goo blog サービス終了のお知らせ 

馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

2020年回顧【岐阜県のお城】前編

2021-01-28 22:47:00 | 美濃国の史跡
2020年、城跡巡り。
県外では、岐阜県、京都府、愛知県の城跡をちょこっと訪れた

記録をちょこっと紹介します。

◆岐阜県
◯【美濃長山城】1月
岐阜市。
芥見、大洞という地区は関市に接する。
いとこ家族が住んでた場所で昔、車で来たことがある。
夜、道に迷って関市へ向かい大変な思いをした。
それはともかくとして、こんな所に城跡があったとは…
岐阜駅と関市を結ぶ路線バスを利用。

バス停からしばらく歩くと

芥見というスポーツ公園があり、公園の北側から登った。

ハイキングコースとして整備されてるが、険しい登山です。
山頂に小さな祠があり、そこが主郭。

堀切、帯郭がある。


横堀を歩いた。


◯【美濃関城】1月
長山城下山後、同じ路線バスで関市中心部へ。
安桜山(あさくらやま)公園として整備されていて、市民の憩いの場所になってる。
城跡目線で登ったのは我が輩だけ。

山の南側、本町でバスを降りて北側のトンネル手前から登った。

御嶽神社裏からハイキング道が整備されてる。

主郭に祠あり。


隣の郭と思われる尾根に展望台があり、眺望よし。

北側尾根の段郭群を確認。

主郭北側の竪堀はわかりづらいが、なんとか確認できた。



下山は関善光寺へ降りた。

久しぶりに戒壇巡りした。

入る時に蛍光シールくれるのでこれが役にたちます。

現在、このシールをスマホに貼ってる。真夜中に重宝しますよ。

境内の店でぜんざい食べた。
満足満足。



◯【伊木山城】2月
中山道歩きのついでに立ち寄る。
鵜沼宿駅から南へ50分ほど歩いた。

木曽川の対岸の犬山城から歩いたほうが早いかも?
こちらも登山道整備されてる。

西側の神社裏から登る。

南曲輪がよくわからず、ひたすら南側斜面の犬走道を歩いた。

途中から山頂へ登る。

ここが主郭で、櫓台状遺構あり。

テレビ中継局がありその北側斜面に石積を確認したが、本来の城のものなのか不明。

東西南北に曲輪があるが、よくわからなかった

下山は北東側へ降りた。

犬山城



◯【猿啄城】2月
さるばみじょう。
こちらも中山道歩きのついで。

坂祝駅から西へ徒歩10分ほど。

ハイキングコースとして整備されていて、たくさんのハイカーとすれ違った。

山頂の曲輪に展望台あり。

西側の急斜面を下ると堀切があるが、見逃した…

木曽川の眺望抜群で、見張り台城と言ってよい。





◯【顔戸(ごうど)城】2月
御嵩町。
同じく中山道を見据える城。
中山道沿いの北側にある。
最寄り駅は名鉄顔戸駅。

木曽川の河岸段丘を利用した平地の館城。

深い空堀と土塁に囲まれる。

堀底を歩いたが途中から西側は藪になり諦める。

北側に虎口が2つある。


土橋を越えて入ると民家や畑地があり、遠慮しながら巡る。

と言いつつ、どうしても土塁に登りたくて東側の藪をぬけて土塁の上を北側虎口へ向けて歩いた。

城主が斎藤妙椿というだけに守護代御殿として立派な屋敷があったに違いない。




次はこの斎藤氏ゆかりの城です

続く…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪









大桑城跡で石垣みつかる

2020-09-09 22:29:51 | 美濃国の史跡

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
また来年も登ってみようかな?
麓から登るのは大変なんだけどね
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

【旧揖斐川橋梁】

2019-07-02 07:25:39 | 美濃国の史跡

2019年6月22日(土)
大垣宿から東へ美濃路を歩き、
夕方5時前に揖斐川に到着。
江戸時代は、佐渡の渡し場があり船で渡った。
現在は道路橋か鉄道橋で渡ることになる。

