2019年5月26日(日)
山陰街道歩きした。
園部駅から徒歩で役場に向かい、
小麦山に登った。
この後、少しだけ街道歩きしたが、
再び寄り道。
園部川の橋を2つ越えて、
黒田地区に移動。
黒田城、登山口に到着。
看板をなんとかしてね!
"黒田城は、天暦元年に森宗政によって築かれた。
近江佐々木氏の一族の森氏だと言われる。
東近江市の鯰江城主で、後に豊後佐伯城主毛利氏となる森氏と同族のようですが、ホントかな?
明智光秀が丹波侵攻すると、波多野氏などとともに反抗するが、攻められて落城した。
近江佐々木氏の一族の森氏だと言われる。
東近江市の鯰江城主で、後に豊後佐伯城主毛利氏となる森氏と同族のようですが、ホントかな?
明智光秀が丹波侵攻すると、波多野氏などとともに反抗するが、攻められて落城した。
川の手前に獣対策のロープが張られてる。
触ったら感電するかも?
でも、ここを越えないと橋の向こうの獣フェンスの扉に行けない。
"猛暑日だし今回はあきらめることにした。
冬なら直登りする場所を探すのだが…
引き返して帰ろうとしたら、おばあさんが近付いてきた。
どうやら入口の民家の人だ。
『城に登るんかね?』
「登りたいけど、感電死するのは嫌だからダメですわ」
『うんにゃー!これは壊れていて電気は通ってない。』
と言って、ロープを外してくれた。
獣というよりも人間の子供が川に落ちないためのロープなのかも?
『どちらから来なさったのかね?』
「滋賀県からです」
『あらまあ、遠い所からわざわざ。どうやって?』
「園部駅から歩いて来ました」
『うわぁ!そりゃ大変でしたね。』
「いやいや、歩くのが仕事なので、なんのこれしき」
というか、山陰街道を20キロ歩くと言ったら、腰抜かしそうなので言わなかった。
『 真っ直ぐ登って山頂に出たら左に
向かえば城跡があるよ。
気をつけてね』
ここまで言われたら今さら帰るわけにいかない。
おばあさんに背中を押されるように意を決して登ることにしました。
『杖持ってますか?』
「はい、大丈夫です」
持ってなかったら、貸してくれそうな勢いです。
おばあさんに感謝感謝、ですわ。
扉を開けて登りかけたら、
おばあさんが
『マムシに気をつけてや!』
げっ!
それ余計や!
ビビるわ…"
冬なら直登りする場所を探すのだが…
引き返して帰ろうとしたら、おばあさんが近付いてきた。
どうやら入口の民家の人だ。
『城に登るんかね?』
「登りたいけど、感電死するのは嫌だからダメですわ」
『うんにゃー!これは壊れていて電気は通ってない。』
と言って、ロープを外してくれた。
獣というよりも人間の子供が川に落ちないためのロープなのかも?
『どちらから来なさったのかね?』
「滋賀県からです」
『あらまあ、遠い所からわざわざ。どうやって?』
「園部駅から歩いて来ました」
『うわぁ!そりゃ大変でしたね。』
「いやいや、歩くのが仕事なので、なんのこれしき」
というか、山陰街道を20キロ歩くと言ったら、腰抜かしそうなので言わなかった。
『 真っ直ぐ登って山頂に出たら左に
向かえば城跡があるよ。
気をつけてね』
ここまで言われたら今さら帰るわけにいかない。
おばあさんに背中を押されるように意を決して登ることにしました。
『杖持ってますか?』
「はい、大丈夫です」
持ってなかったら、貸してくれそうな勢いです。
おばあさんに感謝感謝、ですわ。
扉を開けて登りかけたら、
おばあさんが
『マムシに気をつけてや!』
げっ!
それ余計や!
ビビるわ…"
登山道はイマイチわかりにくいが、道なりに登ったら、
おばあさんの言う通りに山頂の分岐に到着。
約10分でした。
右へ行くと南出郭。
まずは、左へ向かった。
しばらく、尾根道を行き、
『南郭』
虎口を入る
入口に帯郭のようなものがあり、
中央は盛り上がってる
↓
主郭を目指す
↓堀切、土橋。
右手は竪堀として落ちてる。
↓東斜面に畝状竪堀群がある。
もう少し下 まで降りると分かりやすいと思うが、危ないのでやめた。
尾根曲輪を進むと
主郭が見えてきた
左から回り込むように入る。
『主郭』
南郭より広い
中央に地蔵さんがいます。
北郭へ向かうと、
大堀切があります。↓
右側に、堀切へ降りる道があった↑
土橋になってる。↓
この向こうが
『北郭』↓
『北郭』
北側に段々曲輪がありそうだが、
無理せず、ここで引き返して
東郭へ向かいました
後編に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
チバラキ、
これは知らなかった。
今夜、わかった。
チバラキは、
地図の聖地だ!
日本の聖地だ!
佐原にまた行きたいな。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