2021年2月21日
大和街道歩き。
新堂駅から約3キロ南の川東地区には、たくさんの館城の遺構があり、
土塁に囲まれた民家が散在する。
春日神社の駐車場に車を置き、見学した。
館城は、
現在も居住されてるので、民家の土塁の外側をチラッと見て歩いた。
いやぁ、これは国の景観地区として指定すべきじゃないの?
と思った。
↑図の大深氏館と田中氏館は逆かな?
と、管理してるオジさんがおっしゃってた。
この館城群を見て回るだけで1日潰れるかも?
でも、不審者と間違われそうなので、オススメはしません。
川東地区の城跡としては、
春日山城、壬生野城、丸山城がある。
【春日山城】
神社の背後の山頂。
社殿改築中のためこの横から登れない
なので、東側の裾野付近から適当に尾根伝いに登った。
しばらくすると、土橋が現れて、右側のみ大堀切。
いわゆる片側土橋。
土橋を渡ると帯郭→主郭に。
主郭の北側には藪になってるけど横堀がありました。
この堀底藪を端から端まで移動すると
先ほどの大堀切の手前に行きついた
もしかすると、大堀切に繋がってたかも?
南西側はちょこっと段郭群あり。
で、西側へ下山しました。
伊賀の特徴ともいうべき土塁囲みの曲輪ではなかった。
【壬生野城】
川東公園の裏側にある。
有名なので、詳細は省略。
綺麗に整備されていて、見学者もちらほらいました。
導入部の堀に枝草が積まれてる。
地元のオジさんが、土塁斜面を整備されてる。
「この高い土塁を見てもらうために刈ってる」とおっしゃった。
いやぁ、感謝感激。
丁寧にお礼を言いました。
↑主郭の畝土塁群は他では見られない貴重な遺構だから、誇ってください、
と、持ち上げておいた。
オジさんが言うには、
この城は本来、清水城、清水砦と呼ばれていて清水氏が築いたのです。
後に偉いさんが地名の壬生野城と名付けた。
と、教えてくれた。
伊賀甲賀の城跡は◯◯氏城という名称が多い。
この城も清水氏城と呼ぶべきなのでは?
さらに、オジさんが言うには昔、堀を整備したら、砲弾が出てきたそうです。
信長が伊賀を攻めた時にはまだ大砲は無かったはず。
だから、もっと後の時代に戦乱があったのかな?
という見解でした。
うーん…
【丸山城】
こちらは登る予定してなかったので何も事前の下調べ無し。
館城群を巡ってるうちに衝動的に登ることにした。
農作業されてる人に聞いてみると、昔は石垣もあったが、今はひどい竹藪になってる。
でも、せっかく来られたのだから、見てもいいよ。
と、おっしゃったので、
お言葉に甘えて入らせてもらった。
電気柵があるが、低くなった部分を跨ぐ。
祠を過ぎると、確かにひどい竹藪。
普通の人なら退散するはず。
我が輩は、土塁の上に登ったり曲輪の中を探索してみた。
怪我しそうな藪で厳しかった。
探索の結果、
ちょこっと概略図を書いてみた。
極めておおざっぱですが、
西側以外は土塁に囲まれてる。
祠から繋がる南側が虎口と思われる。
虎口から内部へ堀底のような窪んだ道が浅く残ってる。
土塁の外側を調べるべきだが、とても無理。
あきらめて退散しました。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
我が家の紅梅、
ほぼ満開となりました
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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