現在の東海道本線の橋梁

この北隣に

『旧揖斐川橋梁』

現在は歩行者、自転車専用の橋になってます。
説明板とパンフがある

わが国で最初に完成した幹線鉄道である東海道線において、最も高度な技術を駆使して建設され、かつ唯一原位置に残る遺構として貴重な文化財、
ということで、

なんと、国重要文化財に指定されました。
これは、びっくりポンでした。



渡ると対岸側は橋梁がクリーム色になってる、

明治19年に建設された時はすべての橋梁が鳶色でした。


その後、昭和45年にクリーム色に塗り替えられた。

で、今回の修復工事で、
本来の鳶色に塗り戻しを開始、
現在は残り2つがまだクリーム色のまま。
残りも数年以内に鳶色にするそうです。

歴史経過を知るには、
2色の橋梁が併存する今のままが一番いいかも?



東海道本線の電車内から間近に見えるはずですが、知らなかったので
今まで全く気づかず、
見過ごしてた。
電車を横に見る
あの電車で帰る予定。

美濃路歩きをした成果ですわ。

いやぁ、まだまだ知らないこと多いです。


大垣市を脱出して、
本日の歩きはこれにて打止め。

最寄りの駅を探したら


樽見鉄道の横屋駅でした。

聞いたことのない無人駅ですわ

隣の十九条駅の近くには
十九条城跡がある。

数年前に訪ねたはずだが、忘れた。

なので、次回の美濃路歩きの時に再訪しなきゃ!



本日31000歩、20キロ歩いたことになるが、街道歩きとしては七キロぐらいかな?

なかなか先へ進まないですわ



馬《●▲●》助ヒヒーン♪





大垣城周辺を歩いた、の巻

2019-06-30 16:16:05 | 美濃国の史跡
"2019年6月22日(土)

美濃路歩き、第2弾は大垣駅がスタート。

大垣駅の観光案内所横のコインロッカーは、
大垣城にちなんだ戦国武将の紋がある。
どのロッカーが一番人気かな?
ちなみに右下の戸田氏鉄が江戸時代の大垣藩初代藩主。

例によって街道歩きの前に、大垣城周辺を歩くことにした。
大垣城は水堀、水路によって囲まれていて、その出入口に7つの門があった。

なので、ぐるっと一周して門跡探しをした。

最初に
『龍の口橋』

辰の口門跡。

看板のみで、遺構は残ってません。

ここから反時計回りに歩いた


結局、見つけたのは5つ。
どうしても2つの門跡がわからなかった。
予習してなかったのが敗因ですわ。

大垣城西門

大垣城で続百名城スタンプを押し、

西公園で

白黒の石垣をながめながら
昼食した。


戸田氏鉄公騎馬像


再建天守閣
戦前は国宝でした。

爆撃、崩壊されてなかったら、我がひこにゃん城と同じく現在も国宝だったはず。

郷土館と天守閣の共通券が200円也。

安いやんか!
我が市では考えられない安さ。

隣に郷土館

城の南に市役所があり、新庁舎への建設中でした。

大垣市は財政豊かなのかな?

一向に建設が進まなくて無駄に財政を費やしてるどこかの市も見習うべきや😡

大垣城東惣門跡、

いわゆる名古屋口門跡
ここで、大垣城跡巡りは打止め。
美濃路はこれより東へ伸びる
再開したのは15時。

なんと、四時間も大垣城周辺をぐるぐる回ってたことになる。

門跡巡りの詳細はまたいつかアップします

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

雨のため、本日は予定キャンセルして、
一日中、自宅待機。

日曜日に出かけないのは珍しい

ボーッと過ごしてました


馬《●▲●》助ヒヒーン♪



美濃 上茜部城跡、切通城跡

2019-05-22 17:04:36 | 美濃国の史跡
"2019年5月18日(土)、曇天☁️


革手城跡から南西に約15分歩くと



"『上茜部城跡 堀秀政生誕之地』石碑

「かみあかなべ」と読む。
248号線沿い、上茜部バス停の近くに石碑と解説板があるのみ。
城跡の遺構は皆無。

とはいえ、
堀秀政生誕の地なので、わざわざ立ち寄りました。
築城した堀資重は近江出身と言われてます。
ただし、近江のどこか不明。
浅井郡の堀かも?ね"



