも、親の介護が終わった頃には自分の身体がボロボロになって、どこにも行けない状態になってたりして…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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