堀秀政、38歳という若さで小田原攻めの陣中に病死した。
もっと長生きしていたら、大きな大名として存続できただろうな。

というか、早くして亡くなったせいか、人気のある武将ですな。






"そして、再び中山道の加納城大手門跡に戻り中山道歩き再開しました。

城跡への寄り道時間は二時間かかった。
これでは、距離をかせげないですね。

名鉄切通(きりどおし)駅にて本日の歩きは打ち止め。
寄り道が長すぎたため、
まだ岐阜市内から出られません。






この切通駅の近くにあるのが、
『長森城跡』

現在は、切通観音がある。




"
肝心の長森城の記述は
植込みに隠れて見にくいが、
この石碑の解説の後ろにちょこっとだけ触れられている。

土岐氏の居城だったと書いてある。
長森城が手狭になったので、後に革手城に移ったそうです。

長森城は1185年、渋谷金王丸が城を築いたとされる。
土岐氏の本拠が革手城に移った後も城代がいたようですが詳細は不明。



大きな看板には、
江戸時代の「切通陣屋」に関する記述がある。
陸奥磐城平藩安藤家の美濃における18000石の飛び地で陣屋が設けられた。







今回、土岐氏ゆかりの長森城と革手城に立ち寄ったが、
この先中山道を歩いて、
土岐姓発祥の地ともいうべき美濃国土岐郡の城跡群へ行けるのはいつになるやら?


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

NHKの朝ドラ、
来年から、土曜日の放送をやめて
月~金曜にする予定を考えてるそうです。

ようやく、我が輩の意見を取り入れてくれたか!

よしよし!

と、思ったが、

どうやら、理由は、
働き方改革にあるようです。

やっぱり、
視聴者目線じゃない

わけですな…




馬《●▲●》助ヒヒーン♪"

美濃 革手城

2019-05-21 23:52:09 | 美濃国の史跡

2019年5月18日(土)、曇天☁️

加納城跡公園から南へ約1キロ移動。

『済美高校』
甲子園野球で名前は知ってたが、
こんなとこにあったんですね。

と、早とちりしたが、
甲子園で活躍したのは愛媛県の済美高校のことだそうな。
ま、それはともかくとして
道の両側が学校の敷地のようですが、南側グラウンドの一角に
『革手城跡』の石碑がある。






"革手城は、美濃守護となった土岐源氏の居城。
第3代土岐頼康が川手地区に築城した。
第11代土岐頼芸まで存続したが、
斎藤道三によって廃城となった。

その後、徳川家康が加納城を築くにあたって、革手城の土砂を運び、
城跡は跡形も無くなってしまった。

現在の城跡の碑は、革手城の最北端の位置になる。
守護の館城ということで、御殿風の建物があったようです。
祠に合掌しました。

真向かいの敷地には

「スウィングベル」
2002年卒業生一同
卒業式の時に毎年鳴らすのかな?

現在の高校生はこの城跡をどう思って見てるのだろうか?



革手城石碑の少し南へ向かった所に

『正法寺跡』岐阜市指定史跡



"第3代土岐頼康によって、革手城の築城の時に建立された。

格の高い寺院だったため一条兼良・雪舟・足利義視など有名人が訪れた。

その後、船田合戦の戦場となり、荒廃。

さらに、加納城築城のためにこちらの土や石も採取された。"



現在は薬師堂があるのみ。

合掌!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

NHKの受信料、
ワンセグの次は、テレビ機能のあるカーナビも対象となり、
物議をかもしてます。

受信料払ってる人しか見られないようなシステムにしろ!
と、言う意見がありました。


確かに!

と思った。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

中山道歩き 美濃、加納城

2019-05-20 17:20:19 | 美濃国の史跡
"2019年5月18日(土)、曇天☁️

中山道歩き、前回の続きの岐阜駅からスタート。

まずは、観光案内所に立ち寄る。

先日、岐阜市が歴史探訪マップをつくった、という情報を得たので、入手するために立ち寄ったのです。

「信長の道」「道三の道」「戦国の道」の3部で、それぞれ4000部配布するというので、急いでやってきたが、
なんと、「信長の道」はすでに無し!


なので、2つだけもらった。

うーん、残念無念!
と、言ったら、
『岐阜城にまだ少し残ってると思います』
と、案内所の女性が教えてくれたが、
実は、一番欲しかったのが「道三の道」。
司馬遼太郎氏の『国盗り物語』を読んで、斎藤道三に関する史跡を巡ってみたいと思ってたので、このマップは助かる。
悔しい顔をしつつ、道三の道と戦国の道をもらいました(笑)

「道三の道」歩きは、もらったマップと自分で調べた内容を加味して、後日、秋ごろにでも歩きたいと思います。


この後、中山道歩き。
詳細は、後日アップする予定。
例によって今回も寄り道多し。
寄り道した城跡をちょこっと紹介。


岐阜駅の南側は、『加納宿』で、
街道の南につくられたのが「加納城」
何年か前に立ち寄ってるので再訪になるが、見落としもあるので
まずは、加納城へ向かいました。

1445年、美濃守護の土岐氏の家臣で守護代の斎藤利永が、沓井城を築いた。
これが、加納城の前身で、代々斎藤氏の居城となった。
応仁の乱のゴタゴタの後、戦国時代になると、長井新九郎が斎藤氏を乗っ取ります。
斎藤道三です!
しかし、道三は跡継ぎを信長にたくした。
信長は岐阜城を居城としたので、おそらくそれまでに沓井城は廃城したと思われる。
そして、関ヶ原の戦い後、
徳川家康は、岐阜城を廃城とし、沓井城の跡地に加納城を築いた。
天下普請でした。
中山道と美濃を押さえる城として重要な役割があり、家康の娘婿の奥平信昌が入った。
その後、加納藩は、譜代大名が次々に入り明治維新を迎えます。
中山道加納宿の折れ曲がりの場所に
『大手門跡』

ここを南下する。
横断歩道を利用

幼稚園

猫かな?

外堀ともいうべき荒田川


『三の丸』

現在は、加納小学校。

正門は、一般に赤門と呼ばれる。

小学校と岐阜気象台の間に

『二の丸北面の石垣』

この南側が二の丸。
岐阜城天守を移築した御三階櫓がここに建ってたが焼失。
残念ですな。


二の丸が本丸の外枡形を囲むようになってる。

なので、
本来は二の丸から極楽橋を渡って
本丸の張出部の外枡形に入るのが登城ルートだったが、現在は入れない

内堀の南に『本丸』

本丸北側の石垣

草が邪魔!

なんとかしてくれませんか?


現在、本丸はここから入るので、

ここが正門みたいになってる。

内部は公園で、周囲が土塁に囲まれてます。


入って右側に天守台があったが、
天守は建てられなかった。

天守台西側下の石垣

土塁の上に登ったがこちらも草がいっぱい。
張出部

なんとかしてほしいな…

張出部を見る


外周の外堀は埋め立てられて平地になってます。



Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日、祖母の五十回忌法要があり、
親戚一同集まった。
その時のお坊さんのお話、

三重県の員弁(いなべ)地方では、
浄土真宗の葬儀の時に
「赤飯」と「唐辛子汁」が出される。

赤飯は、故人が無事仏様になられたという祝いをあらわす。

唐辛子汁(からじる)は、
辛くて涙が出るので、別名、涙汁と呼ばれる。
亡くなられると涙でますよね。

喜びも悲しみも幾年月…

いいお話を聴きました

合掌!

馬《●▲●》助ヒヒーン♪